江藤淳『成熟と喪失』と3.11原発事故の深いつながり

今年1月26日に、小説家の安岡章太郎さんがお亡くなりになり、マスコミでその業績を讃える記事をいくつか散見しました。

安岡章太郎は、『第三の新人』と文学史上カテゴライズされたグループを代表する作家です。

そのグループが次々と創造力旺盛に作品を発表していた頃、日本の高度成長期真っ盛りの時代でしたが、1967年、文芸評論家の江藤淳は、その『第三の新人』の作家たちの作品を論じた『成熟と喪失』という評論を発表しました。そして、その冒頭部分では、その安岡章太郎の代表作ともいえる『海辺の光景』を取りあげています。

そのせいか、新聞記事の片隅に、江藤淳という名前を最近見かけることが、何度かありました。そして、学生時代(もうかれこれ30年近く前になりますが、、、)に一度読んだきりのその『成熟と喪失』を、本棚の奥のほうから探し出し、ページを開けてみました。

それは、わたしにとっては、驚くべきことでしたが、そこには何か現代日本に、震災以来といっていいと思うんですが、問題点として噴出してきた様々な事象と、それに対するわれわれの反応について、いったいどういう根本的な仕組み、根っこがあると、見ることができるか、について、示唆的なことが書かれているのに気づきました。

ほぼ、半世紀前に書かれたことなのですが、現在にもまったく、日々われわれが体験している言動の祖形みたいなものが、描かれているのではないかと。

そのなかでは、『第三の新人』と呼ばれる文学者たちが、おもに自分たちの体験を文学に昇華して書いたそれぞれの代表作品を分析し、日本人が敗戦から高度成長の真っ最中にかけ、おかれていた、いやおかれざるを得なかった状況と、それがまざまざと精神に刻印した傷跡について、江藤淳は、アメリカの心理学者エリクソンの『幼年期と社会』という本のアメリカ人の母子関係の分析を比較的な踏み台とし、鮮やかに、分析し描いて見せています。

なかでも、わたしがことばを失うほど驚いたのは、次のような箇所でした。小島信夫の『抱擁家族』という小説を論じた部分です。ちょっと、ここで引用するのは、部分的なものになってしまうので、前後を読まないと意味がわかりかねると思われますが、すこしだけ説明しますと、主人公の三輪俊介が、妻の時子に不貞を働かれ、家庭崩壊の危機に瀕し、なんとかたとえばその妻の浮気相手だったアメリカ人の若者を呼び、(この若者は、家政婦のみちよが、三輪家に連れてきたジョージというアメリカ兵です。そこには、日本がまだ占領期から脱してない社会的背景があります。)その事実を問いただしたり、新しいアメリカ型のセントラルヒーティング付の家を新築したりして、家庭を再建させようと奮起する様を描いた小説です。
 妻の浮気相手のジョージと、夫婦で面接し、大学教授である三輪がジョージの英語を妻の時子に通訳しながら、話すシーンについて、江藤淳がコメントしている部分をすこし引用します。

『「私は私で責任を感じるが、あなたは責任をかんじないかって、きいてみてちょうだいよ」
 俊介は時子のいう通り通訳した。すると相手はいった。
 「責任?誰に責任をかんじるのですか。僕は自分の両親と、国家に対して責任をかんじているだけなんだ」
 そのとき俊介はカッとなってもう一度、相手をついた。』
 (江藤淳『成熟と喪失』1967河出書房新社 p.64)

そして、江藤淳は、この箇所についてこのように書いています。

ジョージの背後には「両親」がいるが、その背後にはさらに「国家」がある。「母なし仔牛」をつれたカウボーイは、孤独な「個人」として西のフロンティアに出発するが、その私的な歩みはそのまま合衆国という「国家」の版図拡張という公的目的につながっている。そして彼が、「トモダチ」に出逢い、フロンティアに移住者として落着いた時、彼は「母」に拒まれた傷を隠した「子」であるままに、新しい「両親」の一人になる。
(中略)
この論理に対して俊介夫婦がたじろぐのは、彼らが「恥ずかしい」父のイメイジを極力消去しようとする近代日本の文化のなかで生きて来たからにほかならない。そこに敗戦という事件が大きな影響を及ぼしていることは否定できないが、「父」のイメイジを稀薄化したのはかならずしも敗戦のせいだとはいえない。
(中略)
近代日本の社会では世代の交代につれて必然的に「父」のイメイジが稀弱化されて行く。その背後に作用しているのは、母とともに父親を「恥ずかしい」ものに思った息子が、成長して妻と息子に「恥ずかし」く思われる「父」になる、という心理的カニズムである。もし息子が「父」のイメイジに自分を一致させようとすれば、それは「進歩」の否定として社会心理上の制裁を受けなければならない。
江藤淳『成熟と喪失』同上p.66-68)

この「母なし仔牛」や「カウボーイ」については、この本の冒頭に説明されているのですが、引用すると長くなるので、注として下記につけます。→*1
これだけでは、わかりかねると思うのですが、、ここには日本人のパーソナリティーが、米国人や西洋人とは違う成り立ちがあり、その起源が、明治維新などの近代化、そして太平洋戦争で敗戦し、米軍により占領統治された頃など、つまり「他国との接触」によるたびに、奇妙に変化しながら、形作られてきて、学校教育で教えられた「個人」とか「国家」とかいうことばが、本質的につかまれていない、といった意味くらいにとらえればいいでしょう。
そして、日本の「父」が、どのように歴史的に変遷し、そうならざるを得なかったかが、(もっと詳しく本の中には述べられていますが)ここでは明快に語られて唖然とします。いまでも、テレビドラマやその他の小説に出てくる、たいていの日本の限りなく弱い「父」の、出自が明らかにされた箇所です。

さらに次のような部分が、あります。(前後の引用がないとここも意味不明かもしれませんが、ざっくりポイント的な部分を引用します。)

 しかし、不思議なことに、三輪俊介は彼自身一個の「神」にならなければならない。彼はあたかも「神」であるかのように無限の責任に耐え、かつ無限に時子を救わなければならぬはめにおちこんでいるからである。だがどうして彼にそれが可能だろうか。
 (江藤淳『成熟と喪失』p.86)

 
 江藤淳は、この直前で、イギリス人であるT.Sエリオットという詩人が、狂気に陥った妻を離別したという歴史的事実と比べ、この小説の主人公、三輪俊介が、どうやら気が変になり始めている自分の妻、時子をどうして離別できないかについて、「神」のいる社会とそうでない社会の違いだと指摘しています。(詳しくは、また注として下記に引用します→)*2
 今回の震災と原発事故は、本当に切実な、当事者以外のものがあまりコメントできにくい大問題であります。しかしながら、福島やその近辺の宮城、茨城、千葉県などからおおく母子のかたちで避難を余儀なくされた人々に突如襲い掛かったものの、本質的な、苦しさと同様のものとして、もしかしたら、この江藤淳が指摘したような状況、三輪俊介に起こっていたのと、同じ状況が、おこったのではないか、とわたしは考えました。(しかも避難するかしないかを決めなければならなかった今回、多くの場合は、父母両方に、それが起こった可能性があります。)


この『成熟と喪失』は、おそらく、そのような本があったことなど、研究者や文学愛好家の一部の方を除き、ほぼ忘れられたといっていいのではないかと思います。しかし、いまもこの本は、非常にいま起こっていることの震源に近いことが、高度成長期であった1960年代に日本に発生していたことを物語っています。

たしかに原発そのものも、その時代に推進され建設されはじめたものです。

いままさにわれわれは歴史の渦中にあるのでしょう。あれから、丸二年を経ようとするのですが、容易に、ことの全体を見渡せる位置に、わたしたちがさらさらないのは、事実です。

だから簡単に、これだと即断する危険をおかせないのは重々承知していますし、わたしごときが、それについて、論ずるという才覚も力量も持ち合わせているわけでなく、単に、その『成熟と喪失』を、読み直してみて、抱いた感想の一部として、問題提起するに過ぎません。

ただ、あえて言ってみたくなる、そんな魔力のようなものを、ほぼ45年以上前に出版された『成熟と喪失』を読みながら感じました。

それは、いま起こっている問題の、おそらくほとんどの根が、すでにその当時の高度成長期の日本にあったことの、再確認であり、いまわれわれが追い込まれた場所がどこかを、探るには、そこを見つめなおさねばならないのではないか、という認識でした。

そんな、印象を、わたしは持ちました。そして、その根っこにあるものを、先人の著作に示唆を得て、現場の方々の経験談、被災地で見たりまた報道されたりしている現実などもあわせ、出来うる限り考察してみることが、状況を好転させる原動力になるかもしれないと思っています。

<お知らせ>

 上記内容に関することですが、3.11をめぐる日本人、といったようなテーマで、集まって話をするワークショップを行ないます。
 バガボンドCAFE→2013-03-07 - 個別指導 バガボンド塾〜左京区岩倉個別指導塾と大人も学べる教室のブログです
 毎月25日に京都の徳正寺というお寺で「ブッダ・カフェ」という、震災をおもな起点にして、気軽に集まり、話する場が開かれています。そのなかでは、とくにテーマを決めずに、ほんとうに皆さんいろいろな方面で活躍されている方が参加され、近況や話の流れで話題になったことなどを話しています。
 今回は、その場所と時間を、間借りするような形で実施させていただきますが、そのような性格の(いまのところ)会ですので、テーマから、当日思わぬ方向に話が展開するかもしれません。あらかじめ、ご了承ください。

*1:『歌をうたうことは母が得意にしたものの一つだ。この病院へ来てからも、他の昔の記憶は一切失っても歌だけは長い歌詞の最後まで歌っていたということだ。信太郎は子供のころから母の歌で悩まされた歌詞の一つをおぼえている。「をさなくて罪をしらず、むづかりては手にゆられし、むかし忘れしか。春は軒の雨、秋は庭の露、母は泪かわくまなく祈るとしらずや」というのがそれだ。いわばそれは彼女のテーマ・ソングだった。どうかすると一日のうちに何遍となく繰りかえしてその歌をうたった。たぶんそれは半ば習慣的、無意識的のものだったにちがいない。だが、聞く方の信太郎にとって、それは無意識なだけに、母親の情緒の圧しつけがましさが一層露骨に感じられた。その圧しつけがましさのおかげでしばしば彼は、母親にとっていったい自分が何であるのか、母とは何であり息子とは何であるのか、問いかえしたい衝動を子供心に覚えたものだ。・・・・・・・』(安岡章太郎『海辺の光景』 原文は旧かな)
 私はこういう「圧しつけがましい」情緒が、どれほどの範囲の母と息子を拘束しているものなのかよく知らない。しかし一般に日本の母親と息子の関係には、これによく似た濃い情緒が隠されているように思われてならない。それはほとんど肉感的なほど密接な関係で、たとえばエリック・エリクソンが『幼年期と社会』で語っている米国の母子関係の対極にあるものである。エリクソンは米国の青年の大部分が母親に拒否されたという心の傷を負っているという。・・・・
(中略) 私はここで育児法の講釈をしようというのではない。日本の母と子の密着ぶりと米国の母子の疎隔ぶりのあいだには、ある本質的な文化の相違がうかがわれるはずだというのである。この特質が、文学に影響をあたえないはずはない。そしてもし今日、日本の作家が「成熟」を迫られ、しかも「成熟」の手がかりをつかめずにいるのが実状だとすれば、その原因はおそらくここまで遡らなければきわめられないはずである。
 エリクソンによれば、米国の母親が息子を拒むのは、やがて息子が遠いフロンティアで誰にも頼れない生活を送らなければならないことを知っているからだという。そういう息子のもっとも純粋なイメイジは、やがて目的地に着いたら屠殺される運命の仔牛の群を率いて大草原を行くカウボーイの孤独な姿に反映している。『ゆっくり行け、母なし仔牛よ/せわしなく歩きまわるなよ/うろうろするのはやめてくれ/草なら足元にどっさりある/だからゆっくりやってくれ/それにお前の旅路は/永遠に続くわけではないぞ/ゆっくり行け、母なし仔牛よ/ゆっくり行け』/From Singing America,/quoted by Erikson in Childhood and Society )江藤淳「成熟と喪失』p.3-4

*2:俊介の「自由」が結局「おびえ」に帰着するとすれば、それをむしろ「不自由」といってもいいかも知れない。「自由」であるべき状態がこうして「不自由」になってしまうのは、最初に指摘したように彼のなかに快・不快の感覚的判断以外に頼るべき原則がないからである。いいかえればもともと俊介と時子のつながりが、「夫婦」という倫理的関係であるよりさきに「母子」という自然的関係を回復したい衝動で維持されて来たものであり、そこには濃密な「母」と「子」のあいだの情緒が存在するか否かという以外の価値基準がないからである。「夫婦」のあいだに「母子」の肉感的なつながりを求めようとするのは、いうまでもなくinsestuousな欲求である。それは性に「母」を見ようとすることであり、性の快感に「母」の胸のなかでの安息の幻影を見ようとすることである。これを血縁以外のものを血縁に同化させようとする衝動といってもいいかも知れない。つまりここには「他人」というものがいない。言い換えれば快・不快の感覚的判断以外に原則を持たない三輪俊介の「自由」とは、そこに決して「他人」というものが出現しない「自由」である。〔中略〕
 なぜ俊介の前には「他人」が現れないのだろうか。なぜみちよ<三輪家の家政婦ー引用者注>やバスの車掌ではない「他人」、乗客や通行人や新聞広告に応募してくるかも知れない住込み女中ではない「他人」の視線を、俊介は感じることができないのだろうか。〔中略〕なぜそういう俊介が、自分を救う能力を持ちあわせていないことに時子は焦立つのだろうか。なぜ彼女は俊介の無能を嘲弄することができると感じているのだろうか。あたかも彼に時間の進行を喰いとめる力があるとでもいうように。〔中略〕またあたかも一切の責任が最初から俊介にあり、そのすべてを彼は決して永遠に免れないというように。いったい時子とは何者であり、俊介とは何者なのだろう。彼らが本当は何者であるのかを教え、偶然の、虚偽のではない真の「役割」に気づかせてくれるような「他人」の視線は、どうして二人の前にあらわれないのか。要するに、「父」であるような絶対的な「他人」の視線を、〔中略〕『抱擁家族』の人物たちは、感じとることができずにいるのだろうか。
 この「父」であるような絶対的な「他人」を、あるいは「神」といってもいいかも知れない。私はまだ『スワイニイ・レヴィュー』のT・Sエリオット特集を通読する機会を得ないので、エリオットが妻を離別するにいたった経験をくわしくは知らない。しかし、そこにどんな奇怪な悲劇がかくされていたにせよ、T・Sエリオットは自分の妻の狂気に対する無限の責任があるという傲慢にはおちいることができなかったであろう。あるいはまた、その故に彼こそが妻を救えるとも到底思えなかったであろう。もし救えるものがあるとすればそれは「神」であり、人間である彼自身には有限の責任と「神」の視線の下での人間としての救助の努力が許されていると思うほかなかったであろう。T・Sエリオットでなくてもよい。みちよが俊介につたえたジョージの後見人ヘンリーの、「そちらの奥さんのことは、奥さん自身に責任をとらせるべきだ」という言葉も、裏返せば同じことを意味している。つまりそれは、俊介が無限に責任をとることはできないということであり、救うものがあるとすればそれは「神」だ、ということである。
 「神」の視線に支えられた「夫」と「妻」とは、なんであるにしても虚偽の「役割」を演じることはあり得ない。「他人」に「夫」らしく、あるいは「妻」らしく見えるということは、ここでは何事をも意味しない。もしそれが「神」の眼から見て「夫」でも「妻」でもないとすれば。彼らが新教徒ならそのとき彼らは離婚するかも知れず、旧教徒なら懺悔するかも知れない。しかしいずれにせよ彼らは三輪夫婦のような「化物」にはならなくて済むにちがいない。換言すれば彼らは少なくとも「人間」でありつづけることができる。だからこそ彼らにとって結婚は契約であり得るのである。つまり「絶対に」ということのできない人間と人間が「神」の前で結ぶ条件つきの約束であることができるはずである。  江藤淳『成熟と喪失』p.83-86