四条通り〜粉雪舞う〜声掛けについて

バガボンドCAFEについては、こちらをご覧ください。→2015-02-22 - 為才の日記


職場がらみの用事で二日間西院(「さい」と読む人もいるが、わたしは「さいいん」と読んでいる)の方へ出向いた。
オフィスビルのなかに長時間いるのは何年ぶりだろうか。もうサラリーマンだった頃を懐かしく思い出す。何年も経ってない気がしじゅうしていて、まともに数えると5年以上になる。
普通は、すぐ別の電車にすぐ乗り換えるだろうが、あえてこのような道を選んだのだろうか、その場その場でジグザグに進んできた、なにかに導かれたわけでもないのだが、また楽をしていると言われても仕方ないが、「これで、いいのだ」?!
わたしの住んでいる東地域(左京区や中京区)と西は何となく別世界にわたしには思える。それは鏡のような存在と言えるだろうか。
右京区、北区の一部は、アナザーワールドだ、と一緒にいた職場の若い同僚にわたしは説明した。どうも人の顔付きも、家並みやたたずまいも、似ているがどことなく違う。右左がよく見ると逆な、女性服のボタンが男性と逆みたいに。
だからわたしは帰るときあえて歩くことにした。いや結果としてバスを乗るつもりでバス停を探し歩き始めたら勢いで東エリアまで戻り着いた。
歩ける距離だからたいして離れているわけではない。なのに異世界を感じてしまう。
おそらく子供の頃の感覚にもどっているのだろうか。それはあちらのほうが古い店や建物が、こちらよりたくさん残っているから、自然隣町が異世界だった昔を思いだすのだと思う。
またそれは生活圏でない、旅先の町に感じるような錯覚かもしれない。つまり、右京区の人が左京を歩いてもそう言うかもしれない。
結局生活圏として見慣れた町並みが、ちょっとだけ離れた場所に同じように展開されているのが新鮮で旅先でのように、発見があるからかもしれない。
たぶん西の人は東を田舎扱いしてるはずだ。
実際古代から平安京は西に拠点があり、朱雀大路千本通りにあたる。町並みも田畑の多かった東とは違い、みしみし家が建ち並んでいる。オフィスビルも工場も、国道がある西に多い。四条や御池はともかく、左京区中京区は会社より大学や遊ぶところが多い町だ。
しかし、そう考えると京都は狭いようで広いとも思われる。
朝からずっと拘束されていて、解放されたというフリーな気持ちがあったからでもあろう、夕方から寒い風が吹いて、雪混じりになってきたが、わたしは結局四条通りを西大路から烏丸まであるいた。
そして、新京極にあるファーストフード店に入り休んだ。西院で職場の人と入った店とはちがうチェーンだった。二杯目のもコーヒーを飲んだあと、以前入ったことのある古レコード屋さんを探し、見付けて中古CDを買った。
雪は粉雪になっていた。金曜であるせいか人でがあった。
だが寒いせいか帰る人も多く、わたしの家方面のバス停で待つ人はかなり多かった。
繁華街からバスを乗るということは滅多にあることでなく、サラリーマンだった昔はよく乗っていたことを思い出す。
するとふと街路に面したビルの軒先にさきほどの古レコード屋さんの店長(といってもお一人なのだが)らしき人が立っている。あれっ。さっき店におられたのに。
そういえば、わたしが店から出るやいなや、階段を降りていると電気が切られるのがわかったから、閉店の時間を越えてしまっていたのかもしれなかった。
だがいくらなんでも早すぎないか。わたしがゆっくり歩いていたからかもしれないが、いまいち確信が持てなかった。
大きなマスクをされていたからもある。
バスが来ると、なんとその方が素早くバス停に移動されて、わたしの乗る前にバスのなかにゆっくり入っていかれ、一番後ろの座席に座られた。
なんとなく確信もなく、また気付いておられるかもしれないので、こういう場合知らない振りをした方がいいと思い、ちがう席にわたしは着き本を読み始めた。
わたしは性格的にはそうではまったくないが、前の仕事がサービス業だったせいか、見知った人を街角でよく見かけることがあり、仕事をやめてからもお客さんを見掛けたりすると、声をかけてしまう。それはあくまで雰囲気に左右されるのだが、マスクというのは、その人にそのような気がまったくなくとも、なんとなく話しかけづらくなる要素があることに気付く。
こうした場合エチケットとしては、少し年下らしきわたしが声をかけるべきだったのかもしれない。帰ってからそう考えた。
その方は、わたしが降りる二つか三つ手前のバス停で降りていかれた。
今度お会いしたら、声をかけてみよう。