木屋町通りのにおい・時代の記憶

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(追加日程のお知らせ)7月11日(月)17:30〜19:30
内容場所は同じです。
昨日は久しぶりに梅雨らしい雨が降った、と思ったら今日関西は梅雨明け。
異例の早さの夏の到来〜たしかに先週は異常な暑さが続いて寝苦しく、蒸し暑かった。しかしもう明けるとは。
京都では、毎年祇園祭宵山か宵宵山あたりで、突如雷がなり激しい夕立があって、それが梅雨明けの印とされている。
まだ祇園祭まで10日くらいある…。
昔話をする。
毎年この頃、よく訪れた父の実家の酒屋はいまはもうない。(といっても造り酒屋でなく、小売りの酒屋)
しかし昨日用事で雨のなかその近く、木屋町通りを三条から二条まで歩いたら、妙にその古い家に染み付いていた独特のにおい、なんとなくみそと醤油をあわせたような香りを感じた。雨のせいかもしれない。
たしかに木屋町は食べものやさんが異常に多く、それは北は二条から五条までかなり長いい。
うなぎの寝床式建物が鴨川の側にのびてならび、表に競うようにのれんをひるがえしている。(めっきり客引きするキャ○業種も増えたにせよ)
厨房があれだけ集まると人いきれとともに長年の結果ああいう煮詰まった淡い香りをたてるのか。町屋の柱や畳に厨房(京都では厨(くりや)というが)の煙が染み込んだら、あんなにおいがするのか。

たぶん高瀬川や鴨川も近いので影響していよう。二条木屋町高瀬舟の駅(港)があった。(いまがんこ寿司になっている旧大岩邸の庭になっている)

祇園祭山鉾巡行の日、この二条木屋町に人がかつぐ御輿が大名行列みたいな隊列と一緒にやってきて休憩する。
その酒屋では店に簡単な椅子をおき、御輿のか継ぎ手のふんどしに法被をきた人たちが弁当(大きな笹の葉でごま塩をちらしたごはんとたくあんがつつんである京風にぎりめし)を食べる場所にしていた。
何の御輿かくわしくはわからないがたぶん祇園さん八坂神社のお旅所の御輿ではなかったか。
この御輿は巡行の日の夕方までこの木屋町あたりの町内を練り歩き、祇園の後祭りまであの寺町の藤井大丸のとなりに月末までおかれ、たしか月末に八坂に帰る御輿ではないか、といまおもう。
その御輿を見るためにこの父の実家の店にはいり、帳場のうらの狭い階段から二階に上がると、酒屋の看板が二階の窓のそばにあり、そのむこうから車の音そして木屋町の町の中の音が聞こえてきた。それを思い出す。
この店もだいぶん前にマンションに建て直されたテナントのひとつになり、しばらく残っていたが、いまはもうない。
わたしの親戚もマンション建築の際、別の地域に引っ越さざるを得なかった。
バブルの時はこういう話がそこら中であったはずだ。
あたりはすっかり小綺麗になった。そこここに昔風の店は残ってはいるが、少し前隣にそびえていたホテルフジタが閉館されて、なんだかまた一段、変わっていく気がしていた。住んでいる人もたぶん当時とガラッと変わったはずだ。
なのに懐かしいにおいが残っていて、少しほっとした。
歴史とは、記憶にあるにおいや質感であって、それは消えてしまえば、おそらく伝えようがないものだからだ。