小雪舞う3月〜マイケル・サンデル東北大白熱教室〜受験まっさかりの京都府立資料館学習室は満席

昨夜また雪が降った。21時頃、帰宅時がもっとも吹雪き、自転車で走っていたら、雪が顔にあたり痛かった。
しかし土曜なのでか、行き交う人は皆無。車も少なかった。みんな家に籠っているのだろう。地下鉄駅ではマフラーを首にぐるぐる巻きにした人を見た。
最近週末によく雪が降る。
帰るとちょうど久々に見るマイケル・サンデル先生がテレビ画面に。
なんと東北大に被災地の方々を1000人招いて白熱教室をするらしい。
いくつかの「究極」のテーマについて大教室に集まった被災者を含めた東北の方に議論を闘わせる。
震災のとき市民のボランティアで組織された町内消防団の方が、命を賭けて被災者を助けようとした行為は正しいか。
また、福島の原発事故で自主的に危険を感じ、他地域へ避難された方々には政府や東電の補償は受けられないのか。
なぜ被災地での復興が遅れているのか。復興には全住民の同意が必要なのか。それともスピードを優先し、反対者がいても強力なリーダーシップをとり早く復興をすべきなのか。
以上三つの大きなテーマが話し合われていた。いずれも切実で容易に答えのでない問題である。
食事を作りながらだったので詳しくは見れなかったが、参加者の方々は半分以上は被災者の方らしく話は真剣な様子がうかがえた。

いまもNHKで震災直後の膨大な人々の通信情報から、GPSを使った人々の移動記録を集積し、今後の災害時の避難について有効利用しようというプロジェクトを取り上げている。
震災時に救援要請のSOSをメールしたあと、その情報がツィッターで次々と伝達され、無事救助された人もいれば、多くの危機的な情報が何万とある書き込みのなかに埋もれてしまったとも言う。
いまそのプロジェクトでは本当に命に関わる情報のみをすばやく抽出する技術を開発していると言う。

今日は毎月参加しているボランティアの活動を休み、近くにある府立資料館に行った。
無料で勉強できる学習室という机と椅子だけ置いてある部屋があるのだ。こね冬は家が寒いので、よく利用しているのだが、今日は日曜だからか、まだ大学受験が終わっていないからか、なんと満席。
仕方なく、学習室の隣にこれも無料で開放されている休憩室で持ってきた本を広げた。
ここは飲料の自動販売機もおかれ、普段は食事や休憩に使われている。長時間の使用は遠慮してくれと貼り紙がしてあったりするが、よく高校生らしき人たちが談笑にも使っている。
今日は、中学生らしき女の子二人組がどうやら英語の文章をああだこうだと声を出して仲良く訳しあっていた。
最後の方は聞いていると、携帯電話の話になっていた。
どうやらスマートフォンにすべきかどうか一人の子は悩んでいるらしい。
理由は友達がスマートフォンを持ち始めていて、携帯の番号を交換するときまだ普通の携帯電話を出すのが恥ずかしいということだった。
「わたしだけこうやってパカッと開けなあかんやろ」と言っていた。
もう一人の子はなんとなく反対してそうだった。
「高いやろ」とかなんとか。
サンデル先生の教室に比べて、なんとも微笑ましい「選択」だが、思えば、遥かむかし、わたしたちも数限りなくこのような小さい悩みをもんもんと悩んでいた気がする。
それが、学校の頃だった。わたしも実は大学受験のときその部屋をよく利用していたのだ。もう30年近く前の話だ。
そんなにも長くそこはたくさんの受験生や学生が利用してきて、いまも満員なのだが、近くこの施設は建て直されるらしい。
その新しい建物のなかにこのような勉強したりその合間に飲み物や食事をとったりできるスペースは確保されるのだろうか?
そもそもここに学習室なる部屋が作られたのはなぜなのだろうか。
この施設のメインは府立資料館として所蔵している各種史的な資料の研究や閲覧であるのだ。
歴史ある学習室、なんとか、続けてもらいたいものだ。