連続テレビ小説「あまちゃん」に見る「昭和」

4月から始まった「あまちゃん」は、早くも第三週に入ってしまったが、「純と愛」以来この連続ドラマ枠としては、異例と思える質の高さに驚く。
もともとあまりこの連続ドラマを続けて見たことがあまりなかった。いや何度か休まず続けて見ていたものはあった、「ゲゲゲの女房」「凛々と」の二つ。超昔に「鳩子の海」。
話題の「おしん」「カーネーション」はなぜか、見なかった。
たしかこのNHKの朝ドラは、時代設定が現代でないことが多かったはずだ。しかし、ここ最近2作はいま風ドラマになっている。そしてなんとなくあか抜けた印象がある。脚本家が普通のドラマで高名なひとが続いているからだろうか。

あまちゃん」を見ていて気づいたことがある。
舞台になっている北三陸に実際に走っている北三陸鉄道、主人公秋の母親がバイトしている夜はスナックになる(壁をどんでん返ししたら喫茶店がスナックに変わる)喫茶店の白い色調のカウンター、その秋の母親の小泉今日子の物言い、秋の祖母の宮本信子の海女の出で立ち、彼女ら海女が労働歌にしているらしき「いつでも夢を」のうた、それらはまぎれもない「昭和」の残像である。
いまでも地方都市にはたしかに、昭和の懐かしい風景が、生活の場で現役に残っているものだ。
いままでの朝ドラでは、時代設定を昭和にして、それら懐かしい背景をセットで使っていたのだろうが、「あまちゃん」では、地方都市を舞台にして、その背景を現代の時間のなかで使っている。
それが、前にも書いた3.11後の時代の気分とマッチして、ただレトロなだけでない魅力を放っているのだ。
そして、このドラマには、昭和を彩った数々の映画やドラマのデジャビュ的な引用がたくさんあるように思う。
東京でのサラリーマンをやめてニートとして帰ってきたらしき小池徹平が、海岸の見張り小屋のバイトをするのと、波止場の風景と海女の姿は灯台守りを描いた「喜びも哀しみも幾千日」や東宝の石原雄次郎の映画を思わせるし、秋の祖母の暮らす平屋らしい日本家屋は小津安二郎の映画に出てきそうな畳部屋だ。
元海女たちの若くない女性たちが集まり騒ぐところは、吉永小百合が主演した名作「夢千代日記」の山陰のしがない温泉宿芸者たちの姿とダブルし、秋がもぐる美しい北三陸の海のなかのシーンは、山口百恵が演じた三島由紀夫原作の映画「潮騒」を思い出させる。
小泉今日子演じる春子がバイトでママをしている喫茶店兼スナック「リアス」の店内の白い調度は、70年代に流行ったフォークミュージックを思わせ、そのカウンターでいつも「烏龍茶水割り」ばかり頼む春子の幼馴染み大吉は、いきつけのスナックで同じくカウンターに座り、牛乳しかのまない「探偵物語」の松田優作を彷彿とさせる。
なかでも、ドラマの陰の主役ともいえる北三陸鉄道のホームから発着する二両か三両編成のかわいい電車は、印象的に電車を常に登場させていた「北の国から」を思い起こす。
そんないろんな要素がふんだんに入り交じり、このドラマは、われわれの心の昭和をみごとに現代にいかしているように思われる。