おばかなパソコンのインターネット復活の件〜プロバイダ変更時の注意点など

やっと、インターネットのプロバイダの切り替えができ、ブログが更新できるようになった。

このプロバイダの変更には、実に時間がかかってしまった。その間も、プロバイダの管理会社(某電気量販店系列ED***のプロバイダ会社)には使用料金、ならびにNTTには、まったく使用してないインターネット使用料を支払い続けた。あほらしいこと限りないが、当方の不精と管理不徹底による、プロバイダ会社からのインターネット登録用ID書類の紛失が主な原因なので、自分にあたるしかない。

この前のブログの更新が、3月2日だったが、このときもインターネットは使えなかった。携帯からメールで更新できるので、それでやむなくやった。(といっても、パソコンを起動させるのが妙におっくうになり、それで実は更新する場合が私は多い。)

プロバイダを変更することは、普段あまりないと思われるが、ここで少し備忘のため、記しておきたい注意点がある。

それは、インターネットのソフトをダウンロードしなおさないといけない点である。

具体的にいうと、NTTのフレッツ光を申し込んだときにもらったPC設定用のCDを、もう一度パソコンで起動させて、再設定しないといけないのである。

そんな簡単な、と今は思うが、当初は何がなんだかわからなかったのが事実である。

わたしが、当初、新しいプロバイダ会社から、自分のIDを受け取り、さて、どうしたらいいのだろうか、と同封されていたマニュアル(すごく薄っぺらい長型3号サイズの封筒に合わせたサイズのものだった)を読んでも、そのことは書いていない。個々のパソコンにより、やり方が異なるからだろう。

そのうち、面倒になって、しばらくなぜか前のプロバイダの会社に、退会を申し出ても、インターネットがつながっていたので、あとでうっちゃっておいたら、突然、当然ながら、ネットがつながらなくなった。

回線の故障かと思い、NTTに故障の申し出をした。たしかに、光のケーブルが、あろうことか、虫かねずみかにかじられ、ビニールのカバーが破れ、回線がむき出しになっている箇所を見つけた、ということもあった。

NTTは、ケーブルのことを言うと、すぐにメンテナンスの方が来訪され、新しいケーブルに取り替えてくれた。(そのさい、「隼」というサービスが無料で登録できるので、どうですか、と営業?もされた。わたしは、工事が早く済んだことに感動し、つい申し込みます、と即答した。いまも、そのサービスを使っているのだと思うが、すぐに使えなかったところは、残念なところだ。)

しかし、その後も(当然ながら)インターネットは復活しない。わたしは、NTTにもう一度問合せしたように思う。(だいぶ前になるので、記憶が定かでない。)

すると、「プロバイダ関連の問題だと思われます。最近、プロバイダ会社を変更されましたか?」と尋ねられた。

わたしは記憶のかなたにあった、あのED***ネットのIDの登録をうっちゃっていたことを思い起こしながら、「ああ、はい」とか答えた、と思う。

それから、必死になって、あのIDの用紙の入った封筒を探した。しかし、長い間見つからず、ほんの数日前、ある偶然から見つけた。

実は、そのED***ネットという新しいプロバイダ登録をした会社に、一度電話で問合せをしたのだが、そのとき、ID用紙の紛失による再発行は手数料200円がかかります、と言われなぜか無性に腹が立った。

くそっ〜、馬鹿にしあがって、という感じだった。そもそも、プロバイダ変更の案内がわかりにくく、すぐにできなかったために、未遂のまま、封筒をどこかへやってしまったのが原因なのである。それくらいの、料金どうにかなるだろう、といわれればそれまでだが、意地になって、探してやる!と思い込んでしまった、というのが、こんなに時間のかかった、主たる原因である。

結局、わたしはインターネット使用の機会損失と、その間ランニングコストを支払い続けた損失とあわせ、200円をはるかにしのぐ目に見えない損失を払わされているはずだ。

ただ、インターネットがつながらなくとも、そんなに不便は感じなかった。フェイスブックの書き込みがたくさんあったのを、人づてに聞き(誕生日があっただけだが)、町のレンタルパソコンを借りて、閲覧できたときは、少し不義理すぎるという自責の念を感じたが、それ以外はそれほど不具合は自分としてだけだが、なかった。

インターネットのランニングコストは、スマホや、タブレットも氾濫している昨今、妥当なものかどうか、考え直さないといけないだろう。

ちなみに、わたしはまだ、スマホタブレットも使っていない。ガラケーで十分用が足せている、と思っている。それも、長い目で見れば、ある種の機会損失をし続けているのかもしれない。と同時に、ある観点から見れば、ある種のちがう種類の機会をまだ確保できているのかもしれない。(たとえば、「つながらない」時間や読書の時間の確保など。)