「ひよし山の家」カラオケにて昭和の名曲に感慨〜雪の朝にびっくり

昨日から、所属している森林ボランティア団体の新年の泊まり活動に参加。一日目、昼間は、炭焼の準備。この団体の定例行事のひとつは炭焼である。炭焼窯は、この地域の「生き残り」の方に、昔の炭焼の窯を再現してもらったものらしく、その方もこの日来ていただいていた。
昨年11月にその炭窯に竹をつめて焼いたのだが、それをまず出し、今回は「炭材」として一般的なナラやカシの樹を90センチの長さに切ったものを、窯に新たにつめていく。
竹炭は、窯の奥に行くにつれて、表面が銀色になり、硬いガラスのような音を立てるものも出てきたが、窯の入り口付近のものは、もろく崩れやすいものだった。
今回が、竹を炭にするのははじめてだったらしく、思ったようには行ってないのが現状。次回の反省材料とする。
この日は、作業が押せ押せになってしまい、結局、簡易的な窯の入り口の石組みをして、その口に火をおこし、短く切った薪を大量に放り込んで、初日の火入れをする。
その元炭焼師の長老のお話では、仮にそのあとの火入れが、時間をおいてであっても、窯に樹を入れたあとすぐ火を入れておくと、非常に楽に再開できるらしい。
残りは、次の日にまわし、そこで一日目の作業は終了した。
この日は、天気予報によると、雪の予定で、来るときも心配しながら来たのだったが、作業を終えるまで降らずに、時々晴れ間もある穏やかな天気であった。
夕方になり、少し風が出てきたが、特別寒くは感じず、次の日まさか、あんな大雪になるとは、思わなかった。
毎年、新年のこの活動では、日吉町にある「日吉山の家」に宿泊されていて、わたしは始めてそれに参加した。
いままでも、泊りがけの活動は何回かあったが、食事は自分たちで作るバーベキューや鍋であったりしたので、まかないつきの旅館風のところは、この会としてははじめてであった。
近くの「ひよし温泉」にある風呂によってから、そこについたのは、午後6時過ぎ、その時点では、正月に降った雪の名残はあるものの、白いものは景色を占める部分は少なかった。
ところが、朝起きると、あたりは一面の雪で、しかも吹雪であった。

さて、夜のことだが、宴会があり、最後に会員の方が持ち込まれていたカラオケセット(マイクにカラオケ動画データが入れてあり、テレビにケーブルでつなぐと、カラオケBOXと化す。すごい機械だ。)を稼動させ、歌うことになる。
すでに寝始めている方は、この音が廊下をはさんだ部屋にももれ聞こえ、眠れなかったとか。。。
そこで、歌われた歌の中に、世代的には昭和30年代以前の生まれの方が多く、昭和の歌謡曲(演歌もある)が、必然的に多くあった。
そこで、歌ったり、聴いたりしているとどんどん記憶がよみがえってきて、その曲を聴いた当時の家の様子や、学校の友人のことなど、思い出がとまらなくなり、かつ、平素は完全に忘れていた出来事なども思い出してくる。
たとえば、こんな歌に、非常に当時の時代を感じた。

この歌は、今も名曲のひとつとして、ペトロ&カプリシャスのリード・ボーカルだった高橋真梨子が、今も歌っている。わたしには、あの70年代中頃の時代をフラッシュバックさせる格好の曲である。
「5番街のマリーへ」は、1973年発表、続いてそのアンサーソングとして作られたのが、「ジョニーへの伝言」1974年発表。阿久悠作詞、都倉俊一作曲の黄金コンビの作品。
この「ジョニー」という名前は、非常に歌謡曲には親しまれている名前だが、最初に歌謡曲でヒットしたのは、この曲ではないだろうか。(あまり知らないが)
ただ、「5番街のマリーへ」は、歌いたいと思い、探したが、そのカラオケセットには入っていなかった。
ただ、もう一人どうしてもこの時期はずせない歌手がいた。その歌手が、なんとこのペトロ&カプリシャスのその曲をカバー?していたので、紹介する。

なんと、このレコードは売れたのだろうか。
ちあきなおみといえば、どうしてもあのレコード大賞の曲が思い出される。わたしが確か、小学生のころ、年末テレビでこの大賞受賞の模様をリアルタイムで見ていた。この曲がどうしても忘れられない、と言っていた方が、その場にいた。確か高校生が大学の頃だったようにみうけられた。

そうして、思い出にふけっているうちに、外では雪がコンコと降り続けていたのである。
次の朝は、雪で真っ白になった国道を走り、活動地にいったん集まり、状況を確認。あたりは、雪が降りやまず、周りの山は雪に煙って見えなかった。足で踏むと長靴がすっぽり埋まってしまう。水っぽくない、やわらかいふかふかの雪である。しかし、雪に入ると、足は凍るように冷たい。
久しぶりに、このような寒さを体験した。
2日目の活動は中止となった。
旅館では弁当も用意してもらったが、その弁当と会長からお茶を1本づついただき、帰れるかどうか不安なまま、雪道を市内に向かう。わたしは、市内に住まれる方と車に相乗りさせてもらってきたので、その方と一緒に、この活動とは別に、農場の手伝いもしている日吉町の別の場所に寄った。

そこも一面雪景色で、あたりの道は除雪車が動いていた。スコップを手に道のわきを雪かきしている方も多数見受けられた。
帰って、ニュースを見ると、やはり全国大雪だった。市内は、ところどころ白い箇所はあるが、たいしたことはなかった。
が、いま、夜中まさに雪が降り続いている。。。
たしか、しかし70年代の冬は、毎年これくらい寒くなかったか。雪は、記憶を喚起させてくれる。