震災から一週間・会津の墓

地震から一週間。先週の今ごろはテレビが地震報道を始めていた。
原発がまだまだ制御できない。連日、危険な段階にある。
内田樹先生がご自身のブログで「疎開のすすめ」と題し、緊急の用のない学生や乳幼児や幼児を抱えた母親に対し「西日本に疎開せよ」と訴えておられる。
「疎開」のすすめ - 内田樹の研究室
しかし今日NHKの報道によると現地の学生は春休みで、被災地の支援ボランティアに駆り出されているみたいだ。
仙台の情報なので安全圏なのかもしれないが、被災者のそばにいたい気持ちはわかる。
一刻もはやく原発が鎮火してほしいが、政府もはっきり危険度を公表すべきだ。
内田先生は関西をはじめ西日本の大学に、疎開者受け入れ余地はあるといい、特別に各大学で縁故のある地域の住民を受け入れるよりは、文科省で采配しまんべんなく被災者が割り振られるのが望ましい、と言っていた。
もっともなことである。逃げるなんて思わず生き延びるためにそうしてほしい。

先週、ちょうど地震があった14:46頃、わたしは吉田山の東にある真如堂にいた。
確定申告しに左京税務署に行った帰りだった。なにげなく寄る気になった。
真如堂のすぐ近くに、会津藩の幕末の志士を弔う墓所がある。昨年龍馬伝で沸いた倒幕側でない彼らではあるが、いちおう名所にはなっていて、墓地の傍らに来所者が感想を書くノートと線香などが、プラスチックのケースにいれておかれていた。
ノートには若い人の書く字がならんでいた。かなりの冊数があり、隠れた人気を物語っていた。
ここは桜がたくさんあり、花の時はものすごくきれいだ。しかし、いまはまだ枝につぼみもない。この日はわたしひとりしか参拝者はなく、ちょうど墓内を整備されていた植木屋さんがいて挨拶してくれたくらいだ。
今回、福島県は大変な苦難に見舞われた。そう、会津はいまの福島県西部になる。
前職で大変お世話になったUさんは、会津ご出身だった。それを急に思い出す。
その気持ちを思うといたたまれない。どうされているだろうか。
会津藩士の霊よ、もし願いが届くなら、原発の暴発を止め、県下の被災者がすみやかに関西へ避難するのをたすけ、復興の道筋がつくまでお守りいただきたい。
あのときは地震も感じずこのような祈りをしようとは、夢にも思わなかったが、追加いたします。