バガボンド・カフェ@ブッダ・カフェ 憲法についてPART4報告〜「加藤典洋『敗戦後論』ノート」(久しぶりの続き書きます)

本日、バガボンド・カフェ憲法の第4回終了した。ご参加いただいた皆様、ありがとうございます。

さて、当初告知していた「わかりやすさは真実に届くか」という、えらくジャーナリステッィクといえるテーマは、案の定どこかへおいやられてしまったようだった。

そう告知した当方も、そのテーマについてあまりこだわらず、その場の流れで話をさせてもらった。

以下は、必ずしも、今日話した内容ではないですが、おおむね話として出た意見、そして、その場では話したわけではないが、帰ってから思ったことを、つらつらと書いてみる。

 憲法は、古くて新しいテーマ。目下政権与党が激しく標的にしている年来のテーマでもある。

 年末の衆議院選挙では「争点」にならなかったが、案の定、安部首相は、「民意を得た」といった発言を「大勝」後していた。

 そういう、危惧もあり、すこしその手の話になった。主には、結局「選挙」でしかわれわれは意見を言えない。
 
 いまさら、何を言うか。何も大して考えず、そうしてきた。自民党に投票した覚えはないにせよ、結局、日本の民主主義とは、そういうものなのだろうか。

 もちろん、ちゃんとした選挙さえが行われない香港のような場所もある。だから、そこでは雨傘革命が起こった。日本は、その点は確かに民主的なシステムが確立している。

 だが、システム的に民主的なことと、本質的に民主的なことは、異なるのではないだろうか。

 とにかく、そういうやけに静かななかで、国民投票があり、改憲がある、かもしれない。その前にもう、問題を指摘されているが、集団的自衛権は「閣議決定」され、実質的な改憲は行われつつある。

 こうした動きを表立って止めようとしている政党も人も、あまりいないように思われる。

 わたし自身、はっきりいって、この場をどうしようというような、考えも力もない。多くの方々は、そうであろうと思われる。無力感は、長い不景気とともに、雲のように何か不気味な影を前途に投げかけている。

 そんななかで、サザンの紅白の騒動があった。

 わたしが用意した資料として、例のサザンの「紅白騒動」と「美味しんぼ」の「鼻血問題」を取り上げた朝日新聞の「表現をめぐって…」のコピーがあった。(これは、先日ブログでも紹介した。)

 記事は、「表現」が、政治がらみの磁場の中で、これらの作者、サザンや雁谷哲さんがいったいどういう意見の持ち主なのか、その「立場」を追及し、「あいまいな態度を許さない」という、表現の「聞き手」「読み手」の硬直性みたいなものにスポットをあてていた。

 今日の話の場で、サザンについては、「あまりにも中途半端な批判だった」と言う意見も出た。

 いろんな関係者の思惑を「代表する」ものであるにせよ、謝罪するべきではないとも。

 褒章のこと(ライブでの褒章メダルの軽い取り扱い)もからみ、桑田圭介本人の謝罪で終わったこの事件の意味を、記事は、表現者にその歌詞の意図を説明させるのは、『聞き手』の側のある種の「衰弱」「度量のなさ」を示しているとする識者の意見を紹介していた。


 わたしとしては、こういま書いてきて考えるのは、そのような方法で表現者を追い詰めることは、やはりよくないと思う。これは、いわゆる「表現と政治」の問題でもある。だから、メッセージソングであるのなら、それに応じた「振る舞い」があるべきだったのかもしれない。

 たしかに、そこまで考えたうえでの、行動なら、批判に対する弁明も考えていたかもしれない。

 だが、おそらく、予測がなかったわけではないものの、こんな大騒動になるとは思ってなかったのではないだろうか。

 こうした騒動は、しかし、批判者側の思う壺といえる。表立って「物を申せない空気」を蔓延させちょっとでも批判を言うと、こうなるよ、と言う脅しにも思える。それらは、「全体主義」的な考えの常套手段である。

 もちろん、謝罪などすべきではなかったのであるが、彼らは人気商売でもあり、雁谷哲の場合も、「関係者に迷惑がかかる」と言う理由で、漫画そのものに手を加えると言う事態に追い込まれている。仕方なかったのだろうか。

 とにかく、問題は、その「空気」であって、どうそれに対抗できるか、であると思う。

 あと、学校や子供の教育の話にもなった。教育の現場でも、こうした「全体主義」っぽい空気があり、大人だけでなく、子供の世界にも、変わったことや人と同じでないことを許容しない空気があるらしい。

 だが、これは今に限って発症したわけではない。日本人の「周りに合わせる」気質、「世間」の目をまず気にするメンタリティの発露でもあると思うが、それがどうも度を越しているようなケースが、実際の体験として話題に上がった。

 個々人の個性、ゆとり教育、を叫んでいた1990年代の学校は、昨今の児童の学力低下の反省から、3年ほど前から、完全に「ゆとり否定」にガラッと方針転換した。そのこともあり、どんどん同調圧力が強まって、息苦しくなっているさまが伺える。

 結局、明治の近代化以来、西欧の個性、自我自立型モデルを目標としてきた日本の教育は、大学受験テスト成績による学校序列を基礎とした学力競争へ回帰したのだろう。個性、人との違いを強調することはやめ、もっぱら同じルールでの勝ち負けを争う競争型モデルに移行したようだ。

 まあ、こうした話題には事欠かない。

 憲法について、「わかりやすさ」のことをテーマに選んだのは、わたしとしては、昨今の政権の改憲の動きを反映して、憲法を勉強しよう的な流れがあり、その種の本のうたい文句が「わかりやすさ」だったからだ。

 じつは、「表現」というのは、サザンの場合がどうだったかは、実際にわたしは歌を「紅白」でも聴いてないし、わからないが、「わかりやすさ」とは対極にあるものだと思う。それは、時に、作者「作り手」の意図とは違って生きるもので、だからこそ、「表現」なので、制作意図の完璧な反映ということは、ありえない。

 意図を反して、なにがしかの感慨を与える。そういうところ、受け手に「ゆだねる」スタンスは、表現の「核」であると言える。

 憲法は、法律であるから、「わかりやすい」ことが求められるのだろう。

 だが、これほど、それを「わかりやすく」するための本が手を変え品を変え出ているということは、どういうことか。そして、それを読んで納得している人が、果たしてどれほどいるであろうか。

 憲法の思想は、「立憲主義」であるとされる。それは、国民が施政者の横暴を防ぐという目的を憲法が持っているということだ、と説明をされ、納得する。

 あるいは、権利、「人権」が保障されており、憲法がなければ、われわれの「人権」は侵害されかねない。そういったことについて、それらの本は、「わかりやすく」解説してくれている。

 それらは、しかし、あくまで憲法の原理であり、説明を受けてすぐわかるものかというと、やはりそうではない。

 「人権」ということばは、実は、キリスト教から来ている。”human rights ”は、実は、旧約聖書にある言葉である。

 それが、そういう歴史のない日本人にすっと入ってくる言葉だろうか。

 また、以前このブッダ・カフェで話題になったことがあるが、前文の「われわれ」は、weの翻訳であろう。

 しかし、英語のIは、単に日本語の「わたし」という意味以上の「西洋思想」そのものであり、youが、日本語の「あなた(=こんな言い方は日本語にじつはない。あきらかに翻訳語であり、日本語では「夫」の別名でしかないが、とにかく)」とも同じ意味で違う。

 「われわれ」という言葉のさす実体が、「近代市民」としての「われわれ」であり、われわれが、そういうたぐいの「市民」ですと、どうもいえないような気がする、もやもやしたところがある、そんな話をした覚えがあった。


 それがどうだ、というのではない。そもそもこうして定着しているから、いまさらそんなことを言うことが何の意味があるのか。もっともな話だ。洋服と同じだ。

 だが、そうした隙間と言うか微妙なぎこちなさがあり、ぴったりしたサイズでフィットした感覚がないことは事実ではないだろうか。

 以前から、この憲法をテーマとしたバガボンド・カフェで取り上げている加藤典洋さんの『敗戦後論』では、この憲法が、占領軍の草案を翻訳したもので、日本人の作ったものではなく、かつ占領という強制を背景に成立した(いわゆる「押し付け」)という敗戦期の「手にされ方」を問題にしていた。

 いいもの、優れた民主的な思想であっても、武力を背景にそれが手渡された。つまり、「自主と自由」を謳い、ユニークな非戦の誓いを唱えた思想の表現が、敗戦という歴史のなかで、「強制」されたのだ。

 それは、日本人の深層心理に<ねじれ>を生んだと加藤は言う。

 もちろん、この歴史は、当時の敗戦国、たとえばドイツにも共通したもので、加藤は、『敗戦後論』の冒頭で、何十年かまえに、Dデイ(ノルマンディ上陸作戦)祝勝記念の催しに、時の首相コールが参加表明をして、旧連合国から、出席を断られると言うニュースを報じた、西ドイツの代表的な新聞の記事を引用していた。

 そこで、加藤は、西ドイツでは、日本では隠蔽され、つまり「ないもの」とされている<ねじれ>を、ある「苦い認識」として、ドイツ人が共有し国民的コンセンサスを得られているような状態を、日本との違いとして紹介していた。

 その<ねじれ>を自覚していないことが、日本人が、憲法をいまも、自分のものとできていない原因ではないか、と加藤さんは、書いているわけではない。だが、たぶんそうではないかと、わたしは考える。

 <ねじれ>の自覚がない、とは、改憲派とよばれる、現政権につながる「9条否定派」にとって、これほど、たとえば、その西ドイツの場合のように、きわめて複雑かつ、いとうべき苦いものではないことを意味する。

 つまり、あくまで敗戦期に「押し付けられたもの」なので、改憲すれば問題はなくなる、という、きわめて単純な問題としてあらわれる、と加藤は言う。


 そこには、「解消」はあっても、この<ねじれ>の「克服」はない。

 そして、<ねじれ>を「解消」するとは、どういうことか。

 それは、白井聡が最近の著作『永続敗戦論』で訴えていることであるが、「敗戦の否認」がなされるということである。「負けたこと」が、なくなる。

 つまり「歴史」の「上書き」が行われる。

 たぶんそれが、現政権の希求する念願である。そこでは、「南京大虐殺」も「従軍慰安婦」もなかったものとされる。それらは、旧連合国側の「押し付けた」、勝者の論理に立った「偽史」とされるだろう。(現にそういう論調の本がわんさか出版されている。)

 その反対に、護憲派においては、<ねじれ>はそもそもはじめからない。

 なぜなら、国民主権平和憲法は、「押し付け」ではない。

 国民が「軍国日本」の圧政の下、秘かに希求し、その「軍国日本」をやっつけてくれた占領軍から授けられたものであるから、<ねじれ>ようがないのである。それは求められて、授かった人類の叡智で、そうやって歴史は「進歩」する。

 そこにも、複雑な思い、屈折した苦い感触はない。いささか安易といえる「身軽な」節操のなさがある。

 こうした論述は、実際「わかりにくい」。

 それは、先日も書いたように、敗戦の歴史、その結果形作られた日本社会の「隠された次元」を見ようとしているからだ。

 なぜそれが必要かといえば、表層に現れた問題を解決するためであり、それが、時間や手続きはかかっても、それ以外に方法はないからではないかと思われる。

 「わかりやすく」解説されることは悪いことではない。しかし、それですぐわかるかと言えば、そのような「わかりかた」が、ある場面ですぐ覆されてしまうことも、容易に予想される。

 あえて「わかりにくい」が、時間をかけて練られた論述を読み、自分も同じくらい時間をかけて考えるということが、目下、急ピッチで改正をもくろまれている「憲法」が、どういうものかを知り、いかに扱うのが妥当か答えを出すために、何より必要で、それは「選挙」に参加するのと同じくらい民主主義にとって、大事なことではないか、と思ったしだいである。
 
 以上のことを、今書いてみて、その場で言いたかったのではあるが、こうしてなかなか書いてみないと、「わからない」というのも難儀なことではある。

 また、続きは、今度書きます。