毎月25日に行われている徳正寺ブッダカフェにて、先月うかがうと、赤瀬川源平さんの研究家の方が来られていた。専門は比較文化かなにかを大学で教えておられるとのこと。
そこで、赤瀬川さんが生前されていたインタビュー記事で「他力」について話されていた記事のコピーを持参され、話題にされた。
「他力」は真宗でいう他力本願の他力なのだが、、つまり真宗の教義の核心的な部分である。
その他力を、赤瀬川さんがそのインタビューにて「他力は“棚からぼたもち”みたいなものだ」といったことを言われていたらしい。
そのときは、なんとも思わなかったのだが、なにか妙に印象深くあとから考えたら面白いというか、現代美術のアーチストらしい鋭い洞察ではないかと、いまになって感じた。
それは、他力と自力の表裏一体の関係をズバッと言い表しているかもしれない。
つまりまったくそれを願ってないときに、思いがけない場所で、悟りが落ちてくるみたいな、、。
なんとなく禅問答的だし、となると自力ともいえる。
でもこれって、まるで曲ができるときと似てるっていうか、そっくりだなあ~と思い当たる。
まるでリラックスしてなにか鼻唄歌うとき、歌を思い付いたり。作ろうとしても作れないんですね~。
それって他力本願とも、また考えると、常に歌を作ろうと意識してるという意味では自力とも言えて。
それを赤瀬川さんは言ったのではないだろうか。
「瓢箪から駒」という諺もあるが、、。
やはりこの場合、棚からぼたもち、がぴったりくる。
いたっ!って頭にあたるみたいなところが。