内田樹先生の京都大での講演会に参加

昨日19日は、内田先生が京都大に来た。
京大へ行くのは、久方ぶりであったが、ちょうど以前仕事で出入りしていた校舎でもあり、会場の廊下にあったベンチでしばし感慨にふけった。。。
しかし、そんなことをしている間に、講演予定の教室には人だかりがしており、廊下にも人があふれて、入れない。仕方なく、数人の学生と遠巻きに様子を伺いながら、待っていると、どうやら教室を変更するらしく、一人の学生っぽい方が、「○○学部の○○教室って聞こえましたけど、、。」とか言いながら、出てきた。すでに廊下は人で埋まっており、教室内のアナウンスさえ、聞き取れない状況だった。
その情報を頼りに、その教室へ向かうと、ほかにも人が入ってきたので、ここだろうと踏み、かなり前のほうへ座ることができた。結果的に、当初予定のの教室に入れなかった方が、変更後の教室で最前列に座ることができた。変更後の教室はほぼパンパン状態であった。
さて、詳しい内容は、また内田ブログに発表されるのをみていただくとして、わたしが印象に残ったことがらのみ記したい。
基本的には、現在の大学の人文科学の学会が、「元仏文学者」内田先生がかつて属していたフランス文学の学会を例に挙げ、未来があまり期待できない状況であることを、いろんな例を挙げ、(理系の学者と比較したり)切々と話されていた。
この話から、学問の世界もビジネスの世界と同じような閉塞感が支配していることがわかった。
内田は、ビジネスの世界が、初代の創設者とその次の「猫の手」、つまり創設者が「猫の手も借りたい忙しさ」のなかで採用した結果的にユニークな人物の時代、まではうまくいくが、その第三世代、「秀才」が入ってきて、その割合が8割を越えた時点で、だめになる、という話をしていた。
そうしたビジネス界では、採用している人事システムを、高等教育の分野に持ち込むべきではない、という主張が、今回のテーマに思えた。
結果としては、ビジネス界と同じく、「秀才」が、特異な才能、ほんとうにイノベーショナルな、ブレークスルー的な視点をもった、知性を見分けられず、型にはまった人が昇進してゆく、社会になっているのが、学会の現状ではないかと嘆いている・・・。

だいたい2時間ほどそんな話があり、途中、内田先生の東京都立大(現首都大?)での時代に今回講演のきっかけとなった京都大の仏文の先生と知り合ったことや、そのあと現在の勤務先であるK女学院大学に行くことになったいきさつを話していた。

講演のあとお決まりの質疑応答、これにはたくさんの手が挙がり、かなり京大生らしい、一刻もん(とわたしは思っています)的な質問が飛び出ていた。(やはり彼らは物怖じしないな〜。最初に質問した女の子はしかし、S華大学だといっていたし、女の子はどこもすごいな〜とおもった。)
さて、印象に残った質問は以下です。

Q:人文科学に未来は無い、みたいなことが一貫していましたが、それじゃ「文学部」がなぜ残っているんですか?(いらないんじゃないですか?的な質問)

A:(君きついこと言うね〜的な笑いが入り)今の大学で「文学部」は唯一「礼」を扱うところで、リベラルアーツの根幹の学問なんです。「礼」とは、孔子の言う「礼」で、つまり「存在しないもの」との交流をどうするかという問題です。
 現在の大学では宗教を真っ向から取り扱うことはできなくなっているので、事実上「存在しないもの」を研究対象として取り扱う学部は、文学部のみであり、存在しないものとの交流をいかにするか、それとのコミュニケーションを学ぶことにより、「(総合的な)人間的能力」を育てられるのは「文学」しかないのです。
 もともと「役に立つことしかやらない」っていう発想そのものを批判していくのが、文学の役割なんで、、。

Q:さっき先生は「翻訳」の地位が日本では低く、それが不当だとおっしゃってましたが、「翻訳」はそれほど大切なものなのでしょうか。

A:翻訳するには、自分の今ある語彙や概念をどんどん増やしていかなければならない。最後には自分自身の枠とか、概念を捨てて、相手に飛び込んでいかないとどうにもならないところまでくる。そこで、はじめて本当にこの人に自分を賭けていいのか、と自問自答して、「清水の舞台」から飛び降りる決心をしないといけなくなるのです。その作業が、自分の学問を進めるのに、必要なのです。
 どうして、そんな人を見つけるか、それが重要で、ちょうど汽車の窓越しに自分に向かって手を振っている人がいる、けど何言っているのかわからない、けど自分に向けて何か大切なことを言っているんじゃないか、と思って追ってみるんですね。

この「窓越しに手を振る人」という言葉は、心に残った。

19時すぎに終了、拍手で内田先生を送ったあと、教室から人が出るのを待ちながら、これって大阪城ホールみたいだ、と思う。
和服を着て見に来ていた人もいた。

帰って、テレビを見ていると、Uキャンという通信教育のCMで、向井理が、電車に乗っていて、ビルの窓からもう一人の自分がエールを送るのを見る、というシーンがあり、偶然?だが似ていると思い、びっくりした。
しかし、UキャンはいいCM作るな〜。(元同業だけになんとなく悔しい)