昨日の続き。
風邪はほとんど治ってきたが、まだ咳と喉の痛みが少しある。だが大したことはない。
しかし、今回、母が入院中で助かったのはともかく、なかなかゆっくり治せなかったのが現実であった。
一日目は夜なか仕事、二日目は昼用事があり、三日目は無理して昼歯医者に行かねばならず、そのため風呂を沸かし大急ぎで入った。
そのあと、ホッとしていつも行く喫茶店カリントウでランチにスパゲティを食べたら、やはりまだ胃が本調子でなく、すぐくだしてしまった、、。
だが、その後、呼ばれていた植木の仕事に出向いた。
それで、やはり風邪ひきのときに庭仕事は絶対ダメだと認識を新たにした。
腰が痛くなるから。
多少は食べれるかと思い、帰りにドラッグストアに寄り、デニッシュペストリーを買って車のなかで休みながらちびちびと食べた。なんとかパンは消化されたようだった。
その前日、ブログで書いたように昼用事で出た。
そのときは、まだたぶん熱があった。
帰ってからすぐベッドに横になった。
かろうじて本は読めたが、寝た姿勢でいると、どうも身体の筋肉が固まり、痛みを伴ってくる。
母がずっと寝たきりなとき、こんな感じなのかと考えたりした。
わたしの場合寝返りはもちろん打てる。しかし、健康なときなんでもない寝返りが、風邪を引くと、構えてから、よしと力を入れないと寝返りが打てないことがわかった。
やがては、寝た状態が続けば、あるいは力を入れても寝返りが打てなくなるだろう、そんな予感みたいなものさえ、漂ってくる。
寝てばかりでもダメなのだ。
最近は、というか社会人になってから、風邪を引くのは年に1回がいいところだった。今回もたぶん一年ぶりくらいだ。
だが、子供の頃はわたしはぜんそくだったこともあり、もっと頻繁に風邪を引いていた。
あの頃、そんなに大変だった思いではないのだが、なぜだろうか。
パジャマ姿でこたつに入りみかんをたべたりしていたような記憶もある。
たしかにぜんそくの発作はつらく、夜中寝れない日が続いたのはいまだに覚えている。
だから普通の風邪は、病気だとは思ってなかったのかもしれない。それくらい、いまより我慢強かったのかもしれない。
だいたいにおいて、大人は苦痛にたいして、案外子供より実は弱いものだ。
今回は、たぶんいつもそうだったはずだが、食事がやはり大変だった。
最初の日は、かろうじてごはんだけ炊いていて、残り物の野菜を卵でとじたものをかけて食べた。
あまり食欲もなく、夜勤だったので、ゆっくり食べれなかった。
翌朝、帰るとき、まだ熱気がしていた。
うどんか何かを食べたほうがと思ったが、どうも食欲もなく、ずっとなにも食べず、ひたすら寝ていた。邪魔臭かったのとしんどいのが混じっていた。
頭のなかで、ある図形が絶えず浮かんでいた。それは運動場に描いたドッジボールの小さめの陣地みたいなもの。その陣地の右は「咳」で左は「鼻(くしゃみ)」だった。
わたしは咳をしそうになると陣地にいた一人がボールに当たり外野に行かされると思い左に移動して阻止しようとした。
くしゃみが出そうになると逆に右に移動した。頭のなかでそんな幻のゲームを繰り広げた。
中原中也も、詩を書いていた。あれは二日酔いだったが、「千の天使がバスケットボールする」と。
それで三日目の昨日、朝、電話で起きた。叔母からだった。
母の病状を聞いてきた。わたしはまだ寝たまま答えた。風邪のことは黙っていた。
起きて、トイレに一階に降りた。少しましになった気がした。
歯医者の予約時間が迫っているのを確認した。
冷蔵庫のなかに母用のビタミンゼリーのチューブのあまりを見つけそれだけ飲んでいった。
昔、風邪を引いても当然母が食事を作ってくれていたから楽だったのだ、といまさらながら気づくのであった。