ある結末

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前前回からガスの無料点検の予約の件を書いている。

時間の幅がある予約だと、何時にくるかわからないので、その時間帯にひきずられ困ってしまうという話。宅配とかもあらかじめその時間と言われたら何となく不自由に感じてしまう。

だからわざとセンター付けにしてもらったり、事前にわかれば、する。

点検は宅配のような訳にはいかない。ところが頼んでみたら、一度はその幅を縮め、わたしが必ず受け取れそうな時間に合わせてくれた。

なのになのに、わたしがその予約をすっぽかしてしまうという予想外の結末となったのだ。

これにはわたしもむやみに相手に無理をお願いすべきでないと反省した。

たが、世の中には不思議なことがやはりあるものである。

昨日のことになったが、わたしは知人に出先で郵便局からゆうパックでものを送ろうとしていた。

その出先は仕事の現場で最初からその現場近くで出そうと、送るものを持って家を出た。

しかし、宛先の住所が携帯のアドレス帳に入っていると思い込んでいたら、入ってなかった。携帯を変えたとき、住所を移せてなかったのだ。

わたしは郵便局で固まってしまい、他の事情もあり送るのを断念した。(他の事情については割愛する)。あらためて帰ってから送ることにした。

わたしは郵便局に結果としてなにもせず長時間滞在してしまい、照れ隠しに切手を購入した。購入するとき正直に、「いやぁ、住所書いたもの家に忘れてきたわ」と言ったら、「あ、そうなんですか。すみません」と謝ってくれた。

わたしが悪いのに郵便局員さんが謝ってくれたことにすこし感動した。

ローカルな小さい郵便局だったが。

わたしはしばらく近くにある神社により、所在なげにウロウロした。いちおう参拝もしたが、実はパンを食べる場所を探していたのだ。いくつかベンチがあるのだが、この日に限って参拝者が少ないが途切れず、座って休みづらかった。参拝の人は高齢の散歩らしきかたが多かった。

いつもなら車できていて、車中食できるわけだが、あいにく電車で来ていた。夜勤明けだったから眠く、運転が怖かったからだ。

来るときついうっかり居眠りして降りる駅を一駅乗り過ごした。各停で助かった。

仕方なく神社をあとにし、わたしは近所の公園を探した。だがどうもまだどこになにがあるかわかってない。もうかれこれ3年くらい仕事できているが、わたしはあまり新しい土地に馴れるのが得意ではないのだ。

だが、仕事の現場のすぐ前に小さい公園があるのを思い出した。そこで食べることにして向かった。幸い、誰もいなかった。

天気はまあまあで寒くはない。公園のすぐ横の家の庭木を剪定している老人がいた。どうも植木屋らしかった。

しばらく公園でベンチに座り桜の立派な古い樹の

肌の模様を見たりしていた。ゆったりとした時間だった。

わたしは帰ろうと思い、駅に向かってあるいていた。するとその仕事先の雇用主がちょうど家に車で帰ってくるところにでくわした。

その道の途中にその人の自宅があるのだ。

わたしは挨拶をして、行きかけたが、仕事の報告をしに戻った。そして知人に送るはずだったものをその人に渡すことにした。

結果としてそれは喜ばれ、翌日の今日お礼のメールまでもらった。

予定とはなんだろうか。

もしわたしが予定通り、知人の住所のわかるものを持っていて、それを予定通り送ることができていたら、もっと早く帰り、雇用主とは会わなかっただろう。

また神社によったりして時間をつぶしたり、公園でゆっくりすることもなかったに違いない。

予定通り送ったものはわたしが勝手にいいと思って送っただけで、はたしてほんとうに喜んでくれるかもわからない。

自分で考えたり思い描くこと以上の結果が、ときどきもたらされるのは、単なる偶然なのだろうか。

これがいわゆる「他力」ということなのか。

今晩の月は満月できれいに晴れて明るい。そのかわり冷えそうだ。