2011年7月24日正午〜アナログ電波消失

ついにアナログ電波消失の日を迎えた。母はまだ、地デジチューナー代わりのブルーレイレコーダーの使い方がなかなか飲み込めない。それでアナログ放送を知らずに見ている。
しかしそれも今日の正午で無惨にも打ち切られるのだ。
いったいその最後がいかようなものであるのか?突然興味がわき、母と一緒にアナログ放送を見ていると、テレビ朝日があのいまの天皇が皇太子だったときのご成婚の中継を写していた。
テレビの創世期、まだまだ日本でテレビが普及してなかった頃、この中継により「テレビの生中継のすごさ」を目の当たりにし、一気にテレビが全国に普及したらしい。
この中継では驚くべきハプニングが起こった。
なんと皇太子カップルを乗せた馬車に、背広姿の若い男がいきなり石を投げようとして近づき、サーベル姿の警官数人に取り押さえられた。
この事件も、テレビの報道性能を物語るものであり、テレビの普及に拍車をかけたであろう。
似た事件として、1963年、ダラスでパレード中に暗殺されたケネディ大統領の、これもテレビ中継がある。
その後、テレビは湾岸戦争や神戸の震災までお茶の間で見てしまえる、恐るべきメディアとなった。
しかしその報道の即時性、直接性といった誇るべき威力は、いまやインターネットにとって変わられつつある。
このアナログ電波消失直前のテレビ朝日特別放送は、そんなテレビがデジタル放送に変わってから、いかなる立場でわれわれの座をしめるのか、という問いかけをしていた。
う〜ん、アナログ最後の番組としては、なかなか秀逸におもえた。母は、この番組を見つめていたが、めまいがすると言って、自分の寝室へ寝に行った…。
しかるのち、果たして、ニュースとCMのあと、問題の正午がきた。
アナウンサーは、宮城で行われるオールスターゲームの開始の前説をしつつも、このあとの模様は地上デジタル放送でお楽しみください、といいつつ、地デジの世界へとアナログ電波最後の案内をした。
NHKが1953年に放送開始してから、数えて58年目、1959年の皇太子のご成婚から52年目の出来事だった。

まるでナイター中継が試合途中で打ち切られるような感じだ。
こんな仕打ちにただただ我慢している人、テレビから見放され、逆にもう見たくはないと突き放す人らの姿が目に浮かばないではない。
また地デジに変わったとしても、すでにかなり前から変わっていたのだが、これからテレビが目を見張るように変わるとは思えない。まったく代わり映えしないがとにかく無理矢理笑わせるお笑い番組と無惨な国会中継とあらたなる悲惨なニュースと少しのうれしい祝賀的な勝利を延々と流し続けるだろう。
しかしながら、もはやあの皇太子ご成婚や浅間山山荘や神戸の震災、湾岸戦争を目の当たりにして、受けた衝撃ほどの歴史を、これからのテレビが持つとは期待できない。
取り残されたアナログ波画面には、青い画像の下地に、白い文字で地デジ移行のお知らせと、コールセンターの電話番号があらわれ、ジャズの軽い調子のピアノが延々と流れ始めた。
もしテレビに未来があるとすれば、それらいままでのテレビが幸運かつ不幸にも持つことができた、衝撃的映像が、われわれにとりいかなるものであったかの歴史的な検証、またそれを元に自らの行き方を、省みて深く問い直すことでしか得られないだろう。
この60年に近い歳月を経て、テレビがいかに深い影響をわれわれに与えるに至ったかを、いろんな側面から徹底的に検証すべきであると思う。