11月1日退職一日目

唐突だが、事情があり先月末にて仕事を辞めた。職場のことはここには書かずに来たため、いきなりだが。
昨日は実に深夜2時までも会社に残る。けっこうしんみり別れを惜しんでくれる部下が何人かいたため、ついつい遅くなる。月末の締め仕事や引き継ぎもあったからもあるが、、
ホントなら飲みに行った方がよいのだろうが、そんな余裕が最後までなかったなと思う。聞くと他も同じで学校事務は多かれ少なかれ生徒がいる間はばたばたして仕事ができないものらしい。それにここ数年(いや10年だろうという声も)私も含め、みな何者かに追われていた。事業譲渡という社内事情がそうさせていたのだろう。
朝一度目が覚めた。たしか入社時の上司が夢に出てきた。大分前に引退した方だが、久しぶりにお顔を拝見。在職時は夢にも出てこなかったが、状況を察知したのかもしれぬ。
それから寝込んでしまった。昼過ぎに母が起こしに来た。
買い物に行きたいらしい。日曜は常に仕事であったので、退職した初日にいきなり日曜デビューか、と思ったわけではないが、雨で出足も悪かろうと行く気になる。
近くの郊外型ショッピングセンターは、いかんせん近づくにつれ、車が渋滞しなかなかすすまない。日曜の威力をまざまざと体験した。
しかし店自体はそれほど混んではいない。消費低迷を実感する。
比べるのが極端だが、この店ができた1970年代後半は、そこしか行くところがなかったせいもあるのか、バスも満員、店の中も芋の子を洗うがごとき騒然さ、私は部活の服や用具らを買ったりレコード(当時まだCDはない)ラジカセ、大工用具に普通の服とそれこそ毎週行ってなにか買っていた気がする。
そして毎回アメリカンドックというソーセージをあげたスティック式の食べ物を買って食べていた。
モノより人が多く、足りなかった時代、出るもの出るものが新鮮で強烈なフレーバーを放っていた〜
しかし、一般的に今の方が圧倒的に品質はよくしかも安い。
今日唐突にジョギングを思い立ち、ジャージとジョギングシューズを買ったが、二つともメーカー品なのに、めちゃくちゃ安く、合わせて五千円以内で買えた。
昔はレコードもステレオがよくなく音が悪かったが、いまやiPodでまさかの音がいとも簡単に聴ける。技術はものすごく進んだ。
レコードで思い出したが、職場の先輩が餞別に昔のブルース全盛期のチェス・レーベルのレコードをCD化したベスト版をプレゼントしてくれたので、さっそく車で聴く。
よく忌野清志郎が昔ラジオでマディ・ウォーターズがどうのこうの語っていたがその実体にようやくたどりついた。〜いまさらそんなレベルの人間はロックファンでもなんでもないが。
むかしロッド・スチュワートがカバーしていたアイ・ド・ラザー・ゴー・ブラインドも入っていた。
ロッドといえば、このセンターによく来てた中学時代1976年頃はものすごく売れていて、中学の教室でクラスに一人は友達に借りたか返すのかあの鼻の長い顔のジャケットのレコードを持っていた…
そんなことも思い出させる〜
わたしはチャック・ベリーのファンなので彼の曲がたくさんあり楽しめた。
S&Gが1982年に再結成した時、カバーして大阪球場(友達と見に行った)で歌っていたメイベリーンも入っていた!オリジナルを聴いたのははじめてだ。やはり年長の人はよく知っていて、早く生まれただけ偉いと思わざるを得ない。
さて、母と買い物に来るのも食品売り場でなく自分の服を買いに来たりするのは、はっきり言って私が社会人になってからは数えるほどしかない。ここ10年はないはずだ。
またわたしはいまだかつて母の買い物に付き合ったことはなかった。男の子とはそういうものだった。
だから母がどこで何をかつて買っていたか等知りようがなかった。
母は脳梗塞を起こして以来、服を買いに来ることは、たぶんなかったはずだ。他のものは買いに来ていたのだが、どうやらそうらしいことがわかった。
母がここだといって入った最初の洋服専門店は、母は常連のつもりで、しばらく服をみていたが、次第に様子を見て不安になったらしく、前から来てたわよねみたいに店員さんに語りかけてみたところ、はっきりNoの返事。8年前にショッピングセンター全体の改装があり、それ以来店にいるが母のことは存じないと言われる。
間違ったかもしれないと二人でこそこそ出て隣の店をのぞく。はたしてそこの店員さんは、母のことを覚えていて、母も覚えていたようでめでたしとなった。
どうやら位置をうまく思い出せないようだ。あとで間違って最初入った店にフォローしにいくと、ちょっときつめに言ったので心配していたのだがお隣でわかったみたいでホッとした、と言ってくださった。
母の様子がよくつかめたらしい。その方の義理の母親も脳梗塞だったらしく、なれていたのだという。言ってくることにある程度は合わしておくが、肝心なところはわからせてあげて、本人に違うのかなと思わせてあげた方がいいのだと言われる。
あまり言い過ぎると傷つくので、ぎりぎりまでは適当にあいずちを打つ、まさに脳梗塞患者への究極のノウハウに同感せざるをえなかった。私より少し年上に見えた。結構苦労されたようだった。
母は結局、自ら試着した皮のジャケットを買ったが、買う前に少し値切ってみていた。その辺りのことは忘れてないようで妙に感心する。
店員さんにはつきっきりであれこれ見てもらったようだった。「昨年の2月に一度来られてお買い物をしていただいてますね」と調べていただいたりもした〜その間、日曜というのに客は母一人だった。
すぐ近くに資本は同系列の若者向け新型ショッピングセンターができたので、昔からなれている母のような老人しか来ないのだ。苦しいに違いないが、そんなことはおくびにも出さず、丁寧に「おしゃれは健康と若さの証明ですから。ご回復されたことの証拠です」と励ましていただいた。帰りに間違って入った店の前を通ったが、母はあまり間違ったことを気にしてないようだった。その店員さんには気を遣っていただき礼をして通る。何も買わなかったが…。
帰りも雨が降っていた。車で移動するのも、昔は苦労したものだ。特に雨の日なんてまだ私の住む京都のチベット岩倉は土道もあったし、水溜まりじゃぶじゃぶいわせて大変なことになった。
しかも車もいまみたいに駐車場が完備されておらず、父の車はずっと中古のぼろだった。ツードアで後部シートに乗るのに苦労したし、急な坂道でエンストした。
今日かなり店の立体駐車場で坂道発進したが(私はいまだマニュアル車に乗っている)昔の父の車のエンジンならエンストを起こしていたろう。30年前日本車もそのレベルだった。
帰ってからすぐジョギングシューズに紐を通し、床の上ではいてみる。中高の頃よくやって父に怒られていた行為だが、、。
食品売り場で買ってきた巻き寿司とサラダを食べながら直江兼続を見る。
大河ドラマ!ごくたまにお目にかかれていたが、じっくり見るのはじつに何十年ぶりか!(笑)
そんな感じで記念すべき最初の日は暮れた。母に食事の時明日から朝どうするのか?行くところあるのか?と聞かれたが、ないとこたえる。
ひぇ〜とおおげさに驚くフリをしていたが前から言っていたので意外な風ではない。何度も確認するのが倒れて以来癖になっているのだ。
母が寝に行ってからビデオに録画していた大河ドラマの裏番組、T○Sの「オレたちクイズマン」をみる。
知人のマスターがやっているSpeak Easyというアメリカンパブの「京都バーガー」が紹介されるからだ。
二つ店舗があり職場に近い四条店に先週水曜に行ったときマスターから教えられた。
「こんなもん送ってきよって…」とぼやきつつパソコンに向かっていた。見せてくれたファックスの感熱紙にその日の朝の時間が印字されていた。京都バーガーを番組で紹介したい、ついてはその日の夕方までにレシピを作って送ってほしいと書いてあった。
企画書には「杉○彩が京都のB級グルメを紹介します。クイズのあとスタジオで出演者がバーガーを食べる絵となります。金曜が収録なのでその日の昼頃に着くように食材30食分をお送りください」とあった。
杉○彩は、京都出身で有名だった。番組では祇園生まれ祇園育ちの杉○彩が、美しくなるためのスポットやメニューを八坂神社や祇園の料亭(たしかにB級なうどんや鳥鍋だったが)をに入って紹介していた。
光浦○○や大久保○○などお笑い系を引き連れ、どう見ても冴えない彼女たちに、美女になる指南をするという多少無理のある設定ではあったが、悪くはない内容だった。
しかし、言ってみれば企画書はただの紙切れであった。
しかも、京都バーガーは取って付けたような取り上げ方だった。
〜京都と言えば漬け物、若い女の子に大人気の漬け物を使ったヘルシーメニューとは?といささか強引に繋げてクイズにしていた。
解答者がなんにんか「漬物バーガー」と普通なら書かないだろうと思う答をパネルに書いていた。やらせなこといちぢるしい…。
杉○彩が正解を公表したあとSpeak Easy の京都バーガーがワゴンで運ばれてきた。
それだけだと見映えがしないせいか、有名らしい京都北野たわらやの極太のうどんと元祖壱銭洋食のお好み焼きも出された。解答者(有田某や土田某、勝又、真鍋かおりら)が食べるシーン(なにが 「絵」やねん…)に重ね画面右下にテロップでSpeak Easy の紹介と京都バーガー950円しば漬け、米粉バンズ、豆腐白和え、水菜入りの小さな文字が何十秒か写っていた。
番組上のこじつけで罪はないかもしれないが、どうも解答者の息抜きに使われた感がぬぐえない。
この番組効果はどうであろうか?本当に若い女性に人気がでればいいが。
しかし、久しぶりに日曜に休み、ショッピングセンターの乱立と客の少なさ、テレビの内幕をかいま見るにつけ、30年前に村上春樹のよく書いていた文章ではないが、我々はいかにたくさんのものをこの30年で失ったか愕然とせざるを得ない。
彼は30年も前に先行して嘆いていたが、じつは2009年の日本のことを書いていたと言える。
大河ドラマのあとN○Kでくしくもこの15年間の永田町の変遷を紹介するインタビュー番組「永田町・権力の攻防」を見る。1990年代から今までまさに政治的には混迷・停滞の時代だった。
しかし希望はないではない。政権交代、ショッピングセンターの店員さんの老人への親切なそして病後の回復を商売でなく喜んでくれる気持ち、そしてクイズマンのあとに同じチャンネルでやっていた「ワンステップ!」という番組。
この番組はよかった。離島のほぼ老人ばかりでなっている漁村の農地が猪の被害にあっていて、老人たちが大切に「孫のために」育てている農作物を守ろうと、若い職人たちが畑に塀を新設したり、古い竹でぼろぼろの物干し台を新しい竹で作り直したりする毎日をドキュメントしていた。
物干し台を作っていたのは茶髪にロン毛の25歳の鳶職人。あとの二人は庭師で30代。
最初は大変そうにしていた彼らだが老人が喜ぶのを見て、しだいになにか手伝うことがないか?とどんどん島の家を訪ねに回る。目が真剣だった。
この番組がやらせでない限り、(99.9%そうだろう)日本に希望はある、そう思った。来週は僻地の美容院がない土地に三人の見習い美容師が行き、土地の人の髪をカットするらしい。
日曜23時30分から。4ch、ワンステップ!よかったら見てほしい。
私の元職場のみんなからもらった花「みんなありがとう。仲良く、負けずにがんばってほしい」↓