テルサでの就職セミナー〜京都駅近くの思い出のスポットにて内田先生の本を読む

今日(20日)は、昼間ものすごく、春みたいに暖かくなった。夜NHKのニュースでインタビューを受けた男性が「(それよりは)景気が暖かく、冬は寒い方がいい」と言っておられたが、全く同感である。
今日は、京都テルサという施設で、中高年の就職セミナーがあったので、どんなものかのぞきにいったところ、そのあまりにも少ない参加企業と求人の制限の多さに、雇用情勢のますますの悪化を感じざるを得なかった。
対象が定年退職(予定)者、45歳以上の事業主都合による退職(予定)者等の求職者、とあり、ギリギリ下に属するので、知人と参加したのだが、参加企業は当初予定の15社を大幅に下回り、7社8職種のみで、そのうち正社員の求人は6職種のみであり、そのなかでも営業や事務職はなんと2社のみ。あとは、資格や経験要の専門職の求人ばかりだった。
たしかに、この冷込みは異常であり、われわれ中年もそうだが、最前線にいる新卒者の苦難はもはや90年代はじめの「氷河期」を越えているように思える。
パソコンで職業適性がわかる診断コーナーが会場にあり、受けてみた。何年ぶりだろうか。昔、新卒の頃受けた思い出がある。
私の適性は、職種ではサービスや芸術分野がいいと出ていたが、結局自分の希望の反映でしかない。しかし、データとして出てくると、何か変な効果があるようにも思う。
仕方がないので、少し施設を見学した。
京都テルサは、京都駅のさらに南、九条通のちょっと南にどかんと建っていて、知人もわたしもはじめてで、そのドームのような威容に「え!?」と驚いた。西館、東館の2棟建ての超豪華な施設である。テナントとして政府系の財団法人等も入っているが、大半は就職支援の相談窓口や消費者相談窓口などがある。「ジョブカフェ」「ジョブカード」などの聞いたような看板やポスター、カラーのきれいなパンフレットなどがふんだんにある。ホールや、食事の出来るエリアもあり、空間も大学なみにゆったりしていた。一般のハローワークの超混み具合と喧騒とは、天と地の差がある。
しかし、施設の立派さとセミナーの実質的な内容とは比例しないようだ。。。かつては、企業も雇用に力を入れ、もっと華麗なイベントが繰り広げられていたのだろうが。対応の職員の方も、こころなしか非常に気を使われていて、こちらが恐縮する。

テルサから出て、京都駅八条口アバンティ地下のマグドにて、今後の展開を考える。なかなか求人を待っていても仕方ないので、今勉強中の検定試験をまずクリアしていくことを考えようか、、など。ここのマクドは、となりのミスドと店舗を共有しているが、ほとんどの客は中高生で、3から4人が固まってだべっている。なかにひとりノートや教科書を広げている女の子がいた。受験生だろう。受験の季節だ。京都駅周辺はSやYの大学受験大手予備校がある。

このあと、一人でバスで帰るつもりで(結局は地下鉄に乗ったが、、)京都駅周辺をぶらついた。
このあたりは、仕事で京都へ来る客のホテルの予約や前払いの宿泊費を支払いにきたりしていたので、懐かしい。(懐かしがっている場合ではないが、、)とくに、昔、わたしの入社当時の上司が、京都駅のすぐ北にあるマンションに住んでいたので、時折来ることがあった。
ついでに、そのマンションの前を通ってみた。すると、今日は暖かかったからか、夕暮れの気配に春を微妙に感じた。人の動きや、明るい街灯の見え方が、ちょっと浮ついた雰囲気に見えた。
歩道から、京都タワーの頭の部分が見え、そのうえに三日月が出ていたので、写メした。

入社当時のわたしは、今で言うニート上がりに近く、出来の悪い社員だったと思う。アルバイトもあまりしていなかったので、そもそも仕事の要領が極端に悪かった。その上司は、少し困ったろうが、本当によく面倒をみてくれた。怒られもしたが、それはことごとくありがたい教えであった。(特に当時のわたしの配属部署ができたてだったためその上司と二人で仕事をしていた環境がよかったのだろう)
一度、その上司は、わたしにかつてご自分で大学時代所属されていた少林寺拳法の心得を、仕事のために教えてくれたことがあった。なかなか、続かなかったが、今思うと「武道」の心得が仕事の流儀と何か関係があると考えていたのではないか。
と考えるのも、いまや書店で破竹の勢いの内田樹先生の本に、この先生もご自分が合気道の師範をされていて、その身体活動と哲学との誠に深くも、真実な話をよく書かれているからだ。
ちょうど、内田先生の文庫を買ったばかりの新刊だったが、持ってきていたので、そのマンションの向かいにあったAPAビラというホテルのカフェコーナーに入って、読むことにした。その、関連性に気づいて、驚いたのはそのあとのことだ。
いまをときめく「日本辺境論」の著者内田樹先生は、神戸女学院大の教授である。だからといってみんなが(私がこの人のことをはじめて知ったNHKFM大貫妙子の番組でも、「内田先生」と呼ばれていた)「先生」と呼ぶのは、なんだかおかしな感じがした。
しかし、内田先生の本を読んでいると、その「先生」という呼称は、どうやらこの方の場合、作家先生や、某有名教授や博士の「先生」というより、雰囲気としてわれわれの中学や高校で接していた、担任の「センセイ」の語感、あのRCが歌う「ボクの好きなせんせい〜」という語感に近いものを感じる。親しみやすい文章だ。
そして、合気道というマーシャルアーツの専門家でもあるらしい。それらを含めた、昔よくいた学校の「先生」である。恐くもあり、懐かしくもある。
こうした方が、大学教育の現場で地道に仕事をされて、かつ哲学だけでなく、その身体を使う武道家の観点からも現代社会の批評をこなされていて、それこそ日本の20世紀の知の総括ともいえそうな名著「日本辺境論」を書かれているという事実は、驚くべきことだが、本当に面白くもありがたいことであると思う。
といっても、私は「日本辺境論」はまだ読んでいない。それより先に、文春文庫で出ている「大人は判ってくれない」と、今読んでいる「知に働けば蔵が建つ」を半分くらい読んでいるだけだ。それで、眼から鱗を落としているところである。
「日本辺境論」は、最初に司馬遼太郎の時空を超える飛躍的な思考のスケール(関川夏央さんがある著書で、いみじくも「ブロードストローク」とよんでいたが)の話と司馬さんがそのスケール(ものさし)に自ら限界を意識していた、という挿話があるところは立読みで読んだ。そのときに、これはすごい本かもしれないと感じた。
さらに、先日立ち寄ったジュンク堂京都店に内田先生が自ら作ったらしきPOPが書棚にある「『日本辺境論』は、これらの本を読んでいるうちに構想されました」コーナーを見つけ、そこにあった数々の偉大な書をみると、すぐにでも読みたいが、楽しみにしよう的な考えが生まれ、それよりもそこにあった「敗戦後論」という加藤典洋の本を買ってしまった。。(もし関心のある方は、3階のエスカレータの横にあるので、見に行ってください。なかなか、商売上手なディスプレーだと思います)
ただでさえ、やらなければいけない試験勉強や、つんでいる読みかけの本ばかりがたまる一方である。それなら、文庫をなぜ買うのか?さきに話題の本を読めばいいじゃないか、しかも、このようなくだらない日記を書いている暇があるなら、本を読めよ。
そのとおりである。反論は出来ない。
しかし、ネットのブログというメディアには、人間のとりたてて書くまでもない雑多な物事を、こうやって書いて公開してこの世に現してしまい、その結果なにかが進み始める感覚を持ってしまうという、すごいツールである。なにより、これは、「知に働けば蔵が建つ」の解説で、関川夏央さんが書いている(本当はさきに批評家の加藤典洋氏が書いていたらしいが)ように、内田先生もネットがあったから、書くようになったのではという説がある。

 ちなみに、その文庫本(これは内田先生のブログの記事をトピックを立てて編集したものらしいが)に、現在就職や転職で悩んでいる、今後ますます増え続ける恐れのある「迷える人々」に、もしかすると重要な示唆を与えるかもしれない言葉が書かれていた。
 連合艦隊の司令長官であった東郷元帥が、「運がよい男」と見られていたことについて、
 「武人の常識は『用のないリスクを犯さない』ことであるが、それが累積すると、いつか人々は『凶事に出会わぬ運の良い人』だとみなすようになる。けれども、その幸運を呼び込んだのは本人の身体感覚の洗練、気の練磨の手柄である。 
  というのは、「用のないところに行かない」ためには「用のないところ」と「用のあるところ」を直感的に識別できなければならないからである。
  私が震災のあとの大学での復旧作業の経験で学んだことの一つは『誰かが手助けを必要としているとき、まるではかったようにそこに登場する身体感覚のすぐれた人間」が存在するということであった。
  『誰かが自分を必要としているときにそれを察知できる人間=用のあるところに選択的にいる人』はおそらく『用のないところにはいかない人』と同一人物である。
  『どこに用があって、どこに用がないのか』を瞬時に察知する能力、それが武道の求める本質的な能力であり、その能力こそが『構造』の安定性を担保している。」(文春文庫『知に働けば蔵が建つ』内田 樹著、P.164-5より) 
  自分が、「どこに用があって、どこに用がないのか」を察知すれば、この社会という構造の中で、自分の最適の居場所を見つけることが出来るのかもしれない。それを的確に察知できる能力さえあれば、道は開けるというのである。
  武道の奥義が語るこの理論は、まことに卓見というしかない。

  その声をきかねばならない。それは、自分の体内から発せられる、身体的な感覚に耳を澄ますしかないのだろう。
  そして、日本の企業の方々も、そうした心の真実の声を、未来の会社を担う人材に向け、目先の不景気にまけずに、発し続けていただきたいと思う。
 
  ちなみに、うえに引用した文章の元の形のもの(文庫化にあたり文章が増えているようです。たしかに、うえに引用したことは、最近よく内田先生がメディアで語られているのを聞きました。元になる文は2006年にアップされていますので、文庫の文章は昨今の世相を加味した改訂になっていると思われます)を、内田先生のHPから見つけましたので、下記にリンクを貼らせていただきます。
  http://blog.tatsuru.com/archives/000754.php