思い付いたことやる実験室@メリーゴーランド京都店

25日からはじまった標記展のギャラリートークに誘われ見に行った。

(会期 6/25~7/6

www.mgr-kyoto2007.com

)

 

かなり面白く、なにか愉快なものに久しぶりに出会えた感じがまだジワジワしている。

 

山下陽光さんの作品(なんと花や動物の無名?画家の絵と、その絵の柄をデザインし刺繍した服とをセットしたの)を販売するほか、ギャラリートークでは所蔵する古本やアイテムを並べ、独特の感覚でプレゼンしてくれ、それがなにか病み付きになるほど可笑しいのだった。

 

たとえば「なんとか紳士録」というタイトルの電話帳みたいな本を取り上げ、「こんな個人情報満載の本がむかしあってね。もう一冊おんなじ本買ったら厚さが違うでしょ」と笑いになったり。

 

たしかにそこらに歩いていそうな普通の人たちのプロフィールが人名辞典みたいに書かれた本だった。そのなかに吉野家でバイトしているなんとか言う人が掲載されていて、山下氏いわく、いまの吉野家の社長だとか。

 

あとむかしの本で写真集なのだが、ポラロイドカメラで撮った写真をページ一面にきちっとならべらているのを「これはたぶんインスタのはしりではないでしょうか」と言ったりしていて笑わせられた。

 

たしかにむかしのアナログな本のなかには、意図されずに、いまのデジタルを先駆的に表現していたものがまだまだあるかもしれない。

 

たとえば山下氏が見せてくれた小沢昭一がある新聞に連載していたコラムを切り抜いて集めたものがあった。古本屋で3000円で売られていたらしい。

山下氏は、「これはなんだろう!?って考えたらあれなんですね」といって横長の妙に細長いその切り抜きの束(きれいにビニールで包装され、一枚目は光っていた)をたてにして持ちあげて

スマホだったんですね。こうやってスクロールする」

といってみんなを笑わせていた。

 

なにがこんなに面白いのか、よくわからない。そうやって、発見し発掘する姿勢が面白いのかもしれない。

それがむかし当たり前に真面目に売られているのを、いまのデジタル全盛の時代からみなおしたら、まったく違う意味が生じたりしてしまうのを山下氏は面白がって話す。

 

でもそれもあの場でリアルに見れたからかもしれない。それがここ2年以上滞っていたのだ。あらためてライブのはなしを聴くよさをわたしはかみしめていた。

 

ちなみに、あの吉野家の社長が一人のアルバイトだったことを載せていた古い人名録のことを山下氏は「あの時代のFacebookだ」と言っていた。

 

考えてみる。

 

究極的に人の求めているものはいまも昔もあまり変わってないのかもしれない。

 

技術だけはどんどん変わり、古い技術は忘れられていくのだ。

 

でもちゃんと思い出して語ってくれる人も必要だし貴重なのだ。

 

短かったが愉快で貴重な時間だった。

 

(写真はメリーゴーランドからT正寺に移動し行われたイベント看板。わたしはそこで他のかたと別れたが、寺まで一緒に歩いた。)