あわやの地震のニュースとハプニングとちょっとうれしかったこと

今日は、とにかく寒かった。家を用事があり、早くに出ねばならなかったのだが、自転車のハンドルの手が今年初めて、悲鳴をあげるほど風が冷たかった。しかし、これから、早朝はそんなことが続くのだろう。

一昨日は、車の中で聞いたのだったが、カーラジオのNHKの第一放送で東北の地震のことを伝えていて、緊迫した津波の情報が何度も報じられていた。帰ってからテレビをつけると、気象庁の会見をやっていた。
この報道に接し、3.11を思い出した方も多かったと思われる。すぐに東北の知人に安否のアクセスをしようとした方もいたかもしれない。
しかし、それでまた携帯回線がパンクの危機が訪れるかもしれない。それを危惧して、フェイスブックで、電話での安否伺いの自粛を呼びかけている人もおられた。

中部自動車道の事故といい、このかなり大きな「余震」といい、年の瀬を迎え、先週は非常に地震国の危うさを自覚せざるを得ない週であった。トンネルのほうは、人為的といえそうな事故らしいが、どだい、震度に耐えうる完璧な建築物は、そうそう、ないと心得ないといけないだろう。なんせ、出来てから、年月を重ねた道路やトンネルもかなりあるのである。

今日の用事は、大阪の摂津富田までJRで行くことが、最初のものだった。ところが、新快速で高槻まで着くところまではよかったが、そこで電車が止まってしまった。
駅のアナウンスによると、千里丘付近で人身事故があり、大阪京都間の電車の走行を見合わせているとのことだった。
「他社の電車との振替乗車を検討していますが、しばらくお待ちください」というだけで、20分ほど待たされ、わたしは待ち合わせしていたので、駅の改札で、列を作っている人を尻目に、改札を通り、下車してタクシーで次の駅摂津富田まで、乗った。

さて、用事が終わり、帰る途上で、JRの問合せ電話番号を、阪急の高槻駅の公衆電話用の電話帳を調べ、JRに電話してみた。タクシー代は、どうかならんのか、訊きたかったのだ。
果たして、その現場で、他社線への振替しか対応しておらず、タクシーへの振替や乗車運賃の返金はできないという。
「タクシーへの振替は、終電が途中で止まってしまったような場合のみ、車掌がタクシーにタクシー代を現金で立替払うことしかやってない」との返事。
人身事故は、JRのせいではないことも考え、引き下がるしかなかった。

JRは、人身事故が多いという。しかし、他社線でも、あるときはあるものだ。
昔、会議のため、乗っていた電車が、それで遅れ、会議に遅れたこともあった。ギリギリセーフ的な、動きでなく、もっと余裕のある時間設定で動けということか。

以前、確か同じエリア、阪急の南茨木で、これは事故とは関係ないが、ある仕事関係の書類を受渡しのため、夜中に南茨木からタクシーに乗ったことをふと思い出す。南茨木と摂津富田はすぐ近くである。

なぜかそのときの「こだま」が、かなりの年数を隔て、今日響いているような気もする。そのとき、いた会社は、今は既になくなってしまったこともあわせ、思い出というのは、その現場の近くに行くと、やけに湧き出すものだ。

そうやって、帰る途上、このような記事とは裏腹に、じつは3年前に大阪まで通っていた社会人向けの森林ボランティア養成のための学校の同窓会に参加し、酔っ払いつつ、いい機嫌でもいたのである。そうした、蒸気のようなものが、わたしから立ち上がっていたのだろうか、京都にもどり、地下鉄に乗り、ドア近くで立っていると、いましがたまで座っていた男性が、自分の降りる駅のアナウンスがあって、立ち上がる勢いで、わたしに話しかけてこられた。

わたしが持っていて、かばんからその取っ手の部分が見えていた、樹の間伐用ののこぎりを見つけ、「これはのこぎりですか?今日はどちらへ?」と親しげに声を掛けてこられた。わたしも、ほろ酔いなので、実は森林ボランティアをしていて、その帰りなんです、と答えた。
すると、その方は、まだ若い30代くらいの、やせた体にディパックを背負っていたが、「わたしは、庭師なんです。」と語った。
「本業なんですね。」
「そうです。高い樹を伐ったりもするので、そういう道具には関心があって。でも、こんな形の取っ手のノコは、はじめてみるな」
「ボランティア用にわたしの行っている団体が売っているのです。」たしかに、その取っては、大きめで分厚く持ちやすいのだ。
「京都の東山に○○という、道具屋さんがあるので、一度行ってみてください。○○通り下がった東にあります。いろんな道具をおいてますよ。」
という、京都市内特有の住所表現を放ちながら、ドアの開いた隙間に出て行かれた。
人前で声を掛けられること、まったく見知らぬ人から、そのことを他の人の前で、という晴れがましさは不思議となく、プロとアマの違いはあるが、樹という、同じ対象を扱う者同士の、親しみがあった。
なんとなく、うれしかった。