月夜

昨夜、今夜と満月が煌々と夜空に輝き美しい。こんなに月が輝く夜もめずらしい。
こよい月はいよよ愁しく、
養父の疑惑に瞳をみはる。
中原中也の非常に初期のころの「月」と言う詩だ。
この「いよよ」というのを感じだけよく覚えている。
わりと中原の最初の頃の詩は、意欲的にダダと呼ばれていたいわゆるシュールレアリスティックな詩が多く、少し理屈っぽさがあるのも中原らしく、いい詩が多い。
その中に、よく教科書などに掲載される「朝の歌」「サーカス」「臨終」「帰郷」等名作が一杯ある。
昔は、といっても遥か昔のはなしだが、こういった詩を読んだりするのを高尚な文学青年的なイヤミな趣味としてクサく思い勝ちだった。
中原のことなどかなり忘れられた今こそ、曇りない目で、彼の詩を味わえるような気もする。
そしてこれら彼の初期の詩編こそ、わたしたちに彼が残してくれた形見である。
そこには青春に共通するアンニュイさとブルー、希望と燃えるような純粋さを、特徴あることばと風景でとらえ、ふと口をついてでてくるみごとな「うた」として、実在させることに成功している。

かかるをりしも剛直の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕拱みながら歩み去る。「夕照」

しかし、不幸にも、このようなはかない青春をテーマに、あのセピア色の昭和日本においてフランス象徴詩の高踏な思想と気分を、日本語で達成し得た輝かしい成果を、当時は誰も(友人であった小林秀雄河上徹太郎らは別だが)顧みなかった。
中原は人間的には不器用で、ごつごつしていて会う人にみな、喧嘩を売るような男だったらしい。
彼は結局若くして死んでしまうが、初期の覚えやすい輝かしい詩が調子を変え、どんどん孤独な袋小路に入ってゆき、自分を追い詰めてゆくような響きをたてるのが、わかる。
それを友人でもあった小林秀雄は晩年の中原の詩をさしていると思うのだが「彼の詩は、彼の生活に密着していた、痛ましい程。…彼は詩人というより寧ろ告白者だ。」(中原中也の思い出)と言っている。
なにかわけがあったのかわからないが、この我が国の近代文学に欠かすことのできないこの詩人と大批評家がともに過ごした青春に、影を落とした事実があった。
長くなってしまったので、またの機会に譲ろう。