アドレス帳の喪失

コーヒーを毎日1杯以上飲んでいる。

最近は、もっぱら近所の喫茶店に一日一度出向き飲んでいる。だが、もちろんいけない日もある。

そこは、もう長年通っている場所だ。そこのマスターは、気さくでよく話しかけてきてくれる。母を介護しているときから、母と一緒に通っていたこともあり、そうした付き合いの続いている貴重な場所である。

だいぶ前になるが、別の場所で知り合いになったばかりの方と、ばったりそこで遭遇したこともあった。そうした喫茶店がなかなか最近残ってないからかもしれない。

 

最近、わたしは携帯電話がつぶれ、長年使っていたガラケーをついに手放さざるを得なくなった。

その店のマスターからは、「〇〇くん、スマホにせえへんの?パソコンできるんやったら、絶対スマホもできるから、はよ替えたほうがええよ!」と言われていたから、わたしがスマホにしたのを見て、マスターは、

「ついにか!やったやん」

と喜んでいた。わたしは、正直まだ使い慣れず、ガラケーを懐かしく、というか取り戻したい想いが募る日々である。

 

そのガラケーは、突然故障してしまったので、携帯ショップに修理をお願いしようとしたが、「データーは、事前にバックアップとってないと移せません。」と、あっさり言われてしまった。

 

だから、友達や知人の携帯の電話番号、メアド等そっくりなくなってしまい、当初大変苦労した。やはり、紙ベースのむかしあったようなアドレス帳が必要なのだ。いまそれを必死で探しているが、最近の情報は、残せてないので、大変だ。

 

(もし、このブログを読んでくれてる友人や知人がいらっしゃったら、ぜひ一度空メールでもいいので、送っていただけたら、ありがたいです。わたしのプライベートの電話番号、メールアドレスは、元のまま変わってません。)

作詞作曲について

わたしはいつ頃からか自分で詞をひねり曲をつけて歌を作るようになった。ちょうど15年ほど前に習っていた陶芸をやめた頃だった。

たしかに陶芸も土をひねり釉薬をつけて焼いて作る。似ていなくもないといま気づいた。

ただし陶芸は形ができた段階で素焼きと呼ぶ仮焼きをして、釉薬をのりやすくさせる。だから単純に詞が作品の造形で、曲が色づけかというと、違うかもしれない。

陶芸は納得いく作品ができるまでいかないうちにやめてしまったが、歌は人前で歌うようになった。しかし納得できているかどうか、わからない。少なくとも自分では納得したいと、いう気持ちでやっている。奇しくもわたしの歌を歌ってくれるひともつい先日彗星のごとくあらわれたりしている。

ただ、この歌を作るという作業は、なかなかの苦労が伴うもので、はっきり言って納得できるまで根気よく続けられるには、相当な時間と労力また環境が必要だ。

まず、前提として、わたしの場合他の音楽がかかっていたりすると集中できない。これが、皆さんもお気付きの通り、backgroundmusicのない空間というのがいまの日本には自宅以外なかなかない。

まぁ、それをクリアしたとして、思い付いた歌詞を書きながら、わたしの場合曲も頭でつけていくのだが、それが思い付いたとたんにうっかり忘れてしまう。それを思い出そうとしてまた新しい節を思い付く。そして忘れてまた思い出して、の繰り返し。エンドレスにそれが続きかねない。

そのうち、そんな作業に嫌気がさし、また別の新しい歌詞を思い付きそれにメロディをつけて、それがすんなり歌になったりする。

生まれる歌はこうした試行錯誤の結果というより、その試行錯誤の合間を縫って、ひょっこり棚ぼたというか、偶然生まれたもののほうがいい歌の気がしないでもない。

楽曲作りで、しかし苦労するのは、もしかしたら作った歌詞が意外と失敗しているケースも多いのかもしれない。建物でもそうらしいが、基礎がしっかりして狂ってないとちゃんと建てられないのだ。曲付けで苦労する場合歌詞から見直した方がいいのかとあらためて思い始めている。

そんなこんなと言うほど書けなかったがそうしてできた歌をこれからいくつくらい歌ってもらえるだろうか。また歌っていけるだろうか。なかなか楽曲にさける時間がなくさらに練習もろくにできないのだが、すこしでもその時間が増えるよう努力していくしかない。

写真は昨日に引き続き、今日は繁華街に出てむかしの職場の上司と食事したときのものである。

何年かに一度しか会わないのだが、急に決まって会えた。次回はいつになるだろうか。このブログみたいなものか。

ブッダ・カフェの帰り

かなりダメージから立ち直ってきた。と言っているが、むかしサラリーマン時代にときたま受けていたダメージに比べたら屁でもなかったのかもしれない。かなりメンタルがやわになってきてるのだろう。

月に一度定期的に行われるT寺のブッダ・カフェは久しぶりに出席したのだが、わたしにとっては普段あまり行くことがなくなった繁華街にでるチャンスなのだ。それで帰りに本屋に寄って立ち読みというものを久しぶりにした。

あ、本屋がある、とふらふら入ってしまうのは、やはりわたしがまぎれもなく活字中毒だからだけでなく、わたしの住んでる町に本屋がなくなって久しいからというのもある。

折しも、雪の降った次の日の晴れた天気の春めいた空気も影響し、活字に浸った頃の思い出が脳内の膿汁として満ち溢れた感じがした、、。

新刊書なんてめったに手にしなくなっていて、本はBOOK・OFFか近所に奇しくもできたS文庫という古本屋しかいかないから、空腹感さえ感じないほどお腹ペコペコだったんやな、と感じざるをえなかった。

やはり時々は本屋に来て立ち読みをしなければならないな。

回復

2月になって少なからず降り積もった(積年といおうか)ものごとの蠢(うごめ)きがあり、実際の降雪も重なり、ボディブローを2~3発浴びて精神的にダウンしていました。

いろいろな励ましを受け、なんとか立ち直りかけている午後です。

パワーをもらいにきた、近くの喫茶華林唐の玉子トーストを食べました。

なかなかの効果です。

出てこない1

絶えず、なにかしら、心のなかに、どこへいったかわからないものを抱えてしまっている気がする。

それは最初は探すのだが、見つからずそのうち諦めて忘れかけている。ボールペンとか、本とか、もらいものとかの類いだ。

そのうちやはりないと困るのでずっと気に掛けていたものがあった。

それはなくすとやっかいなはめになる大事な小さなもののベストスリーになるだろうmicroSDだった。

これは、そういうものを入れて保管してそうな袋やかばんのポケットを探しまくったが、出てこなかった。

もう出てこない(なくした)と半ば諦めていた。

わたしはその日夕方仕事を終え、一緒に仕事をしていた方とくつろいで話していた。なにげなく着ていた服(上着)のポケットにてを突っ込んでなかを無意識に探っていた。

するとレシートの紙に軽く包まれた小さいものが手に当たった。そのなかにmicroSDが包まれていた。

コンビニでなにかデータをプリントしたとき、ポケットに入れていたのだ。

ぴったり

○月○日(過去の日記です)

ずっと昼から雨が降っています。台風の影響もあるのか、九州では大雨の警報も出てるようです。

今日朝夜勤明けで、家に帰りすこしだけしか寝れず、また違う仕事に行き、そのあと人に会ったり、予定の時間押し押しでバタバタとしました。

これは、三連休前であったこととは関係なく、わたしのよくあるパターンで、おそらく時間をギリギリで予定を組んでしまうからです。やはり余裕を持たせるのが必要でしょう。

いろいろ細かい用事があり、人に会ったり、雨で車に乗り降りするとき大変でした。しかもわたしの段取りが悪く、予定していた行き先が決まらなかったりたいへん焦りました。

ですがなんとか予定通りではなかったですが用事がこなせました。むしろ予定していた以上にことが運んだといえます。

わたしは雨のなか帰りに車を家の近くのコンビニに停め、店ですこし買い物をしました。

そしてレジで現金でお金を支払いました。なんと財布に入っていた小銭全部とその買い物はぴったり合いました。

感動的なぴったりサイズ

LAWSONでは以前、紙コップのコーヒーマシンがレジの内側にあり、それを買うと店員さんがいれねばならなかった。(いつ頃からか、他のコンビニ、7ELEVENやファミマ同様セルフサービスになった。そんなに前のことではない。)

その頃、わたしはLAWSONでその紙コップコーヒーを買うとき、自前のタンブラーにいれてもらっていた。

つい一年か二年前、LAWSONはタンブラー持参者には紙コップコーヒーの料金を値引きしてくれた。

たぶん、SDGsかなにかの観点からだったと思う。

残念ながら、その制度はなくなってしまった。

やってた頃から時々、その制度を知らない店員さんがいた。そのときは仕方なく値引きなしになったが、わたしはあえてタンブラーにいれてもらっていた。

いまは、制度がなく、値引き自体がなくなったのだが、わたしは紙コップはいりません、といって自分でコーヒーマシンにタンブラーをいれている。

たしかに衛生上の問題が、コロナの頃はとくに心配で制度がなくなったのかもしれない。

いずれにせよ、店員さんは、ときどきわたしみたいな客がいるのか「タンブラーですね」と言って、自分でさせてくれる。

いつか、わたしのタンブラーがじつはLAWSONで「メガサイズ」をいれたらスレスレまできっちり入り、感動した。ちょうど泡がふくらみもう少しでこぼれそうな感じだが、毎回きっちり収まっているところがなんとも言えない。

(このタンブラーをじつは某所でわすれ、今日やっと取りにいくことができ、このことを思いだし、LAWSONで久しぶりにこのメガサイズを買った。)