サリンジャーの亡くなった日〜ひこうき雲みる

今朝NHKのニュースでサリンジャーの死が報じられた。
昨年の5月にサリンジャーの名作「ライ麦畑でつかまえて野崎孝訳)/キャッチャー・イン・ザ・ライ村上春樹訳ではズバリ原題)」の続編を書いた作家と出版社を訴える訴訟をサリンジャーが起こした、という新聞の囲み記事を読み懐かしく思い、このブログにも書いていた。http://d.hatena.ne.jp/izai/20090603/1244046421
矢先(すこし間が空いたが1960年末に遁世してからほぼ40年もの沈黙があったので、一年にみたない期間は矢先だろう)の訃報であった。冥福を祈りたい。
サリンジャーの名前をつい最近本のなかでも見掛けた。例の前回のブログに書いた内田樹先生の「日本辺境論はこんな本たちから構想されました」コーナーにあった本だ。
加藤典洋氏の「敗戦後論」(ちくま文庫)で、このなかでサリンジャー人気と(おそらく「キャッチャー」は日本で一番売れたアメリカ文学書ではないだろうか)戦後の太宰治ブームを比較して論じていた。
たしかにその「青春」性がぴったり相通じていて、周到な捉え方だと思った。
青春文学の金字塔として、「キャッチャー」だけじゃないサリンジャーの作品は、なんとなく気恥ずかしい思いとともに私のなかに確実にある。それは作品の素晴らしさとは別の作品にまつわる個人的な恥ずかしさとでもいおうか。
わたしはサリンジャーにぞっこんの人(わたしは一時期そうだった)とあまりまだ会ったことはなかったが、サリンジャー死んじゃったね、と話せる友人は二・三人いる。
その「死んじゃったね」の言葉のなかにいろんな思いがあるが、それに「そうだね〜」と答えたり、逆にそう答えるのを聞いたりするのに、妙になんか「あぁ」という嘆きでもないがある感覚を共有できる作家だった(長いわりになにをいいたいかわからん、、)ように思う。
日本でよもや自分の名がこうもなにかのブランド名のように人々の間で言い交わされていようとは、サリンジャーも思うまい。
もし知っていたら、すこしうんざりするに違いない。
サリンジャーはその人気のわりには、わたしの学生時代もそうだったが、評論があまりなかった。このエアポケットの分野において、村上春樹柴田元幸両氏の対談「サリンジャー戦記」(集英社新書)は類いまれなるサリンジャーの解説書になっていると思う。
この機に、サリンジャーと「キャッチャー…」の真価がもっと認められることを願ってやまない。

今日、空がきれいだった。夕暮れ前ジェット機が鋭いひこうき雲を空に描いていた。
あぁ麗しの50年代のアメリカをすこし思う。