カラフルケースの威力〜メモ発見〜昔の恩にこの場を借りてお礼

最近、と言ってもここ数ヵ月時折だが部屋の整理をしている。
退職するまで、部屋の中はほったらかしで、ほぼ足の踏み場もなくひどい有り様だった。少しづつその中に踏み入り昔からためていた雑誌や新聞の切り抜き前の本体(あとで切り抜こうと思い、そのままとってある)、仕事関係の紙ベース書類(多くはごみ同然のもの)、自分の手帳やノート、そして本(読んだがまた読みたい本や未だ読んでない本などどうも踏ん切りがつかずブックオフに持っていけない)山のようになっていた。
こうしたものはよほどの根気と時間がないとかたづくものではない。
また冬場は長く暖房器具の置き場もないそんな場所に長居はできない。
しかしそれでもジャンバーに軍手姿で防寒し時々はやってきた。このような自身の転機のときにやっておかなければ、おそらく二度と片付くことはないであろう、という恐怖ににた思いがある。
この度、ホームセンター(岩倉にコーナンが大工と日用品の種別に二店舗もある。連休中はえらい混みようだった)にて不織布製の安い分別ケースを多数買ってきた。
これがわりと使い勝手が良く、古い手帳やノートを小気味良く入れて、一気に整理が進んだ気がした。(嘘だ・錯覚に過ぎないが…)

さてそんな一進一退の状況ながら、メモというやつ、とくに手書きのメモというのは、元の職場でとくにまだブロードバンド導入前でメールの普及してなかった90年代中頃までは、矢のように社内を飛び交っていた。
私宛に書かれた、そのおよそ1〜2割程度にすぎないであろうが、いくつかのメモが、ノートや古封筒の中から出てくる。
それを見ると、なぜかあ〜そんなことがあったな〜となかなかに普段は思い出しもしなかった些細だが心を打たないでもない、仕事上の現場にタイムスリップしてしまう。
まことに、ネット時代以前のアナログな世界でのやりとりはそんな匂いやその場の雰囲気さえ彷彿とさせてくれる気がする。
そのなかでもいまやすっかり忘れていたことだが、あるタクシー会社の住所と運転手らしき名前が書かれたメモが出てきた。わりと達筆な字だ。
はじめは思い出せずにいたが、あぁ〜と懐かしいような恥ずかしいようなそしてありがたい思いに浸され、感慨にふけった。
じつはこれはわたしがある仕事〜講座担当の講師に受講生の答案を届ける仕事だったが、を入社して間もない頃担当し、南茨木駅からその講師のお住まいのマンションまでタクシーを使ったとき、持ち合わせのお金が足りず住所等を聞いてあとで払うと言って書いてもらったメモだった。
当時職場は大阪の南方だった。わたしは長岡天神に部屋を借りていた。帰りが阪急だったので帰途で届ける仕事だ。
ところがその講師の住んでいるマンションがなかなか見つからない。住所だけで建物を見つける困難さを当時は知らず、おまけにタクシー代も用意してない最低の若造だった。
結局、あのときは講師に電話し近くまで出てきてもらったか、それともその運転手の方が親切で(当時はカーナビなどかけらもなかったが)住所のあたりをうろうろし一緒に探したか、良く覚えていない。
しかしたしかに答案を届け、タクシー代もあとで送る段取りでわたしは仕事を終えることができた。
これには後日談があり、わたしはすぐにお礼状とお金をたしかそのタクシー会社に直接持っていった。しかしどうしてかその方法を良く覚えていない。
その方はいず、事務所の方に託したように思う。
これは思いがけずもう一度その運転手と再開するという稀有な体験をした。
そこであのときのお礼を述べ、代金を受け取ってもらったかと確かめると受け取ってないという。
「あのあと持っていったんですよ」
「いや、よくあるんです。運転手はネコババするやつもいるんでね」とあまり怒らずに述べられた。
わたしは持っていったときのタクシー会社の小さな事務所と十三という住所を思い合わせた。
もう一度足りなかったお金を払おうとすると受け取られなかった。
思えば、わたしは仕事をしてきたなかでこれに似たありがたい体験を山ほどしてきたように思い出される。
その一つ一つはとてもじゃないが思い出せない。そしてこうして仕事を続けてくるなかで、日々の忙しさに追われ、感謝の気持ちを忘れ走ってきてしまった。
誰しも、周りの方やこうした出会った方に支えられ、社会に馴染んでゆく。
その思いを痛感するメモであった。

↓このように入れた。(名称はカラフルケース、左からL、M、Sサイズ。SならDVDがぴったり入る。たしかLより400円、300円、200円くらい)