マイ・フェイバレット・ミステイク〜暗闇に射す光

台風接近で、昼過ぎからやや雨、夕方から本降りになった。

また、奈良や和歌山の災害が気にかかる。

もうすでに、旅行から帰って、一週間になった。旅行を含め、半月もの間、ずっとブログの更新がとまってしまった。たいしたことを書いているわけではないのに、少し何か書こうとしたためかもしれない。

このブログ(正式にはウェブ・ログらしい)という形式が、本来的に「書く」ということとは、どこか違う気楽さがある反面、紙に書くときとは違う何かしら違った「意識」が、時にブログに書く前に、身構えさせてしまうこともある。

特に、人間の書くことには、言う事にはというほうがいいかもしれないが、間違いが多い。

特に書くことには、間違いが許されない、といった暗黙のルールがあったように思われる。それは、時に議論の対象となり、批判の矢面に立たされたりする。

しかるに、ブログのよさは、間違いをあまり気にせず、間違っても後で直せる気軽さが、書くことの内容そのものの自由さを促している気もする。

こんなことを書いてるのも、あまり注目されてないからで、もしコメントにいろいろ批判めいたことを書かれる様になれば(有名ブログなら日常茶飯事だろう)、いきおい筆も鈍るだろうが。。

これからも、「間違い」を書いてしまうだろうが、(昔、小林秀雄が、彼が訳したランボーの「地獄の季節」のあとがきに、「誤訳は、水の中に水素分子があるごとくあるだろう」と書いていたのを思い出す)、事実の間違いというより、自分の考えの間違いが、どうしてもあるだろう。

そう思った段階で訂正したり、注意書きしたりしたいので、よければ、お付き合いいただきたい。

さて、急に話題は変わるが、今日、用事があり近くのauショップに自転車に乗って出かけたが、夕方やはり雨に降られ、途中、念のため持っていった雨合羽を着て、最近めっきり早く暗くなった夜道を走りながら、考えたことだ。

暗闇は、特に雨の日など、本当に夜道は見えにくい。

でも、おそらく福島や被災地で放射能汚染に見舞われた地域は、毎日こんな闇の中にいるようなものではないか。。


夜道は、つまり何が出てくるかわからない。昼間なら、遠くから見える車やバイクも、夜は急に出てくるように思う。

もちろん、実際は、福島でも昼は太陽の光がある。しかし、放射能の汚染状況が見えるわけではない。それは見えないから、昼でも、夜みたいなものだ。

それで、「線量計」という「ライト」で、その夜を細々と照らす。すると状況が少しはわかり、進む方向を定める。

いまや、新聞に毎日の「線量」が報道され、インターネットでも詳細な空間線量分布図が見られるが、地震直後は、被災地は電話も報道も寸断され、いわば「真っ暗闇」だったに違いない。途切れ途切れの報道が、原発事故の状況を、しかも実情とはかなり異なった事故報道が、届くのみなら、その闇の中に何が潜んでいるか、見えない敵を非常に恐れたに違いない。

夜道は、とくに子供には危ないし、外にはでるなと言われる。いつ車(放射能)が、襲ってくるか、わからないからだ。

関西、その他の安全な地区とは、まったく違うこうした状況が、被災地とくに線量の多く、除染が必要といわれる地区には、あると思わねばならない。


先月末から行った、わたしの東北行きの最初の目的地は、東京だった。

ある方が、「世田谷で話します」といって、自分のブログに福島ならびに東北各地の放射能汚染と、そこから疎開されている方々の状況や、今後の汚染から特に子供を守る取り組みについて、話すことを告知されていた。

たまたま、わたしは、知人に、その方、地震直後断片的な原発事故情報から判断し、仙台から「脱出」され、京都の里親にお子さんを預けられ、つまり「疎開」させて、ご自分は、仙台に戻り仕事をされながら、「放射能から子供を守る福島ネットワーク」の活動をされている早尾さんのことを伺い、世田谷に向かうことにした。

出発時、いろいろと交通機関を調べたりしながら、はや京都から東北行きの遠さを慮(おもんばか)る時間が多くなっていたときに、そのちょうど真ん中くらいにあたる
東京が、途中目的地となることは、救いに思えたのだ。

この講演会は、19時から世田谷のある区民会館で行われるとあった。わたしは、それに極力間に合う新幹線を使うことにした。

家をでたのは、15時を過ぎていた。新幹線に乗るのが、15時40分頃だった。のぞみで、品川に着いたのが、18時を回っていた。そこから渋谷経由で、京王線という路線に乗り換えた。

目的地の烏山駅に着いたら、ちょうど駅の前の広場で盆踊りみたいな屋台が出ていた。駅のキオスクに、「京鱒」と書いたすしが出ていて、つい買ってしまった。
(この寿司は、この日泊まることになった新宿のネットカフェで朝ごはんにした)

会場へ着いたのは、20時前だった。荷物(寝袋のついたバックパック〜30年前に流行った背負子タイプ)を廊下に置いたまま、手荷物だけ持って、講演の最中にそろそろと入っていった。

参加者は、30名ばかりで、500円を支払い資料をもらって、講演の後半を聞き、質疑応答を聞いた。

さて、この講演の内容は、主に福島の現状に、特に避難区域以外の方が、自主避難するかしないかで、行政からの「抑止」があり、かなり問題があること、子供たちの中には、健康被害が懸念される中、県知事が「安全だ」という説明会をかなりの頻度で行い、住民の方々を引き止めているらしい。

もちろん法的には、薦めもせず、引きとめもしない、のが行政側の方針らしいが、強制的避難区域以外では、まず保証がない。ただ、たとえば京都府京都市は、福島からの移転者を行政で優遇し、2年間(予定)無料で公営住宅を提供したりしている。

家族のなかでも、結構この件で、意見の齟齬が発生するという。ましてや、隣近所なら、いろんな受けとり方をして、おいそれと避難するわけにはいかない。

今でも、かなりのジレンマに見舞われているという話だった。

会場で、早尾さんが、「現代思想」に発表した「原発大震災、『孤立都市』仙台脱出記」(『現代思想』2011年5月号)のコピーをいただいた。

仙台から脱出されたときの様子が、そのときの熱気と、これから先いったいどうなるのか、お子さんとご自分の前途を必死で手探りしつかもうとされる衝動のまま文章になっている。

そこにも、この歴史的事態のなかで、暗闇の中を光を求めて必死で進もうとする道が、感じられた。