内田樹『日本辺境論』とブッダ・カフェ(3月25日実施)について

3.11からちょうど丸2年がたち、マスコミでは3月に入ってから去年も行なわれたキャンペーンが行なわれ、いろんな番組で現在の東北の復興(が容易に進まない)状況や福島のおもに放射能の除染困難な様子などの特集番組が組まれていて、それらを見る機会があり、あの直後のことを思い出しながら、被災地から遠い自分の周りの現状を見るにつけ、すっかりそれらのことを忘れていることを思わざるを得なかった。(ときどき、思い出してみる程度というべきか)。
自民党政権は、あきらかに原発再稼動の方向性を打ち出している。
結局、なにが、あの時3.11で起こって、その後どういった段階を経て、いまの状況が生まれているのか。日々の忙しさにまぎれ、こうしたことを考えることをやめているというのが、おそらく多くの人の現実だと思われる。
しかしながら、あのとき、わたしたちは、日々の日常を突き破る、ある現実の断面をまざまざと見て、まだその衝撃が残っているが、結局あのとき顔を見せた断面が、いったいなんだったのか、簡単にはわからないまま、日々を過ごしていて、決して忘れたわけではないと思う。
理解困難な、見たこともない、前後に関係ないかに見える映像が、映画を見ていて、急にさしはさまれ、消える。そのあと、また映画は元のストーリーに戻るが、その映像がずっと頭に残っている。
その、おそらく日常のスパンを超えた現実を、とらえるには、要するに歴史的な視野といえる、時間軸を最大限伸ばした、ものさし(スケール)でなければならないのではないだろうか。
レベルが違うので、単に、3.11に関する報道が日々少なくなったり、また、記念日として特集になったり、といった、レベルの問題とは違うのだと感じる。
そして、われわれのその日常が、あまりにもそうした「ロングスパンの歴史的な視野」とかけ離れたショートスパンなる思考にとらわれ、少々レベルの違った次元の問題がでてくると、対処できなくなってしまっているのではないだろうか。
もし、今回のこの東日本大震災原発事故が、わたしたちに何かを与えてくれたとすれば、そうしたロングスパンの視点を、思い出させてくれた点にあると、わたしは考えている。
『日本辺境論』(内田樹著、新潮新書2009年刊)の冒頭にて、内田樹さんは、「『ビッグピクチャー』について一言」という語りだしで、こんなことを述べられている。

今回あえて「大雑把な論述」を心がけているのは(私が資質的に「雑な人間」だということもありますが)、「大きな物語」、マクロヒストリーの市場価値が現在ほぼ底値であることに対するささやかな異議申し立てであります。
   (内田樹「日本辺境論」新潮選書 P.15)

これは、3.11より前に書かれていることだが、いま明らかにその「異議」について、耳を傾けるべきときが来たように思われる。

この「辺境性」という「補助線」を引いて「日本人」をあらためて論じた書物について、内田樹さんは、こういうことを書かれている。

 この本にはみなさんが期待しているような「新しい情報」はありません。先賢の書かれた日本人論の『抜き書き帳』だみたいなものですから。唯一の創見は、それら先人の貴重な知見をアーカイブに保管し、繰り返し言及し、確認するという努力を私たち日本人が集団的に怠ってきているという事実に注目している点です。
 私たちが日本文化とは何か、日本人とはどういう集団なのかについての洞察を組織的に失念するのは、日本文化論に「決定版」を与えず、同一の主題に繰り返し回帰することこそが日本人の宿命だからです。
 日本文化というのはどこかに原点や祖形があるわけではなく、「日本文化とは何か」というエンドレスの問いのかたちでしか存在しません。(あら、いきなり結論を書いてしまいました)。すぐれた日本文化論は必ずこの回帰性に言及しています。数列性と言ってもいい。項そのものには意味がなくて、項と項の関係に意味がある。制度や文物そのものに意味があるのではなくて、ある制度や文物が別のより新しいものに取って代わられるときの変化の仕方に意味がある。より正確に言えば、変化の仕方が変化しないというところに意味がある。
 (同上、p.23-24 ☆斜体部分は、原文では傍点箇所です。)

そして、この日本人の「変わり方の変わらなさ」について、こう仮説を立てている。

 私たちは変化する。けれども、変化の仕方は変化しない。そういう定型に呪縛されている。どうして、そんな呪いを自分にかけたのか。理由はそれほど複雑なものではありません。それは外部から到来して、集団のありようの根本的変革を求める力に対して、集団としての自己同一性を保持するためにはそういう手だてしかなかったからです。もっぱら外来の思想や方法の影響を一方的に受容することしかできない集団が、その集団の同一性を保持しようとしたら、アイデンティティの次数を一つ繰り上げるしかない。私たちがふらふらして、きょろきょろして、自分が自分であることにまったく自信が持てず、つねに新しいものにキャッチアップしようと浮き足立つのは、そういうことをするのが日本人であるというふうにナショナル・アイデンティティを規定したからです。
 (同上 p.29-30)

そして、アメリカ人との違いについて、こう述べられている。

 アメリカ人の国民性格はその建国のときに「初期設定」されています。ですから、もしアメリカがうまくゆかないことがあったとしたら、それはその初期設定からの逸脱である。だから、アメリカがうまく機能しなくなったら(誤作動したコンピュータのように)初期設定に戻せばいい。ここが正念場というときには「私たちはそもそも何のためにこの国を作ったのか」という起源の問いに立ち戻ればいい。
 そんなの当たり前じゃないかと思われる人がいるかもしれません。そうでしょうか。(中略)私たちは国家的危機に際会したときに、「私たちはそもそも何のためにこの国を作ったのか」という問いには立ち帰りません。私たちの国は理念に基づいて作られたものではないからです。私たちには立ち帰るべき初期設定がないのです。
 (同上 p.32)

また、『戦艦大和ノ最後』の有名な箇所、「大和の沖縄出動に動員された青年士官たち」が、「自分たちが戦略的に無意味な死に向かっていることに苦しみ、こうやって死ぬことにいったい何の意味があるのかについて、士官室で烈しい論争をし」て、それを収拾するために一人の海軍大尉が「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ」といったことに対し、こうコメントしている。

「日本ノ新生二サキガケテ散ル」ことを受け容れた多くの青年がおり、戦後の平和と繁栄は彼らから私たちへの死を賭した「贈り物」であると私は思っています。けれども、彼らが私たちに負託した「本当ノ進歩」について、私たちは果たしてそれに応え得たでしょうか。それ以前に、そのような負託が先行世代から私たちに手渡されたという「物語」を私たちは語り継いできたでしょうか。
 私たちはそのような物語を語りません。別に今に始まったことではなく、ずっと昔からそうなのです。私たちは歴史を貫いて先行世代から受け継ぎ、後続世代に手渡すものが何かということについてほとんど何も語りません。代わりになにを語るかというと、他国との比較を語るのです。
 (同上 p.34-5)

いささか手厳しい分析だが、内田さんはそこから、こういった結論を導いている。

 ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを私は本書ではこれ以後「辺境人」と呼ぼうと思います。
 (同上 p.44)

 こうした、「アーカイブ」に数多く集積されたいままでのめぼしい「日本人論」を紹介しながらも、この「辺境人」であるという認識に貫かれた、たしかに「創見」性に満ちた画期的な分析が、どういまの日本を考えるうえで大事なのか、ひとつは、最初に触れた「ビッグピクチャー」の再評価であろう。
その現代から古代日本にまで遡るはるか長き歴史的視点にたって、はじめて、「辺境性」という、日本の変わりなき性向が発見されているのである。

 その「辺境人」としての性向については、悪い?例のみでなく、「辺境人の『学び』は効率がいい」こと、「『機』の思想」を持つこと、「日本語の特殊性」が「辺境語的構造」にあること(マンガは日本語の「ひらがな:ネーム」と「漢字:画」の併用の構造により成立している)など、「辺境人」のよさ、にも言及しているこの本が、わたしたちに示しているのは、なんだろうか。

 それは、現在起こっている様々な事象と、それに対するわたしたちの反応のなかにも、そうした日本人の「性向」が貫かれていることを、発見し、自覚することが、そうした事象に対し、感情的に偏った判断で裁断したり、イデオロギー的な原理に基づき、戦闘的に立ち向かったりいたずらにすることなく、知性的なアプローチで解決なり、働きかけしようとする足場をつくるだろう、ということだと思われる。

 新聞では、ある種のマスコミによくある逆イメージ作戦かもしれないが、「反原発デモが下火」だという報道もあったが、ある意味、そんなことは非常に些細なことであるといえる。たぶん、これからもデモは地道に続けられるに違いないが、かりに消えてしまったとしても、「反原発」の起動が止まることを意味しないだろう。

 それより、世界で唯一の被爆国の日本が、どうしてこんなにたくさん原発を持っているのかは、もっと考えてしかるべきと思う。その原因がしっかり把握されなければ、おそらく、イデオロギー的に「反原発」を唱えても、日本人は、原発行政を断ち切れないのではないだろうか。

 いま、日本は、世界各国から「課題先進国」と、誰が言っているのか知らないが、呼ばれているという。現代文明の解決困難な「課題」が、震災を契機に、解決すべきものとして、被災地を中心に押し寄せているという意味だと思う。
 
 「南海トラフ」のことも、取りざたされる現在、今は東北に起こっていることが、近い将来、どこかに「確実に」起こるだろう。日本人の「辺境性」は、日本が「災害国家」であることにも、深いつながりがある。

 とりあえず、震災の直後から、確か2011年の5月から毎月、京都のあるお寺で、最初は関西へ避難されてきた方々を迎え、そのコミュニティ・カフェ的な意味合いで開かれていたらしき「ブッダ・カフェ」というネーミングの、よろずお話会みたいな場があった。わたしは、ところどころ休みながら、その場に参加して来た。
 
 そこでは、いまは、ふらっと、どこからともなく、いろんな方々が出入りし、様々な話をされていった。そこで、それぞれの参加者の日々の生活スタイルから繰り出される、このおもに3.11をめぐって(あまり関係のない話もときにはあったが)、写真でいえば、独特な被写体の選び方、そこへのレンズのあて方、現実の切り取り方、などをわたしは感じた。その余韻を、数日間噛み締めて、地震とは直接関係のないことも含め、いろんなことを考えはじめたように感じる。
もちろん、結論が出るわけではない。
 
 たとえば、むかし高校のときからずっと考えていた「受験勉強」といわゆる「学問」の違いと、その頃感じた学校の教育の問題点を、蒸し返して考えたりもしはじめた。(そこには、あまりにも「ビッグ・ピクチャー」をないがしろにしてきた「大学」を頂点とする「偏差値重視」教育の落とし穴が見えてきた。)
 
 むかし読んでいた小説や本を、見なくなって絶えて久しいといえる本棚の奥から引っ張り出し、再度読み始めたりした。

 最近では、この「ブッダ・カフェ」なる途中参加自由のコミュニティ・サークルは、毎月25日に京都の四条富小路定下ルの徳正寺にて、定期的に開催されている。
 
 ☆今度、3月25日、平日ではありますが、その「ブッダ・カフェ」で、ふとそうしたわたしのいまのトピックとして、考えている「日本人について」をメインのテーマとして、その「ブッダ・カフェ」のよろず話し的なスタイルで、参加者の思われたり、考えたりされたことを話してもらおうと思っています。
 よろしければ、参加してください。詳しくは、こちらをご覧下さい。→2013-03-21 - ぶろぐ・とふん