6月25日バガボンド・カフェの資料その4〜前回のブッダ・カフェでの話題「日本語と法律」

先月5月25日に、ブッダ・カフェが行われて参加した折、面白いことが話題に上がりました。
それは、英語と日本語のちがい、というか、日本語の多義性というような話題でした。

たとえば、先日刊行された、3.11直後に東北を青森から仙台まで徒歩で旅した藤井豊さんの写真集があります。この日本語タイトルは『僕、馬』なのですが、編集にあたられた扉野さんが、この本の英訳をネイティブの方(アメリカ人)に依頼されるにあたり、このタイトル『僕、馬』をどう下訳するかについて、いろいろ頭を悩まされたそうです。

結局、そのタイトルは"I am a Horse"になりました。案外ネイティブの翻訳家の方は、即決だったそうです。

そのネイティブの方は、『僕、馬』の英訳を「ふたとおりしかない」と解され、このタイトルのもうひとつの訳し方は、"A Horse and I"だったそうです。

ところが、日本人としては、普通、『僕、馬』から、もっとたくさんの訳し方を考えてしまいかねません。

写真なしでタイトルだけで考えても、ここから連想するのは、その二つしかない、という英語圏の方の発想と、われわれ日本語を日常語とする人間の発想に、誤差、といえばいいのでしょうか、そういう「隙間」が存在する、そういう話になったのでした。

そこから、「憲法」に話題を転じますと、この「日本国憲法」は、実はアメリカ占領軍が英文として最初につくり、その後、驚くべきことながら、たった2日間で「徹夜作業の末」翻訳が完成し、新聞に発表、連合軍司令長官マッカーサーが承認し、その後「帝国議会」で三ヶ月審議したうえで、可決され、誕生しました。

ひどく突貫的に作られたうえに、「翻訳」され成立しているわけです。

その成立過程はさておき、その突貫的「翻訳」と3ヶ月の審議の結果、今の憲法があるわけですが、日本語圏では意味の通じない観念が、かなりあったことは疑いえません。

先日、わたしはあるところで、「東大話法」の著作で有名な安富 歩氏のスピーチを聞く機会がありました。そこで、氏は、「日本人には、まだ『権利』ということばの意味がわかっていない。よく口にして主張していますが、そもそもこのことばが、旧約聖書の"human rights"から来ていることを知っているでしょうか」と、話していました。

その文脈で言えば、そもそも、Democracyを、「民主主義」と訳していますが、本当に日本人が、当時もいまも含め、「民主主義」と口先では唱えているものの、その意味を理解しているでしょうか。

Democracyの語源は、おそらくギリシアだろう、くらいの知識しかないものの、これが日本社会に昔からあった観念でないことは、誰でもわかりそうです。しかし、「民主主義」というと、すぐにわれわれには馴染みのもののように思います。

この憲法ができて、約70年を得ようとしている今は、もうその「民主主義」が板についてきたからでしょうか。

ちょっと脱線しましたが、わたしが今言いたいのは、そのことではなく、「日本語」ということばのことです。

学術的に言うと、どうなるかわからずに、綴っていますが、「日本語」は、おおむね意味が複数になりやすく、前後の文脈で意味が変わるし、翻訳してしまうと、こちらの思いが必ずしも伝わるわけではない、ということです。

これは「憲法」の翻訳とは、逆の話ですが、先日のブッダ・カフェに話を戻しますと、たぶんいま話題の「集団的自衛権」のような問題は、欧米ではあまり起こらないのではないか、ということを話しました。(実際に、どうかというと、ドイツの例もあり、検討も必要でしょうが、、)。

つまり、日本語の法律が、読みようによって解釈が変わる余地があること、それが日本語以外の文化圏では、わかりにくいだろうということです。

英語なら、ズバッと一通りしか意味の通らない文章が、日本語だとそうズバッとは、意味が通りにくい、ということです。だから、言い回しがすごく馬鹿丁寧になる傾向があると思います。

もともと、日本は「法律」というものが、近代になるまでほとんどないといっていい国でした。

そのことを、ほぼ20年前の『思想の科学』特集号「戦後検証③いま憲法をどう考えるか」<1995年7月号(No.29)>に掲載されたシンポジウム『半世紀後の憲法」』にて、竹田青嗣氏が発言しているものを引用します。

 …人々が、憲法について考えるメリットはなにかということについては、論点がいくつか出て、一つは、これまでの日本社会というのは、ぼんやりとした取決めやなんとなくの心理的規制があって、はっきりとしたルールなしにやっていける、あるいはルールなんてないほうがいいのではないかという感じがあった。けれども、資本主義社会というものが高度化するにつれて、ルールとかそのルールを守るための最低限の権力についての問題を考えざるをえなくなってきているのではないか。また、対外的には冷戦構造が終わったあと、いったい世界の秩序はどうなるのか、誰がルールを考えるのか。そういうことに対して、まず自分の国の憲法について考えないと、自分の存在について輪郭をえがけないのではないか。…

これは、じつは、この誌上シンポジウムに先駆けて行われたらしき、(同じ『思想の科学』に掲載されていた、シンポジウム(つまり前編)の話の内容をまとめている部分です。
そして、このシンポジウムのコピーを、わたしは扉野さんから今回の「資料」として提供を受けたことを、ついでながらお伝えしておきます。(扉野さんありがとうございます。)

この誌上シンポジウムには、『敗戦後論』の著者加藤典洋氏も参加されており、おそらく、当時その論考も同時に雑誌に掲載されていた時期と重なっていて、その文章との元となる、口述としての論考が散見されるので、非常に貴重な文献だと思われます。

とくに、加藤氏は、この後編のシンポジウムでの吉本隆明氏(も参加しています)の発言を、のちに「戦後後論」のなかで取り上げ、戦前からの日本の「政治と文学」の問題に「決着」をつけようとしているスリリングな箇所もあります。


さて、何が言いたかったのでしょうかわたしは、、。そうそう、あまりこの引用箇所の本題とはずれてしまいますが、日本の「法律」及び「憲法」が、以前触れたコラムで赤坂真理氏が書いていたように、「異文化」として入ってきていて、それがこなれていない、しかも現「憲法」は、占領下で急造で作られた「外国製」に近いといったことを、言いたかったのです。

ならば、やはり憲法は、さる政治家が主張するように「自主憲法」を制定すべきでは、とか、「改憲」すべきでしょう、といった話になりがちですが、ちょっと待ってください。

これは、敗戦期が遠いいまから見れば、そうなるかもしれません。また、単純に考えれば、どこかの時点で、自主憲法的なものが、現憲法に変わるべきだったという論調もわからないではありませんが、これから検証しようとする『敗戦後論』は、そうした考え方自体が、非常に浅はか(と加藤氏が侮蔑的に言っているわけではないので、念のために)で、机上の言論ではないか、今の情勢にあわせて、憲法をいとも簡単に変えれる、と思うこと自体、「法律」というものを深く考えない、日本人の表れではないか、と考えさせるものです。