再び宝ヶ池〜ジョギング中に聴いた歌 My Bonneiって?ビートルズも歌っていた!〜はじめてのYou Tube

昨日(12日)のこと、例のとおり宝ヶ池にジョギングに行った。すると、夕方だったが、池の周りをひとり歌を歌いながら、歩いている方(女性)がおられた。声楽的な歌い方だったが、英語の歌だ。昔聴いたことがあった。

My Bonnie lies over the ocean
My Bonnie lies over the sea
My Bonnie lies over the ocean
Oh bring back that Bonnie to me!

暮れ行く池の水に、夕日が赤く映える。なんというマッチング。私は走りながら、その歌の主を追い越しながらも、昔の光景、西部劇の風景のような夕暮れを思い浮かべた。

そして、その歌のことをこのブログを書こうとして、このMY Bonnie(はてなキーワードでもでてるかな?)をネットで検索すると、You Tubeで、下のような動画を見つけた。そう、ビートルスが初期の頃、歌っていたのだ!この動画には、ビートルズのメンバー4人の子供時代の写真も出てきて、ほほえましい。(しかし、だれがこんな素敵な動画を作ったのでしょう、、素晴らしい〜)

そういえば、キャバーンクラブのビートルズがリンゴがまだ未加入の頃(そう、この動画にもあるようにクオリー・メンが、ビートルズの前身でした!)のライブのレコードで聴いたような覚えがあった。
となると、この歌は、イギリスの民謡なのだ。(あとで調べるとスコットランドの民謡だ)ビートルズは、リバプール出身、港町だ。それだけでなく、わたしは最近で恥ずかしいが、彼らがアイルランドの移民である家族の出身だったことを知り、驚かされた。
それは、司馬遼太郎の「街道をゆく〜愛欄土紀行〜」で知った。

司馬さんに言わせると、ジョンレノンのビートルズ時代のあの人を食ったようなインタビューの言い方は、非常にアイルランド的なユーモアの表現だという。

しかし、ジョギング中に散歩の方の美声で(よく家で楽器を練習すると近所迷惑なので、京都では、鴨川やこのような自然環境に近いところで、音楽の練習をする人はたまにいる)聴いていたとき、なぜあの歌にアメリカの西部を感じたのだろう。

おそらく、西部時代のアメリカは、移民だらけで、出身地のスコットランドアイルランド、時にはフランスやイタリアもあったろうが、そうした地元の民謡を西部の開拓地でみんな歌っていたのだろう。

わたしが、つい西部の歌と思ったのは、アラモ砦の歌や、ジョン・フォードの「荒野の決闘」の音楽、Oh,My Darling、Oh,My Darling、Oh,My Darling Clementainの歌が、似たような調子や響きを持っていたからだ。

こんな風に書くと、私がいつ生まれたか、不思議に思われるだろうが、小学生のとき、私は映画音楽にはまり、一時代前のハリウッド映画(「エデンの東」や「ジャイアンツ」などジェームス・ディーンの主演作をはじめジョン・ウエィンの西部劇)の音楽をラジオからテープに録音してよく聴いていたのだ。場合により、テレビのイヤホンジャックからコードを引っ張って録音したこともあったが、、、。
パーシーフェイスオーケストラの「夏の日の恋」など、映画は見たことはないのに、音楽だけ知っている映画も多かった。
しかし、あの頃の映画の音楽はよかったなあ。同時代でも「燃えよドラゴン」のラロ・シフリンの音楽なんか、よかった。あのサントラ(そう!サントラ盤をよく買いにいったな〜)盤のシングル盤を擦り切れるくらい聴いたものだ。
どうも、映画は音楽との大切な出会いの場であったような気がする。今もそうかもしれない。(「おくりびと」や少し前なら坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」など)

映画が見たくなって来るが、なんとなく、そんな経緯で、西部時代のアメリカは懐かしい。

話がそれてしまったが、、それたついでに、アイルランドについて司馬さんも書いていたが、アメリカ移民で最も成功者の多い民族はアイルランド人である。代表は、あのJFK,ケネディ大統領だ。ジョン・レノンやポールもその中に入るだろう。(アメリカ人になったのは、ジョンだけだが)

年末に、オノヨーコがSMAPの番組に出て、ジョン・レノンとの出会いから、あの事件、そしてその後、その事件の意味を20年にもわたり考え続けて、出した答えを語るといった、感動的な番組があった。

ジョンがアメリカの永住権を得るのも、相当苦労していたことが、番組を見てわかった。彼は、CIAやFBIから危険人物として監視されていたのだ。当時の世界は米ソ冷戦下にあり、ジョンがヨーコと出会ってから、活発行っていた反戦活動は、若者に圧倒的な影響力があり、革命分子と見られていたのだ。

ジョンが凶弾に倒れたのが、1980年、わたしが高校2年のときだった。あの年の年末から新年にかけ、ジョンのイマジンやマザーがよくFMラジオで流れ、世界中が、彼の死を悼んでいた雰囲気は忘れられない。わたしにとっては、それまで単なるミーハーとして音楽を聴いていたに過ぎなかったが、そのときから本当のビートルズジョン・レノンにであった気がする。

そして、2009年の年末に、そのような特番が組まれ、確か樹々きりんさんも出ていたが、くしくも偶然、暇な身であったためもあり、見ることが出来て、なんとなく、自分にとっても、すごく節目な年であること、そして、高校生だった自分と、向き合ったような気になった。

My Bonnie の歌声も、そのメッセージだったのではないだろうか、などと思ってみたりしている。

ついでながら、音楽で新年におおいに心を広げられる動画に出会った。下記ブログにて紹介されていました。こちらは、Seaでなく、Riverだ。しかし、歌うのはHere is The Beach Boys!
http://d.hatena.ne.jp/apryl1967/20100110#p1

(宝ヶ池の鴨です。)