震災から10日〜個人による支援物資送付募集の件 被災地支援の「セオリー」は正しいか

震災から10日経った。昨日、9日間自宅の中に閉じ込められていたおばあさんと孫が奇跡的に救助された。冷蔵庫のすぐ近くに閉じ込められ、食料を祖母と分け合って16歳の少年が生き延びていた。
救助隊の音は聞こえていたが、外に出れなかったという。空間は一部屋くらい、立って歩くのがやっとだったらしい。外からは、わからなかったのだ。
この話は、今回の震災の、おそらく今でもそうと言えるが、なんとなく象徴的なエピソードみたいに思える。
この地震は、外からはわかりにくい。おそらく茶の間やマスコミ情報からは、決してわからないのではないか。(しかし現実というものはそうだといえるが)
当初、阪神大震災の教訓から、支援物資の送付や個人が被災地に支援に行くことは、一般的なルールとして、タブーだという情報がマスコミ、ネットでも多かった。
安易に義侠心にかられ、被災地に赴いても、足手まといになる。また、物資は有り余る地域が出てきたり、足りないものが把握できなかったり、配分が難しく、今回の被災地では、悪い情報(物資の奪い合い、原発事故により警戒すべき放射能汚染地域が発生したり)もあり、素人が出向くことが、結構激しい調子で自重ないし牽制されていた。(例)被災地にボランティアへ行きたい、という方へ…(とりあえずの注意事項) - 桜井政成研究室
これは、おそらく正しい。誰も、その正しさを否定はしない。
しかし、その正しさが今回の場合、本当に正しかったのか、という疑問はやはり今でも残る。

理由は、以下のブログにても述べられていたが、被災者を救済すべき自治体そのものが被災し、解体してしまったからだ。昨日テレビで報じられていたが、確か宮城のある市の市長は、津波の被害で亡くなっていた。この点、阪神大震災のときとは大きく異なるとのこと。→被災地に救援物資を! いま私たちに求められていること | 佐々木俊尚公式サイト(このブログにいろんなツイートがあるので、ぜひご覧ください)

わたしがこのブログの2回前に紹介した、ベンチャー企業の社長たちが、お互い連携して情報を共有し、勇躍物資を被災地に運んだこと内山幸樹のほっとブログ : 実際に現地に物資を運んでみて分かった「最新情報」 - livedoor Blog(ブログ)は、いままでの常識から言うと、上記のセオリー無視の暴挙ともいえるだろう。(ただ、彼らは被災地支援の経験がある方々だった様子)

おなじく、被災地への援助物資の個人的な送付について、日本ユニバ(正式名:日本ユニバーサル研究所=「ユニバーサル規格」という産業製品の認定規格普及と運営資格教育機関らしいが)が、いちはやくネットで被災地に個人援助の物資を届けるとステートメントを出し、援助物資の送付を募っていた。
現時点では、1次配送を19日の時点で打ち切り、現在21日から25日(金)まで、「飲み物」と「食べ物」に限定し、個人的な援助物資の送付の受け入れを募っている。→npo-uniken.org - このウェブサイトは販売用です! - ユニバーサルデザイン 特定非営利活動法人 横尾良笑 デザイン リソースおよび情報
こうした行動に眉をひそめる方々は、おそらく多いことであろう。
専門機関がやるべきことを、君たちが買って出て、邪魔になったり、結果として迷惑になることが、ないのかと。
しかし、今回の地震は、原発事故と同様、「想定外」のことが起こったのではないだろうか。
その場合、既存のセオリーやルールを適用しすぎると、逆に本質的な救援を遠ざけてしまうことはないだろうか。
わたしは、決して既存のセオリーを否定するつもりはまったくない。個人的には、何を隠そうわたしは、募金以外何も行動をしていない大多数の一人であり、こうした場合は、公共機関である自治体や国家的公安職(自衛隊、消防、警察)の方々の懸命な救助、医師や看護師など、的確に生命の保持を遂行できる専門知識のある方々が、まずは被災地の救援の任に命をかけてあたり、しかるのちに個人の有志の出番となる。

では、彼らの行動は間違っているのか。
何度も言うが、この問いの答えは簡単には出てこないし、それらが、仮に結果として被災者のためになるにしても、正しいかどうかは今でもわからない。
この答えは、究極的には「体験」した人にしか、おそらくわからないのではないだろうか。つまり、セオリーを「無視」できる人しか、救援には行くべきではないのだ。そして、セオリーというのは、そうした人々にある意味奇跡的に乗り越えられるためにあるのだろう。
救助された老人と孫のように。