こ6月25日バガボンド・カフェのための資料その3?

うかうかしているうちに、あっという間にバガボンド・カフェの日が近づいてきました。なかなか思ったほど、記事をアップできずにいて、申し訳ありません。

前回も、タイトルだけアップしたまま、続きを書けずにいました・・・。なかなかパソコンの前に座れず、思うようには進まないです。(携帯からもアップできるのですが、、。)

出来るだけのことしか出来ませんが、書いてみます。

いつも、書くと長くなってしまい、読みにくいかと思うので、もう少し短めに、読みやすい文章を心がけます。

最初に、今回のバガボンド・カフェで話題にしたいテーマとして、「憲法」を選んだ理由みたいなことを書きましたが、端的にそれを言えば、以下のようになるかと思います。

1.最近の自民党の「改憲」への動き、なかでも昨年末に法案が通った「特定秘密保護法」そして最近毎日新聞をにぎわせる「集団的自衛権」をめぐる「解釈改憲」といわれる与党の強力な動きについて、不安をかきたてられる。いままでにないような、不穏なことが現政権内で起こっているようだ。いったい何が起こっているのだろうか、またそれに対し、どのように考え、どのように対処すればいいのだろうか(といっても何かをやろうとしているわけではないが)。

2.といっても、その法学的な意味合い、つまり法文上の細かな(実は本質的な)実効的といえる意味について考えるというよりは(もちろんある程度は、そういった知識が必要なことは言うまでもないものの)、とくに3.11以降顕著になってきている時代の「ほころび」の象徴的な事件として、憲法をめぐる状況を捉えてみたい。
 そのためには、いまの日本社会が直面している「事態」が、どのようなものかを考えてみたい。そのためには、このような「事態」が、歴史的にどのような流れで、どのように成立したのかを、「原点」に戻って考えてみるしかなのではないか。

3.ただ、「憲法」を正面から、その法律的な意味合いで考え、捉えなおし、「原理」から考えることが、あまり有効とは思えない。(なぜだろうか。その理由も考えてみたいが、、)それよりは、「文芸」の分野から、敗戦期における現行「日本国憲法」の成立過程に立ち戻り、護憲派改憲派の対立の根っこにある「ねじれ」現象の解析を通じて、「戦後」という時代を捉えなおし、「文学と政治」の問題を論じた加藤典洋氏の『敗戦後論』(ちくま文庫)をベースにして、現今の政治的な動きを考えてみたい。

ということでした。

ただ、そうなると、テキストとしてその『敗戦後論』を読んできてもらうということが必要と誤解されてしまいかねないので、できるだけ、その本の内容をポイントを絞ってわかるように紹介し、話のネタとして共有したいと思い、これを綴っています。

そうこういっても、なかなかそれが出来ませんでした。とりあえず、ここまでをあまり実のある文章ではないものの、アップさせていただきます。