先週久しぶりにブッダ・カフェに行った。
ブッダ・カフェとは、東日本大震災直後に、T野良人さんが、自身の生家で職場でもあったT正寺(真宗のお寺)を月一回開放し、情報交換やしばしの話のできる場を作りつづけている、その空間の名前である。
参加者は、ほんとうに座談がじっくりできるような少なさで、立ち代わり決まった人がきているなかに、不思議にゲストみたいに、遠く海外、また変わった仕事や趣味の方、ときに著名な詩人、文筆家の方などが来られびっくりする。
この日も、オーストラリアと日本を往復し過ごされている方とその、著名な詩人の方が来られていた。
オーストラリアの山火事はまだ収まってないらしい。コアラが壊滅的な、とくに原生林が焼失し、絶滅が危惧されているようなお話もうかがった。
わたしはたいてい遅れていくのだが、この日も終わる30分前にやっと行けた。それでもその話を聞けてよかった。(いつも、こんな時間だからやめておこうか、と迷いながら参加している。介護(のある)者とはそんなところがある。)
最近新しく参加されつづけている方と、ずっと来られていて、でもちょっとご無沙汰の方の顔も見れたので、時間少しでも行ってよかったと思った。
またT正寺は、繁華街のどまんなかにあり、わたしはそんなときしかそのエリアにもう行かなくなっていて、それもいい機会なのだが、すぐ近くのJ堂書店が近々閉店するらしく、それはこの場でも話題になったが(わたしが発言した)、いつも帰りに寄っていたので、楽しみがなくなって悲しい。そのオーストラリア行き来の方(日本人)の小学生の娘さんも、悲しがってるらしい。彼女はわたしたちが話しているとき、少し離れてずっと本を読んでいた。
前回、歌うことを(弾き語り)はじめたということを書いた。これは、ブログに書いたのがはじめてなので、実際始めたのはかなり前である。たしか、東日本震災直後だと思い出す。
だからブッダ・カフェが始まった頃と重なるかもしれない。
ただ、母の介護も徐々に大変になってきて、離れざるを得なかった。だが、付かず離れずで、たしか入退院を繰り返すようになりはじめたとき、さすがに心が折れ、なにかにすがりたくなったとき、自分がやるかやらないかはともかく、歌に救われる体験をした。
具体的には、スガシカオの歌う歌。
あと、そのよく通うようになった小さなD志社大学の近くのライブハウスで聴く、メジャーじゃない人の(当然だが)生の歌だった。
音源が加工された、商品ばかり聴いていた耳には、素人だが生の歌声、しかもその場でしか聴けない歌は、新鮮で心に響くものがあった。
自分で歌うのが得意なほど、技術的なハイレベルと歌う内容楽曲が正比例でないのが、この世界の難しさ、面白さなのだが。
たとえばビートルズは決して技術的には、同時期の様々なバンド、あとから出てくるロックバンドより劣るかもしれない。
だが、出てくる音は、これ以上ない完璧さをそなえ、結果として誰もその壁を越えられないものを持っている。
究極なオリジナリティというか。
たぶん、世界ではじめて、じゃないにしても、知られている限り、最初に、最大多数の人に、自分で作り歌うというスタイルを示し、活動していたからだろう。
そういう意味ではシンガーソングライターのキリストであった。殉教者でもあった(ジョン)。
ライブは、われわれ素人として、もちろん仕事や義務でもない。アポなしで参加できる「飛び入り」枠は、拘束はまったくない。
行くか行かないかは、純粋任意だ。
人間は、そうなると、だらしなく行かない選択も取りがちで、わたしもそうだった。やめるのは、こたつで寝てしまうみたいに簡単だ。
これは趣味や習い事一般に言えそうである。
ブッダ・カフェしかり。ボランティアしかりである。
ボランティアの語源は、志願者、だそうだから、まさにその行動は自由で、その人に参加不参加はゆだねられる。
だが、これほど、見方によっては、難しいことはない。仕事は行かなければならないから、行けるところもある。
だが、自由に行けるところに行くこと、そこで話したり、歌うことは、特別ななにかがある。余分なことだが、わたしは、それは「迷い」、気持ちの「揺れ」に深く関係していると思っている。