昨日に続き暑かった日 NHKラジオすっぴん・「思い出の歌」(金曜パーソナリティ高橋源一郎)と村上春樹新作短編の関係?

「学生には、思い出を作りなさいよ、っていってるんです。なぜかって言うと、思い出があると、そこに心のなかで戻ることによって、人生に奥行きと深さができるんです。その思い出に音楽があれば、楽しいですよね。思い出しやすいし。」

ラジオのNHKの第一放送で、毎日平日午前中にやっている「すっぴん」という情報番組がある。普通のサラリーマンなら絶対聴けない時間帯だろうが、主婦のかたや、普通とはずれた時間帯に働いている方(わたしみたいに夜勤が多いとか)なら聴いてみては、と思うなかなかいい番組だ。
ダイヤモンドユカイや高橋源一郎水道橋博士などがパーソナリティをしている。
最初の引用のことばは、今日高橋源一郎が、番組の終わりで話したことだ。

今日、母を介護施設に送りながら(実は夜勤明けで朝帰りし、仮眠したらつい寝過ごし、遅刻しながらだったが)、ラジオでその番組がやっていた。
なかなかいつも聴けないが、ときたま聴いてみると、貴重な情報が得られる。
たしか現代アートのあいだみつおのことを、わたしはこの番組で、あいだの生の声を聴いて知った。たしか高橋源一郎がインタビューしていたと思う。
今日は、「思い出の歌」というテーマで、リスナーから寄せられた個々の思い出の歌リクエストを、かけていた。「深夜放送のDJみたい」と高橋源一郎も言っていたが、リクエストについてリスナーが書いてきたメールか何かの「お便り」が、なかなか意味深で、ホロッとするものが多く、思わず聴き込んでしまった。
曲は「たそがれマイラブ」
「ワンダフル・ワールド」がよかった。
(ラジオで、特に生の番組で音楽を聴くとき、最近感じることがあります。
わたしたちの世代だとたしかに深夜放送、近畿放送のズバリクやオールナイトニッポンでしたが、いま思うと、あれは少なくとも1000人以上は、同時に耳を澄まして同じ歌を聴いている、不思議な時間です。そのとき、なんとなく一人だけで聴くとき聴こえるものが違う気がするんです。
科学的に証明するのは難しいと思いますが、一種の共同幻想の場じゃないかと、思うんです。
これはマスコミの隠れた力みたいに思います。)
音楽は、たしかに疲れを癒す、かけがえのない、偉大な力がある。
わたしは睡眠不足と、照りつける日差しに疲れ、気持ち的には、用事が絶えずやりたいことをやる時間が失われていくのを嘆いていたが、歌を口ずさむと、疲れがとんでいった。

ちなみにわたしの思い出の歌はなんだろうか?

いま読んでいるところの村上春樹の新作短編集『女のいない男たち』に、主人公の「思い出の歌」がタイトルになっているものがあった。
『イエスタディ』だ。
ある種変わった三角関係をテーマにしていた。
三角関係と言えば、かつて村上春樹を一躍メジャーにしたベストセラー『ノルウェイの森』もそれを扱っていた。
これもビートルズの同名の曲がタイトルになっている。
どうもビートルズの曲は、村上春樹に三角関係を喚起させるように思える。
小説では、両方とも、歌は小道具として使われ、内容的には無意味とも言えるが、「思い出」つまり物語を紡ぎ出す存在として、それは欠かすことができないないなにかなのである。

村上春樹は初期の作品の中には、ビーチボーイズやドアーズ、スライ&ファミリーストーンというアーチストの名前は、頻発するのに、不思議とビートルズの名は、たしかほとんど出てこない。つまり語られない。
(たしか『カンガルー日和』に、「ディ・トリッパー」がタイトルになっている『17歳の?ディトリッパー』という短編が入っていたが、それ一つしくらいじゃなかったか。
こんどの新作短編には「ドライブ・マイ・カー」という作品も入っていた。
ビートルズは、村上春樹の作品のなかではめったに語られないのに、なぜか、その曲が唐突に作品のタイトルとして使われ、登場人物にとって、物語の発端となる重要な役割を担わされている。
そのうち、きっと「イン・マイ・ライフ」や「ストロベリーフィールズ・フォーエバー」という作品も出てくるにちがいない(笑)。いや、『ヘイ・ジュード』あたり、けっこう有力かもしれない。