開高健『夏の闇』とNHK沢木耕太郎のロバート・キャパの特集

寒い。とにかく連日寒く、雪がちらほら今日もしている。天気がよければ、暖かいのだが、今日は、いま曇り空である。
昨日は、休みで、晴れていたので、布団が干せた。家の庭の木枝を少し切った。そのあと、沖縄から来られた真宗の僧侶の方の話を聞く会があり、参加する。基地の話、オスプレイの危険な話をうかがう。(夜たけしのテレビタックルでも、沖縄を取り上げていたが、)

熱い話であった。最近、熱い話をところどころで聞くようになった。たぶん3.11による変化であろうが、沖縄で基地反対している人たちに、最近右翼の人たちらしき人が妨害をしてくるようになったとのこと。
とくに暴力的ではないが、邪魔をしはじめたという。

それと関連するところもあるが、前回「テレビミライ」で、日本テレビの土屋プロデューサーが、テレビ製作に絶対必要といっていた「熱さ」について、昔読んだ開高健の小説『夏の闇』の扉書きにあったコトバを、思い出した。それは聖書から取られたエピグラムである。

・・・われなんじの行為(おこない)を知る、
 なんじは冷(ひやや)かにもあらず熱きに
 もあらず、われはむしろなんじが
 冷かならんか、熱からんかを
 願う。
         『黙示録』

開高健は、ベトナム戦争に日本の特派員として従軍し、『ベトナム戦記』(いまは朝日文庫で出ている)にまとめられた従軍記を発表する一方、その体験を長編短編の小説作品、様々なエッセイとして数多く発表している。そのなかで、戦争文学の金字塔と言われる長編『輝ける闇』は、彼が特派員として従軍したベトナム戦争の有様を文学化した作品として有名で、今でも開高健の最高傑作として名高い。
その『輝ける闇』と、表裏と言うか、陰と陽の関係と言うか、対照的に、その何年かのち、開高健は、今度は戦闘シーンはまったく書かずに、ヨーロッパで暮らす日本人の女友達の家に転がり込み、ひたすら寝て食べてセックスして無為の生活をするだけの、おそらく開高健本人をモデルにした、作家らしき男を描いた長編小説を発表した。それが『夏の闇』で、わたしは受験勉強中に、大学へ入ったら読む本として決めていて、苦節○年?の後、古書店で買いもとめ、ところどころわからないながらも読んだ。「開高健全作品小説9巻目」古本で500円の値がついていた。
その『夏の闇』の扉書きに、この黙示録のことばがある。なぜそのことばを選んだのだろう。
それは小説そのものが語ることだが、わたしは当時もいまもうまくそれをつかめていない。ただ、開高さんが、『夏の闇』で描いたものは、ベトナム従軍で「戦争」そのもののなかで、それを体験した結果、陥らざるをえなかった果てしのない疑問のリフレインではなかったかと思う。つまり、20世紀に近代社会が直面した世界大戦以降、米ソの冷戦下に連合国の植民地で頻発した独立戦争の意味について、大国の干渉のもと、同じ民族が北と南に二分し、方や政府軍、方やゲリラ戦闘員となり、殺し合う日常。
そのなかで、ベトナム戦争で戦うおおくは若いアメリカ兵にも、これが果たして正義の戦争なのか、と自問自答する様を、そのまぢかにいた開高は、小説やエッセイに数多く取り上げていた。

それににた話だが、先日NHKで、ロバート・キャパの有名な写真の謎ををドキュメントする番組をやっていた。
わたしはまったく知らなかったのだが、戦場写真家として名高いアメリカ人、ロバート・キャパの有名な一枚の写真が贋物だったという話だ。
その写真は、当時アメリカの報道写真雑誌『LIFE』に掲載され、戦場写真として最高級の評価を獲得し、キャパを一躍有名写真家にした写真だった。しかし、じつは演習中に撮られたものであったという。
これは、あとで調べると、ネット上では、常識的な事実となっているようだった。

その写真について、じつは、もうひとつの謎、じつはキャパとは異なる人物が撮った写真ではないか、という仮説を、ノンフィクションライターの沢木耕太郎が、調査するドキュメント番組だった。

沢木氏は、実際にキャパが戦闘シーンを撮影したらしい当時スペイン内戦のあったある場所に行き、その写真がどのように撮られたのか、をコンピュータグラフィックを使い、詳しく調べ、解明してゆく。

その写真は、「くずれおれる兵士」・・・。崩れ落ちる兵士 - Wikipediaキャパの残したその写真のネガを丹念に調べ、その連続のコマから、キャパが撮っている位置からは、その写真のアングルとどうしてもずれてしまう。そのことが謎であったのだ。

じつは、当時無名カメラマンののキャパと共に、一緒に戦場写真を撮っていた女性カメラマンがいた、と沢木氏は説明する。その女性は、ゲルダ・タローという、当時のキャパの恋人でもあり、2人は「ロバート・キャパ」という架空のカメラマンを自分たちの写真のクレジットとして用いていたらしい。「キャパ」は、つまり有名になって後は、その男性のキャパ本人の名前になるわけだが、その「くずれおれる兵士」で一躍スターになる以前は、そうして2人で撮影した写真を、そのキャパの名前で発表していたらしいのだ。いわば、「藤子不二夫」的といっていい、ペンネームだったらしい。

2人が戦場で並んで歩いている写真も、番組で紹介していた。

そして、じつは、「くずおれる兵士」は、スペイン内戦中の演習中に撮られた写真であること、そして、キャパの残したフイルムとアングルから推理すると、キャパ本人ではなく、そのキャパの恋人だった女性カメラマンが、撮った写真ではないかと、結論付けていた。

ただ、この女性カメラマンは、「くずおれる兵士」が世界で評価され、ロバート・キャパが一躍有名になる直前に戦場で戦闘に巻き込まれ戦死してしまう。

のこされたのは、男性キャパだった。当時キャパは20歳そこそこだったという。もしかしたら、演習中の写真を、実際の戦闘中の写真として、アメリカのプレスに送ろうと提案したのは、その恋人だった4歳年上の女性カメラマンだったのかもしれない。

沢木耕太郎は、番組では、さらにもう一歩踏み込み、その写真で有名になって以降、正真正銘の戦場写真家として、連合軍のノルマンディ上陸作戦では、もっとも危険な最前線に志願して飛び込んだという、キャパのエピソードに触れ、その若きキャパの誰にも語らなかった胸のうちに思いをはせる。

なぜ彼が、その後、危険な戦闘地域に率先して踏み込み、有名な戦場写真を数々撮らねばならなかったのか。最後には、キャパはインドシナの戦場で地雷に触れて命を落とす。若き日の恋人だった女性カメラマンと同じだ。

若い日の、一躍キャパを全世界のスターにした一枚の写真、それは、キャパを正真正銘の戦場写真家にするきっかけではあったが、その後、彼は、どう思い、その危険な仕事に従事していたのか・・・。その胸の秘密の思いが、その写真により、ようやくひのもとにさらされる。

キャパのその数々の戦場写真のなかに、ナチに協力した罪で丸刈りになったフランス人女性を群衆が取り囲んでいる写真がある。それを、沢木さんは、取り上げ、こんなことを語っていた。

若い頃、素朴な正義感からナチスドイツに対抗するため、スペイン内戦にカメラマンとして従軍したキャバは、なにが正義なのか、すでにわからなくなっているのではないかと。

それはそうと、AKBのメンバーの一人が最近丸刈りしてざんげしたそうだが、そのこともこの写真は、すこしだけだが、思い出させる。

例によって、また長々しく書いてしまいました。。。