3月14日の日記

さっき家に帰りついたとき、空に星がでていた。星を見るのは久しぶりだ。秋以来ではないか。それほどこの冬は寒いとしか思わず空を見てなかったのだ。(見ていたとしても目に入っていない。)
たしかに空気は硬質のものから柔らかなものになっているのだろう。星がまたたいて見える。しかし今日は冷たい風が強く「春は名のみ」の寒い日だった。
仕事前に税務署に寄ったのだが、やはり車が一杯で、待っている時間がなく、出すだけだったので、時間外のポストに入れようと思い並ぶのをやめた。
会社をやめてから、これでたしか4回目の確定申告である。いつもは税務署の特設会場で向こうにあるパソコンを使い、書類を作っていた。しかし今年は家でネットの「作成コーナー」を使いやってみたら、出来たのであとは出すだけになった。(実は印刷に手間取ったのだが、あれはPdfをちゃんと読み込んでから、印刷しないといけない。最初に表示される小さい画像のまま印刷すると、字がずれて困った。)
仕事のあと、帰りにまた寄ると、税務署は当然閉まっていたが、前に車を停め、ネットに出ていた時間外投函口を探すと、玄関の左端に図書館にあるようなポストの差し入れ口があった。近づくと、自動反応のランプがついた。
そのあと、家の近くのBOOK・OFFに寄る。
また結構買ってしまった。とくに、ちょうど一年前にたしか買った銀色夏生さんの「つれづれノート」が目につき、それを二冊と、さらにおなじく銀色さんの写真とポエムの本を買ってしまう。
つれづれノート」は、この人の日記で、最初のほう②とか③とかはそんなに分厚くないのだが、今日買った⑰となると540p、文庫にして3センチ近くにもなる。しかも②は薄いのに日記の期間が1年半余だが、⑰は半年分しかなく、分厚い方が日記の期間が短いのだ。
おそらく続けられているうちに、書くことが増えてきているようだ。
もともと(あまり詳しくは知らないのだが)、きれいな写真とポエムだけの本がよく本屋さんの棚でむかし見かけたものだった。たぶんティーンエィジャーがよく読んでいそうな本で、あまり活字ばかりの本はなかったはずだ。
しかし最近そうした日記が何冊も書かれているのだ。
ちなみに今日買った「つれづれノート②」はこんな感じだ。

最近の私は、すっかり隠遁生活者のようになってしまった。ものすごく、何もしない。外へもあまり出ない。夕方、ごはんの買い物へ行くぐらい。新しい人に会わない。最後に会ったのは二ヶ月前だ。いつも会う人はふたり。物も買わない。旅行もしない。外食もしない。電話もこない。本屋へ行って、本はたくさん買う。テレビは丸をつけたのだけ見る。(略)これは…よく考えたら、私の理想だったはず。これからも、よりいっそう単純に暮らしていきたい。けれど、あまりにもなまけもので活気のないところは、もうすこし改善して、すこしは規則的にはしたい。
(角川文庫『つれづれノート②』銀色夏生著 p.4-5)

次は、小説であるが、似ている文章だと思ったので、紹介する。

そうして、このごろの自分を、静かに、ゆっくり思ってみた。なぜ、このごろの自分が、いけないのか。どうして、こんなに不安なのだろう。いつでも、何かにおびえている。この間も、誰かに言われた「あなたは、だんだん俗っぽくなるのね。」
 そうかも知れない。私は、たしかに、いけなくなった。くだらなくなった。いけない、いけない。弱い、弱い。だしぬけに、大きな声が、ワッと出そうになった。ちえっ、そんな叫び声あげたくらいで、自分の弱虫を、ごまかそうたって、だめだぞ。もっとどうにかなれ。私は、恋をしているのかも知れない。青草原に仰向けに寝ころがった。
ちくま文庫太宰治全集2』「女生徒」p.190-191)

う〜ん、さすがにちょっと違うかな。しかし、根本的なスタンスとして同じものを感じた。いまだに太宰は新しく、銀色さんはわりと古典的、つまり真っ当な日記である。なかなかつれづれノートみたいに日記は書けないものだ。
 高橋源一郎は、太宰の「女生徒」(1939年発表)の「余震」は、74年後のいまもわれわれを襲っていると、どこかに書いていた。
 さっきテレビでニュースステーションを見る。除染の進まない福島のある町に古舘伊知郎が行ってレポートしていた。
 なかなか線量がさがらない原因に、山林の除染ができてないから、ということが浮き彫りになる。いま、問題になっているのは、どこまで除染するか、基準をはっきりさせることだが、年間1mmSvの現行基準値を変えるか変えないかでも、意見が自治体内でも違うと報道していた。変更に反対だという意見は、基準をユルくしても、帰って住みたいと思えないと意味がないというもの。
 方や、山林地帯の除染をするとなると、総額試算で30兆もの費用がかかるという。
大変な話だ。被災地でのこの種の話は多いようだが、放射能の問題は、わかっていないだけに、一番深刻である。