京都は海だった?

仕事残務残り、帰るとき、ややもするとタクシーになる。
昔からの習慣のようになっていて顔見知りになった個人の運転手さんとははやいもので10年のつきあいになる。黙っていても家まで運んでくれる…(一度慣れると他のタクシーに乗ったとき、道を教えないといけなく煩わしい…)
たいてい狐坂と呼ばれる宝ヶ池に向かう急坂を上がり、トンネルを越えないと帰れない。狐坂は一年か二年前に大工事をされ、名物だった大ヘアピンカーブは消え、高速道路のような見事な高架に作り替えられた。
坂道斜面の木ももちろん切られ見晴らしが異様によくなり、ちょうど松ヶ崎とよばれる一帯の街の灯が一面に輝き、夜景がきれいだ。今日もそこを通り、いつもは眺めたことのない夜景を楽しみながら、なにかに似ていると思った。
山から夜景をみたら、みんなそうかもしれないが…
岬の景色だ。夜だと町が暗いのでよけいそう思える。
おそらく古代は京都盆地は海だった(もしくは湖か)のであろう。でなければ、なぜ松ヶ崎に梅ヶ海道町なんて地名があるのか説明できない。
古くは奈良時代、あの大阪の四天王寺のある上本町台地は、岬だったことは、聖徳太子が古代中国の王朝から来る船が、まず目にするようにそこに四天王寺を建てたという話がある。
松ヶ崎はおそらくその頃からの地名ではないか。ただ京都の場合内陸であるので、湖だったろう。
また、京都の地下水の豊富さは古来から有名であり、地質調査の結果、古くより京都の地下には広大なそれこそ琵琶湖ほどの地下水の湖があったという。
過去形で書かざるを得ないのは、もはや地下水が昨今の自然破壊のため、急ピッチで涸れ始めているからだ。
しかし見慣れた風景も景色がちょっと変わると以外な顔を見せてくれ、いにしえを伝えるサインみたいなものを出してくれる。
ただの思い込みだろうか?