久しぶりに母が熱を出した。

先日、朝だった。

わたしは夜勤連勤のあと、必ず来る寝過ごしの結果起きたのはかなり遅めであった。

母のようすを見たら、すでに顔がほてり、おでこが熱かった。

昨夜わたしが外出中、たしかに夜専門におむつ交換をしてくれるヘルパーさんから携帯に電話があり、微熱だが熱があると言われた。

「たぶん毛布を首元までかぶっておられたので籠り熱かもしれませんね」とのことだった。

わたしが帰宅して様子を見ると、いつもと変わりなくみえ、ストローからお茶を吸って飲んでいた。

しかし思い当たることはなくはなかった。

まず、昨日、朝食を介助してくれるヘルパーさんが、介護の連絡ノートに「なかなか目が開かない」と書いてくれていた。

また別のヘルパーさんによる昼食の介助のとき、わたしは最初立ち会ったのだが、母は寝込んでしまっていて、呼び掛けたり、顔や腕をさすったりしたが、なかなか起きなかった。

だが、こういうことはよくあることで、目を閉じたままで口を動かし食べることも多く、そのまま気にせず、わたしは仕事に出掛けた。

留守中に、訪問入浴と夕食の介助があった。いずれも、とくになにもなく済んでいたようだった。

たしかに、昨日より、おかゆやお茶を、口に入れたらすぐに、ゴクッと飲み込むため、むせてしまい、咳き込むという現象が発生していた。

それで、自宅用の吸引機で何度かタン吸引をしていた。

一昨日はどうだったか、あまりはっきり覚えてない。

タンのからんだすこしゴロゴロと鳴るような咳はたしかにあった。それで吸引をはじめたのだ。だが食事は普通にとれていた。

たしかに昼食はあまりすすまず、途中でやめて寝かしたのだが、それもよくあることであった。

発熱があったりすると、わたしは、えー!?なにが悪かったんだろう?」とまず考え、原因らしきものを特定しようとしてしまう。

そして、誤嚥して熱がでないように、極力むせないように注意して食べさせていた緊張感が弱まっていたことに気づく。(それはしかし常に緊張感にさらされていることは確かであり、なくなることはない)

発熱は、ずいぶんなかったように思うが、微熱程度の熱は何週間か前にあったように思い出す。たまたまそのときは運がよく、それほど上がらず、大事にいたらなかった。

しかし、その経験は、どうしても、ホッとする反面、多少熱があっても大丈夫だ、みたいな根拠が希薄な自信みたいなものを生んでしまうのではないか。

前回、かなり長い間行方不明だった母の寝巻きが、故障して閉じられたままの洗濯機からでてきた話を書いた。

こう書くと、何年も壊れていた洗濯機から、壊れる前に洗濯したままほったらかしになっていた洗濯物がでてきた、みたいにとられそうだが、違う。

壊れた洗濯機のなかに一時的に洗濯物を入れておくシステムをとっていて、だいたいほぼ1カ月前くらいの話だ。

しかし、忘れていた洗濯物のなかに母のパッチがあったことを見ると、一カ月前はまだ寒い日があったことを思い出す。

いまは季節がすっかり変わり、昨日も仕事休憩のときアイスクリームを食べたし(外の仕事なので。)、夜、買い物にでかけ、帰りに寄ったカフェで冷たいものを頼んだ。

何度かの寒の戻りを得て、夏になったのだが、そんな寒さの記憶も薄れた頃、こうした非常事態が起こる。

思えば、ここ何ヵ月か、春先2月に退院後、ゴールデンウイークに短期に入院したあとは、母は自宅で過ごしていた。

それが普通と思っていたことが、なんだか愚かな、能天気なことにさえ思えてくる。

決して、そんなことはなく、注意はしていたのだが、自分の、どうしてもその間も自分の仕事や用事や楽しみをこなしていたことが、妙に反省させられてしまう。

たしかに油断していた。あるいは無理をして、母に、そのいまの状態以上の元気さを求め、食事もなんとか多く食べれる方法を考え、新しく弁当メニューにムース食のある介護弁当の業者さんに一部入ってもらったりしていた。

ちょっとだけと思うが、無理をしていた。

今回、しかし発見があったように思う。

それは、母は食事やお茶を食べさせても、しばらく飲み込まず、時間をおいてからゴクッと飲むのだが、ずっとそれはそういうやり方でしか飲み込めなくっているのだ、と思っていた。

しかし、今回、体調の変化のしるしとして、食べ物や飲み物を、口に入れたらすぐ飲み込み、それが誤嚥のたぶん原因になっていたことを考えると、母は意識して、タイミングを計りながら、誤嚥せず食事をする方法を取っているのではないか。

たぶん、そうだったのだ。それを考えると、早く食べさせようとして、なぜ飲み込みが遅く、タイムラグがあるのか、不満にも思い見ていた自分が情けなくなる。

寝たきりに陥ってしまったが、それでも母は必死で元気になり、生きようとしていたのだ。

久しぶりに日記更新。

実は、自分でも大いにびっくりしたことがあって、珍しく書きたくなったのだ。

先日から、母のパジャマが一そろいと、介護用の防水シーツが一枚、その他微妙にないものがあり、いったいどこへいったのか、といろいろ探していた。

どこかへ置き忘れたか、引き出しか押し入れにしまったのだろうか、と思い、家中探すのは面倒だな、と思っていた。

先月初旬、ゴールデンウイークに母を病院に預かってもらっていた。そのときに病院に置き忘れたのかな、と思い、一度直接忘れ物がなかったかききにいったりもした。

だが、いくつか忘れ物を見せてもらったが、母のものはなかった。

いったいどこに行ったのか、パジャマだけでなく、着替えのときに取り替える下着や防水シーツなども一緒になくなっているので、不思議に思っていた。

病院でひとそろい袋かなにかに入れていたのを、行き違いで誰かが持って帰ってしまったのだろうか。

それとも、やはり家のなかにあるはずだが、探せてないだけなのか、いまだにでてこないのは、おかしいが忙しいのでなかなか探しきれなかった。

今日ランドリーに持っていくため、昨夜集めていた洗濯物を持って出ようとした。

(まだ、近くのランドリーで洗濯している。洗濯機が壊れたまま、新しいのをまだ買えてないのだ。)

なにげなく、もうないかなと思い、そういえば最近開けてなかったなと思いつつ、洗濯機のふたを開けた。

すると探していたパジャマが入っていた。防水シーツも。

いつも、介護サービスで来てもらっている訪問入浴のスタッフのかたに、着替えたあとの洗濯物を洗濯機のなかにほりこんでおいてもらっていた。

洗濯機は壊れていて、洗濯はできないものの、「洗濯かごと」として使われていたわけだ。

だが最近ずっと、洗濯機の蓋のうえに、洗濯物が積まれていて、訪問入浴の際も、その洗濯物のうえに「載せたし」してもらっていた。

だから、ずっと蓋をしたまま、しばらくなかを見てなかったのだった。

いよいよ新しい洗濯機を買わないといけないなと思いしった瞬間だった。

ブログ更新が大変

2月のはてなダイヤリー終了の知らせに急かされ、なんとかはてなブログに更新したものの、日記の更新がいまのパソコンでは画面上でできず、苦労している。

なぜか、ブログを立ち上げると、新しいフォーマットだと、文字変換ができなくなってしまい、アルファベットで表示されてしまうという不便さ。たぶん、メモリーオーバーで作動できないのだ。

新しいフォーマットがめちゃくちゃデーター量増えたようで。

めげずに、なんとか考えついたのだが、いったん、ウインドウズのメモ帳を立ち上げ、そこでテキストを打ってからコピペをする、という方法を思いつき、これは苦肉の更新最初の試みです。

このような次第で、コメントをいただいた方にコメ返できなく、大変失礼いたしました。

徐々に、慣れていくと思います。

頭のなかが揺れている日記3 ブログとは

はてなブログがダイヤリーをやめるらしいので、この機に、いっそブログもやめることも考えないではなかった。
別に単なる仕様変更という(詳しくは色々あるみたいだが)ことみたいで、新しいスタイルに更新したければできるらしい。(つまり更新しなければ、古い記事も読めない?)。

仕事上じつは新しいはてなブログにも別のアカウントで登録はしていた。

ただしかし、ブログとはなんだろうか。あらためて考えてしまう。
わたしはかれこれ10年弱「はてブ」を利用してきたことになるが、ブログに書くことはほぼ事実であり、フィクションではない。事実を書く、というのがブログの暗黙のルールみたいに考えてきた。
だから、考え方によっては、かなり詳しいプライベートを公開するわけだから、それなりのリスクはある。
たぶん、家族とか身近な人は、どうしても自分と切り離せない部分があり、ブログに書いてしまったりしている。とくに要介護の母のこととか。でもどうだろう。なにも言えないから尋ねられないが、母はあまりよく思ってないんじゃないかと、思うこともある。

どうしても書いてしまうのだが、ブログに書き公開してよいものかどうか、についてじつは深くまだあまり考えたことがない。
それも、ブログを続けるかどうかの迷いにつながっている。

しかし、なぜかわたしは自分の考えを深めたり、まとめたりするためにこうしたサイトを利用してきた。
またそれを読んでくれる人もいて、共感やときに違った意見をコメントしてもらったり、ということも、むかしは、あった。いまはほとんど、ないが。

さて、さて。
今日、少しビックリしたことを書く。

昼間、というより夕方近く。車で走っていて、信号待ちしてたら、スクーターがどういう状況かわからなかったが、横断歩道でこけていた。近くにいた自転車に乗った中学生らしき女の子が二人、近づいて声をかけていた。
バイクの人はなんとか立ち上がり、自分でバイクを動かし道路のはしに移動して、なんとか怪我もなかったようだった。
別の場所だが、夜、これは用事があり、街を歩いていたとき、そこも交差点近くで、通勤帰りの人が多い場所だった。自転車に乗った男性が、急にバランスを失い、歩道の脇にある植え込みのなかに倒れ込んでしまった。
そのときも、近くにいた何人かの歩行者がワーッと寄ってきて、男性に手を貸し、自転車を植え込みから出し、立ち上がらせていた。
男性は恥ずかしかったのか、黙って礼も言わず、再び自転車に乗り、走り出した。
が、すぐ停まって、かごだけでなく、ハンドルにもぶらさげていたレジ袋のなかを点検していた。
一日に二回も転倒シーンを目撃してしまった。

頭のなかが揺れている日記2

昨日何ヵ月も更新してなかったこのブログを更新したのだが、なかなかに、再開するのは、いま考えても、至難の技であった、なんて自分で内幕をぶちまけている次第。
さらにダイヤリーがなくなる(もうなくなった?)なんて言われるときに、調べもせず、携帯メールから、書き込むだけ書き込んでみようという、なんと雑な試み。
誰も読むはずはないと、のんきなことを思いつつ、ならなぜにかような、ことばをネットにぶちまけようとするのか、、。
今日は、朝から仕事であった。車で移動中、NHKのラジオ第二放送をかけて、語学番組を聴いていた。
というのは、職場の若い社員が、英語検定の勉強をはじめるとか言っていて、わたしがむかし、ラジオの語学番組で英語を勉強していた、という話をした。それで懐かしくなったのだ。
語学だけでなく、古典、とかもあった。
なにか不思議な、世の中の流れからまったく切り離されたような、わたしが10代の頃から、そう大して変わりない番組が、いまも、日夜放送されていて、中高生が聴いたりしているのだ。
ただ、いまはインターネットで、番組によっては、何度も聴いたりできて便利になっている。
仕事が終わり、帰り道で、一頃よく行っていたが、えらく久しぶりに今年に入って何回か立ち寄っている、昔風のコンビニ(なんと呼べばいいかわからないが、コンビニ発生前からある、お菓子、果物、野菜や惣菜を売っている店)で天ぷらを買い、レンジで温めてもらい、車のなかで食べた。
実は夜、新年会の予定があった。だが、なぜかとくにお腹が空いているわけでもなく、ただ前を通ったのに、何も買わないのが忍びなく、買ってしまったのだ。
そこには「今日は何しとこう?」と気さくに話しかけてくるおばちゃんがいつもいる。思えば、近頃はこのような店は減っている。いや、それどころか、普通はなくなっている。
しかし、わたしは、こうした店を二つくらい知っていて、よく行っている。
また、ほぼ毎日行く喫茶店、華林唐も、マスターがいろいろ話しかけてくれる。
結局、そういう店が、好きなのかもしれない。
ただ、今日は帰る途中、近くに用事があり、違う喫茶店に入った。そこでは店員さんと顔見知りではあるが、まったく話さない。
そういう店も、なんとなく必要な気がする。
そういえば、今日仕事先のコンビニで、そこはまったくはじめてに近い、たしか二回目くらいに入る店で、まったくはじめて会う店員さんに話しかけた。
仕事の必要があり、近くに百均がないか、と尋ねたら、丁寧に教えてくれた。
普段は、わたしもコンビニに行ってもまったく、店の人と話したりしない。知り合いがコンビニで働いている店は一軒だけあり、そこ以外はまったくだが、今日、そうやって話してみると、意外とちゃんと、マニュアルでない普通の会話を、できて、新鮮だった。
そういえば、むかしは、知らない人に道を尋ねる、というのは、普段ごく普通にあることだった。
いまは、さすがに、たとえスマホを持ってなくても、道をきくのはなかなかできない時代になった。
新年会は、実は、一昨年から一緒にバンドをやりはじめたメンバーとであった。
忘年会はいそがしすぎて、できず、今日やっと予定があき、できたのだった。
それにしても、むかしにくらべ、飲む機会がなくなった。今日も、仕事帰りが遅くなり、用事もあり、結局会場に車で行くしかなくなり、飲めなくなってしまった。あーあ、という感じである。

用事とは、何かについて、少し書くと、驚くなかれ、実は年賀状の返事がまだ書けてないのだ。
年末年始は仕事、おまけに母が入院中で年明けから、退院に向け、準備が始まったので、毎日病院に通っていて、マジ時間がないのである。
家のなかも、掃除できなかったし、新年を迎えたばかりなのに、気が重い。
それから逃げる目的もあって、こんな日記を綴っている。

頭のなかが揺れてるんだ日記

新年初の日記らしくタイトルを新しく?つけてみた。
かなり休んでいたので、そうでもしないと書けないくらい久しぶりだ。

こんなに休んでしまったのは、たぶんはじめてである。
それで何を書いたらいいか頭のなかが揺れていて、こんなタイトルでごまかす始末。
はてなブログもダイヤリーサービスやめるらしいし、この書き込みもアップされるのか、不安だが、、。

今後、別のサイトに移行せざるをえないはずだが、そんな詳細さえ知らず、年を越してしまった。
どうなることやら、、。
(わかり次第移行先お知らせします。)
今年もよろしくお願いします。

9月25日(火)「憲法勉強会」バガボンド・カフェ@ブッダカフェ

毎月25日に、徳正寺で行われるブッダ・カフェ。ずっと時折参加してきたのですが、いろいろあり、ここ最近ずっと参加できてません。
いつもならテーマまったくなしで出席者の方々の任意で話題になることを話しています。
が年に何回か、テーマを絞って話す回を担当させてもらい、ここ最近もっぱら憲法について話すということを、途切れ途切れ続けてきました。
今日はあまり、これといったまとめはできないでしょうが、いままでの話を思い出しながら、久々に話せたらいいなと思っています。

ブッダ・カフェ
2018年9月25日(火)13時から16時半
会場:徳正寺(下京区四条通富小路下ル)
途中参加可能です。