整理下手の整理日記・今までの経緯と父が置いていたもの

昨日に引き続き部屋の整理をしている。
少し前までは足の踏み場もなかったが、昨年末以来の奮闘により少しは中で過ごせるようになった。まずそうしなければ、整理そのものが不可能だ。
(↓ひとにお見せするようなものじゃない整理途上の私の部屋)

しかし、そもそもなぜそんな事態に陥ったのか?明白なのは、この15年ほど、わたしは家の中を「放浪」していたからだろう。つまり片付かない部屋を簡単に見捨て、別の部屋に本拠地を移し、また捨てれない本や資料等を置きっぱなしにし、元の部屋は倉庫となり、必要な本があれば取りに行く。
そうやってわたしに半分占領されてしまった部屋は狭い家ながら台所兼用の居間もふくめ応接間、元弟の部屋兼現わたしの寝室、四畳半の和室、そして仏間の四つにもおよぶ狼藉ぶり、必要なものがどこにあるかは、一番最近に作った島を探せば見つかるといった始末、ある本がどこに行ったかわからない事態もよく発生する。
(会社でもそうだったような…)
持っているのにあらたにまた買った本もすくないがある。
とはいえたいした支障がなかったのは、もともと家で過ごす時間が在職中はほとんどなかったからだ。多くの30代のパラサイトと言ってはいけないかもしれないがシングルは、所帯持ちに比べ、例外もあるだろうが、どうもそんな傾向にあるのではないか。これが独り暮らしのマンションなら別かも知れないが。
しかしどうやらそれが風水でいう運気の停滞をまねきわが首をしめるようなものであることを実感した。
これではいけない、悠長に構えていてはダメだと自らを奮い起こした。
まずは「捨てる」ことだ。雑誌の特集でよく整理整頓が取り上げられるが、「捨てなければ埋め尽くされる」なんてタイトルもあった。
わたしは子供の頃より掃除は好きだった。しかし二度とおそらく目にすることはない思いでの夏休みのプリントなどを、分類して保管するのが好きだったので、ものを捨てるのが得意ではない。
いまさら小学生時代のプリントを捨てるには忍びないがそもそも部屋にあるのが怖い。
これには深い事実が隠されているのを最近発見した。
先日、かねてから課題であった家の庭にある(ほんとの)物置の掃除をしていたら、亡くなった父が大事にとっていた工具やゴム製のマット、訳の分からない金属、無数の小ネジやナットが出てきた。

父が置いていたネジの一部と図面をメモしたノート(下)


父は電子メーカーの下請け工場で働いていた。たぶんそこで作ったか使ったものなのだろう。不要になったものを持ち帰り、今度何かの折りに使おうとするこの性格は、わたしそのものであり、まさに遺伝であった。
考えようによっては必要なときなどあまりないのである。父の死後そんなものがたくさんでてきていたが、便利なものもたしかになくはなかった。ある意味小ぶりな板やヒモ類など便利でありがたいこともあるが、こんな小ネジや金属などを大事に保管していたとは。たぶん昔はホームセンターがなかったからだろう。いざというとき買うとなると店もなくおまけに高価だったはずだ。
いまやコーナンに行けばありとあらゆる大工道具が安価に手に入る。父が生きているときには間に合わなかったが、もし父がコーナンを知れば飛び上がるほど喜び毎日行っていただろう。
いまや便利グッズ、たとえば冷蔵庫の中や小物の整理棚であるとか、丸形で物干し竿ごと留めれる洗濯ばさみであるとかは、コーナンにいつのまにか並んでいるが、昔はなんやかやとその種の「もしあれば便利だな」的なグッズは自分で材料を加工し作るしかなかった。そして多くの場合少量しか作れず間に合わなかったはずだ。
父は庭のレンガもななめにカッコよくつむなど既成のやり方を拒み、自分でどこかの家で見たようなデザイナー的なことをやりたがる人だった。
しかし本職でないためになかなかに苦労して試行錯誤していた。そのため完成するまで長くかかりいまだに中途半端な万里の長城と化している。
なにかにつけ不便で発展途上だった昔のことを思うと本当に個人のニッチなニーズに合った商品が安く手に入る時代になった。
ほとんどが中国か韓国製ではあるが。

話がややそれたが、ともかくそうやってものを置いておくばかりだと使わないものがどんどん増えていく。
なので捨てる技術が重要になる。
そこで、あのカリスマ主婦近藤則子の出番である。
朝日新聞の土曜版に「家事の花道」が連載されているが、そこにも常に掃除は捨てることに始まり捨てることに終わります的なありがたいが耳に痛いお言葉が随所に見られまぶしい。
近藤流捨てる技術はまず直近の物から整理せよ、ということだ。
昔のものは思い入れがあって捨てがたい。しかし最近のものはわりと簡単に要る要らないが判断できる。
そこでまず直近の事物を整理し、その感覚が消えないうちに昔のものにかかれば、すこしは簡単に判断できやすいというわけだ。
達人の教えに従い、試みてゆこう。
ここで日頃感じることだが女性はわりと潔いということである。
わたしの母は二年前にくも膜下出血で倒れて以後、あまりこだわらい性格に変身したが、もし前の性格であればわたしの部屋から飛び出して方々に散乱する本やファイルなどは、とっくの昔に捨てられ処理場で焼却されていたことだろう。
どうも男は傾向として思い切りが悪く思い出に執着するように思えてくる。