ゆとりのなさの競い合い

会社の近くに知人がやっているアメリカンめしやとパブの合体した店がある。
スピーク・イージーという店で、本店は修学院にあり、人形が店の壁から突き出ていた店といえば、わかるかもしれない。(今は人形はなくなっている)
そこで昨今の世間の話をしていて、結論として、余裕がないのではないかということになった。
たとえば会社は株主や内部統制が厳しく、短期短期で結果を出さなければならず、極端に短期に結果を出せないことには手を出さないであるとか。
人を育てる余裕がなく即戦力の観点で人を採ったり、今は切られているものの、自社で育てるより派遣をもっぱら雇うであるとか。
親は子供を小学生から塾に通わせ大学付属の中学受験に成功させ、将来の安定を早めに確保するとか。
それらの行為が寄せ集まって、いうにいわれぬ息苦しい閉塞的な社会が出来上がって、たとえば、帰りに好きな酒をひっかけて楽しむとか、子供の成長をゆっくり見守るとかいうことがものすごく贅沢なことになってしまっている。
そう意見が一致してしまった。
なぜわれわれはこんなに忙しく時間に追われ結果を焦るようになってしまったのだろう。もしかすると今や競争は金やモノを持っていることではなく、時間にいかに追われているか、いかに余裕がないかの競争になってしまっているのではないか?
これは冗談にせよ…