2016年7月29日朝まで生テレビ

以前猛暑が続き、なんと雨がなかなか降らない。
まだ野外労働は続いているが、今日は少し空気が変わり、風が乾いていて、汗をかくことが少なく感じられた。
これは、湿度が少し下がったからであることがわかった。
昨日以前、7月末から昨日8月9日までの灼熱地獄は、湿度が高かったのも原因である。
さて、先日久方ぶりに「朝まで生テレビ」を録画してみた。何年振りであろうか。
テーマは、憲法だった。先日の参院選の結果、改憲勢力が3分の2の議席を取った、衆議院参議院両院で。これは、もちろん、戦後初。
ということで、パネリストは改憲と護憲の二つのグループに分けられ対論する、といった趣向。

だが、むかしの「朝生」のような、誰が何を言っているか皆目わからないような激しいバトルになるようなことは、少なくなった。
思えば、大島渚野坂昭如ももうこの世にはいないのだ。


「バトル」が少なかったのは、彼らのような猛者的なパネリストが、いまはいないからだろう。

それがどういうことなのかは、もっと考えてもいいかもしれないが、相手をさえぎってしかモノを言えない、人を押しのけ、掻き分ける技術を持っている人しか意見を言えない、というのも本来おかしなことだ。
あれは、プロレスみたいな一種の「ショー」としてみるしかないところもあった。
わたしとしては、本来こうした静かな(と言い切ってしまうのは事実と反するかもしれないが)話しぶりのほうが、好ましく思えた。(もちろん、多少なりとも、掻き分けるシーンはあったが、昔よりダントツに少なく思えた。)

だが、それよりも、もはや、バトルを交わしているような状況ではない、ということも言えるのかもしれない。

つまり「勝負」は状況としてついてしまっている?みたいな。


印象的だった話をいくつかあげる。

まずは、冒頭で司会の田原総一郎が、こんな話しをしていた。
(以下番組中のコメントの紹介は、引用というよりは「意訳」に近い言葉ですので、あらかじめご了承ください。)

1955年自由民主党が結党されたときまず党是として公表されたのが「憲法改正」でした。
しかし、この結成時より、いままで60年間、自民党出身の総理大臣で「憲法改正」を出してきた人はいまの安倍さん以外誰もいませんでした。
わたしは、これは自民党が「憲法を変えたい変えたい」といいながら、じつは、変えたくなかったんじゃないか、と思っています。
田原総一郎/2016年7月29日放送 テレビ朝日朝まで生テレビ改憲と日本の未来」)

55年体制」という言葉をよくきく。それは日本の戦後政治の「レジーム」である。その「戦後レジーム」からの脱却、と安倍総理はよく口にする。その本丸が「憲法改正」だということはいえるだろう。
この戦後レジームの発足である1955年当時、自民党が「改憲」を訴えてスタートしたのは、おそらく、当時の左翼を代表する「社会党」が「護憲」を党是にしていたからだろう。その勢力は、いまの民主党とは比べ物にならないほど、やはり強力だった。

しかし、自民党が次第に政権党として揺るがぬ地位を築き始めると、その党是はひっこみ、田原の言うような「憲法を変え」ないことが、与党のプラクティカルな実質的「党是」になったのだった。

それは、憲法第9条を盾にして、アメリカからの軍事協力の要請を断った二つの事例に現れていた、と田原はコメントしていた。佐藤政権の時アメリカは自衛隊ベトナム戦争の協力を要請した。佐藤内閣は、第9条を理由にそれを断った。
また、小泉政権のとき、イラク戦争への派遣を時のブッシュ大統領は要請してきた。小泉内閣は、後方支援だけをする目的で自衛隊を派兵した。そのとき盾になったのも、9条だった。

しかし、こうした現実的利益を優先した結果、「改憲」という自民党党是は「秘められて」いたにしても、創立以来連綿とあったわけである。それはいささかも、党論として否定されたわけではなかった。(もちろんいろんな意見は交わされただろうが。)
政権与党が「憲法」を本音で否定している国でわたしたちは育ってきた。このような状況で「憲法」を学校でまともに教えようという雰囲気になるだろうか。考えれば、こういう「ねじれ」た状態が日本の現実だった。

でも、こういう「ダブルスタンダード」であったこと、については、いい面もあったように思われる。といおうか、ダブルスタンダードであること、イコール近代の日本社会である、ということが言えそうに思う。(たしか内田樹も『日本辺境論』でそのようなことを書いていた。)

いま、そういうのはよくない、と言って本音とタテマエをすり合わせようとする動きが活発になってきた。実際、9条と自衛隊の矛盾については、戦後ずっと取りざたされてきた問題だった。先年、ずっと「違憲」とされてきた「集団的自衛権」が「合憲」であるとする「解釈」をその理論的な骨子とする安保法制が成立した。これは、これ以上伸びない9条というTシャツを自衛隊にかぶせているみたいな行為で、ついにその裂け目が見えてきた、という理解が成り立つ。

ところが、番組では、こんど「改憲」の俎上としてあがっている憲法の条文は、どうも9条ではないらしいことが、パネリストの「改憲派」である、自民党片山さつきや維新の足立という議員の発言で明らかになってきていた。それは非常にまた「テクニカルな」考えで、つまり、まず「お試し」的な「改憲」を成功させ、本丸である9条改憲につなげる、といったことらしい。

たとえば、維新の足立議員は、高等教育の無償化を憲法条文に加える、という党のプランを紹介していた。これについては、憲法に加えずとも、すぐに「法律」を作ってできることだろうという反論すぐでた。

パネラーのあるジャーナリストは、そのような論議を含め、いまの与党の考えを「改憲マニア」の論理だ、と皮肉っていっていた。いきなり、9条で改憲を国民に問うても、否定される可能性が高いためだ。

田原も、「そうじゃなく9条をもっと国会で議論してほしい」と噛み付いていた。

疲れたので、(今日も現場仕事だった、、)もうやめる。続きはまた書けたら、書きます。