頭のなかが揺れている日記2

昨日何ヵ月も更新してなかったこのブログを更新したのだが、なかなかに、再開するのは、いま考えても、至難の技であった、なんて自分で内幕をぶちまけている次第。
さらにダイヤリーがなくなる(もうなくなった?)なんて言われるときに、調べもせず、携帯メールから、書き込むだけ書き込んでみようという、なんと雑な試み。
誰も読むはずはないと、のんきなことを思いつつ、ならなぜにかような、ことばをネットにぶちまけようとするのか、、。
今日は、朝から仕事であった。車で移動中、NHKのラジオ第二放送をかけて、語学番組を聴いていた。
というのは、職場の若い社員が、英語検定の勉強をはじめるとか言っていて、わたしがむかし、ラジオの語学番組で英語を勉強していた、という話をした。それで懐かしくなったのだ。
語学だけでなく、古典、とかもあった。
なにか不思議な、世の中の流れからまったく切り離されたような、わたしが10代の頃から、そう大して変わりない番組が、いまも、日夜放送されていて、中高生が聴いたりしているのだ。
ただ、いまはインターネットで、番組によっては、何度も聴いたりできて便利になっている。
仕事が終わり、帰り道で、一頃よく行っていたが、えらく久しぶりに今年に入って何回か立ち寄っている、昔風のコンビニ(なんと呼べばいいかわからないが、コンビニ発生前からある、お菓子、果物、野菜や惣菜を売っている店)で天ぷらを買い、レンジで温めてもらい、車のなかで食べた。
実は夜、新年会の予定があった。だが、なぜかとくにお腹が空いているわけでもなく、ただ前を通ったのに、何も買わないのが忍びなく、買ってしまったのだ。
そこには「今日は何しとこう?」と気さくに話しかけてくるおばちゃんがいつもいる。思えば、近頃はこのような店は減っている。いや、それどころか、普通はなくなっている。
しかし、わたしは、こうした店を二つくらい知っていて、よく行っている。
また、ほぼ毎日行く喫茶店、華林唐も、マスターがいろいろ話しかけてくれる。
結局、そういう店が、好きなのかもしれない。
ただ、今日は帰る途中、近くに用事があり、違う喫茶店に入った。そこでは店員さんと顔見知りではあるが、まったく話さない。
そういう店も、なんとなく必要な気がする。
そういえば、今日仕事先のコンビニで、そこはまったくはじめてに近い、たしか二回目くらいに入る店で、まったくはじめて会う店員さんに話しかけた。
仕事の必要があり、近くに百均がないか、と尋ねたら、丁寧に教えてくれた。
普段は、わたしもコンビニに行ってもまったく、店の人と話したりしない。知り合いがコンビニで働いている店は一軒だけあり、そこ以外はまったくだが、今日、そうやって話してみると、意外とちゃんと、マニュアルでない普通の会話を、できて、新鮮だった。
そういえば、むかしは、知らない人に道を尋ねる、というのは、普段ごく普通にあることだった。
いまは、さすがに、たとえスマホを持ってなくても、道をきくのはなかなかできない時代になった。
新年会は、実は、一昨年から一緒にバンドをやりはじめたメンバーとであった。
忘年会はいそがしすぎて、できず、今日やっと予定があき、できたのだった。
それにしても、むかしにくらべ、飲む機会がなくなった。今日も、仕事帰りが遅くなり、用事もあり、結局会場に車で行くしかなくなり、飲めなくなってしまった。あーあ、という感じである。

用事とは、何かについて、少し書くと、驚くなかれ、実は年賀状の返事がまだ書けてないのだ。
年末年始は仕事、おまけに母が入院中で年明けから、退院に向け、準備が始まったので、毎日病院に通っていて、マジ時間がないのである。
家のなかも、掃除できなかったし、新年を迎えたばかりなのに、気が重い。
それから逃げる目的もあって、こんな日記を綴っている。