2019年の年末模様

2019年令和元年も明けて2020年になった。

正確に言うと昨日が大晦日だが、まだいまが31日夜とすると、一昨(29)日、昨(30)日と今年は夜勤で、通常より忙しかった。

母は先月18日以来まだ病院に入院中で、わたしの風邪は前回書いたように今月10日頃に発病、治りきるまで長く、一昨日29日ようやく咳が収まった。

ちょうどその間、歯医者の予約が2回あり、10月から始まった一ヵ所の治療がやっと終わった。その最終段階で風邪を引き、治った感じだった。

この一週間、なにか寒気がずっとしており、ぶり返さないか心配であった。

冬にひとりで風邪を引くということの頼りなさとつらさをあらためて味わった。

先週末はずっと静かにしていた反動かと思われる出来事があった。

急ではあったが、知り合いから頼まれ、友人と一緒にアトラクションのミニライブをするということがあった。

実は常日頃、ときたまだが、ライブハウスで、かれこれ7〜8年前から、無謀にも弾き語りをはじめた。

ギターを持っていって、歌うわけだが、ほとんどお客さんのいない場合が多い。

きっかけは友人のその店でのライブを見に行ったことだった。

その影響もあり、大昔に初心者の段階で弾かなくなったギターを引っ張り出し、何十年ぶりにか練習をしてみた。

その店は初心者の飛び入りの枠があって、こじんまりした場所で演奏してるかたも同年代くらいの方がちらほらいて、気軽にやりやすかった、ということもあって、それに歌いに出たのがはじまりだった。

恥をしのんで、人前に出てひしひしとわかったことだが、楽器はひとりで練習するだけではだめで、人前で恥をかいたり、そのために少し本気にならないとけっしてうまくならない、ということだった。

歌にはいまもあまり自信ないが、ステージには一度立つと忘れられない魔力がわたしみたいなものにも感じられた。

が、母の介護が忙しくなり遠ざかっていた。

しかし、これまたわたしの出演を見た別の同い年の友人が、連鎖反応でギターを復活させ、3年くらい前から一緒に練習して時たま、一緒に仲間をつのり出るようになった。

ライブをやめていたのは、なんといっても、ひとりで出るのは、慣れていても意外と、ハードルが高いからだった。これはひとりで、なにかスポーツやジョギングをはじめても、なかなか続かないのと似ている。

だが、誰かと一緒だと、やらなければならない気持ちのもとにおかれる。

練習はスタジオを使うため、出費はあるが、なかば強制的に練習することになる。

仕事や介護の合間に、時間を取るのは、無理に思えたが、隙間隙間に空きを見つけかろうじて、続けられた。

ただ、今回の母の入院中、容態がかなり深刻に変わってきて、あらかじめ決まっていた本番にわたしが出れるか怪しくなった。

直前にもう無理と思い、メンバーには出れないかもしれないとあらかじめ告げたことがあった。

それで、責任感から、おかしなことをした。

あまり面識のない、最近そのライブハウスで知り合った人に、代理で出てほしいとまで、打診した。

そんな内心のつらい駆け引きを、今年はじめて味わった。たぶん、常にそういう活動には付きまとうのだろう。

かろうじて、母はなんとか持ち直した。だが、わたしが何かを犠牲にして、常々介護をしていることを感じざるを得なかった。

いや、逆にたいして上手でもない音楽のために、なにかを失うこともまたあるかもしれない。

年末、急に頼まれたライブは、そんな心配がつきまとったそのライブが終わり、なにか天の采配で、そのおまけで用意されたかのようだった。

すぐに一種にやってくれる、常とは違うそのイベントのための相方が見つかったり、曲もすぐ決まり、練習も日がなかったわりに、とんとんとうまくいった。

そういう流れに乗ったかのように、当日も無理なくできた気がした。

それなりに、本番に合わせないといけない自分の苦労はあったにせよ、前みたいな、激しい直前の心配はなかったことは、母にさえ感謝せねばならないと思った。

ちなみに、カラオケボックスには、楽器持ち込みOKの部屋もあり、そこで練習することができた。

なんでも、カラオケボックスを、最近、楽器を練習する人がスタジオがわりに使っていると、テレビかなにかで聞いていた。

ただスタジオより安いかといえば、そうでもない。ただフリードリンクがあったり、原曲を確認したりできる点は、いいかもしれない。

順番に歌うわけではないから、飲み物をゆっくりのむ時間はないに等しいのだが。

(あけましておめでとうございます。)