今朝雪が降った。わたしの家はかなり北にあるので、うっすらと一体に雪が積もっている。とても寒い。
(写真はもう雪がとけてしまった昼に撮った。山に少しだけ残っている。)
今年の冬はえらく暖かい日が続いていた。
だが、やっとというか、今月に入り、6日にも雪が降った。
この時はたしか夜中から降りだし、うっすら積もった。その後昼まで降り続いたが、積もらなかった。
この冬最初の、やっと降った雪だった。
わたしはちょうど夜勤から帰りしなで、どんどん降ってきて街路や電線やら辺りが白く化粧されるのを見ながら帰ってきた。
今朝の雪は、朝方から降り始めた。が、ちょうど帰ってきたとき降り始めた。
そのときは、降り方が「ちょろく」、積もるとは思わなかった。朝起きたら真っ白になっていた。
さすがに冬だ。先週10度台の気温が続き、隣の家の梅が満開になっていた。(写真)
春先を思わせたが、冬がまた来た。
これから、そうやって、何度か冬がぶり返し?、季節が入れ替わってゆくのだろう。
また今年は、昨年末からのコロナウィルスの脅威にさらされ、変な気配が広がっている。少なくとも、わたしのバイト先では、お客さんが「町に人がおらへん」とぼやいている。お客さんはタクシーの運転手である。
いちばん気を付けないといけない職種だと思うが、マスコミの報道を見てか、特に夜の繁華街はガラガラになっているのだ。
暇だろうが、その方がいい部分もあるかもしれない。
ちなみに母はやっと退院して帰ってきた。お腹に短いチューブをつけて、、。
(細かなことはまた書きます。)
先日BOOK・OFFで、星野源の本を買ってきた。彼がテレビで人気者になったのは、かなり前なのに、なぜかいま、かなり前に出た本の文庫化をよんでいる。
(ちなみに、星野さんは本のなかで、「自分は本やCDは著者に印税がちゃんと入るので、新刊で買う」とまっとうな見識を述べていたが、古本で買ってしまい、ごめんなさい、、。)
まだ彼がテレビで大々的に有名になる直前、たぶん10年くらい前、わたしは彼の単独ライブのフライヤーを見たことがあった。
レコード屋かどこかでもらったのだ。かわった名前だと思ったのを覚えている。
芋虫みたいに背を丸め、ポーズした全身を横から撮った写真だった。変わった、インパクトのあるフライヤーだった。
本の方は、かなり面白い。文章がうまくついつい読ませてしまう。シンガーソングライターでミュージシャン、舞台俳優、コメディアン?、TVドラマ・映画俳優、多くの肩書きを持ち、マルチに活躍するタレントでありながら、この文才があるとは。
ミュージシャンで文章やさらに小説も書く人、川上未映子がそうだったと思うが、時々ある。
古くは中島みゆき、さだまさし等も小説やエッセイを出していた気がするが、あくまで、余芸的な感じであったと思う。
だがこの人の文章は、余芸というレベルをはるかに越えているように思われる。
彼は、近い将来、小説も書くようになるのではないだろうか。なんとなく、わたしは、彼の文章を読んで、五木寛之を思い出した。
五木さんは、小説を書き出す前、また書き出してからも、職業的作詞家だったように思う。
彼も、デビューのときは、だからその「当時」の、マルチな才能の持ち主だったろう。(ただ作詞家で直木賞をとった人に山口はるみがいて、わりとあるパターンなのかもしれない。たしか阿久悠さんも小説を出していた。そういえば松本隆も)。
逆に五木寛之さんも、もしいまならシンガーソングライターであった可能性は高い気がする。
つまり、昔は音楽業界は、分業が主流だったが、いまの環境がインターネット配信や録音機材の発達で、一人弾き語りの歌で十分売り出せる時代になってるのだ。
ひとりで全部完結する。
それがいいのかどうかはわからないが、やはり「時代」なのだろう。
実際にはプロデューサーやいろんなスタッフがいて、後支えしていても、それを表には見せず、ひとりでマルチなタレントとして活動する。もちろん、その才能や努力やらもろもろの要素があっての話なのだが、そのマルチ性に、もっとも時代の刻印を感じる。
実際、人はいま、ほかの時代よりもっとも、ひとりでがんばる、あるいはがんばらねばならない、状況にある。
もがき苦しんでいて、なにを隠そうわたしもそうだが、星野源は、まさにそういう時代がつくった、ある意味象徴的なヒーローであると思われる。
それが彼の人気の秘密なのではないか。
これからますますその技量を深めるのか、さらに分野を広げ、マルチに活動するのか。
プロデューサーになったり、劇団作り?映画監督?なんでもできそうで、やりそうだ。
未来はまだ見えないが、さらにはばたいていってほしい。彼に力をもらってる人は、まだまだ多いように思われる。