施設〜山菜〜糸の月

今朝は夜勤明け6時に家に着いた。なんとか10時半には起きた。
実は、退院後ずっと家にいながら、なんとか通所ディサービス、訪問ヘルパー併用で在宅介護をしていた母を、昨日、短期入所だが施設に預けてきた。
こう書くのも、なんとなく簡単すぎて、あきれるほどあっさりだ。
ここに書くのがそもそも不謹慎なのかもしれない。
おいてきた事実がなんだか嘘みたいだが、思ったほど重く感じられないのだ。
これはじわじわ、今回、骨折による入院、退院、家での介護という、期間的に約5か月弱の間、折に触れずっと考えてきて、そのなかで決めたというより、流れ着いた結論だったからかもしれない。
実際、その決断にいたるまで、紆余曲折の小さな分かれ道ごとにわたしは迷いに迷い、いろいろ悩んだことはたしかだった。
そのなかで、海のなかで徐々に対岸の景色が見えてきて、そこにいったん船を寄せ上陸する(まだ目的の港には着いてないが、途中立ち寄り、短くない滞在をするところ…)みたいな感じかもしれない。
そう思えば、むかし、山道を国土地理院の二万五千分の一の地図を持って、迷いながら上りおりしたが、そういう経験は、いま大いに役立っている、と言える。
結局、自分で決めないで、ケアマネや業者さんの言うなりにしていると、あとで後悔するとき、人のせいにしてしまう。それは双方に取り、不幸なことだ。
母の入った施設は、老人保険施設といって、病院と介護施設の間の子みたいなもの、らしい。
今日夕食時に見に行ってしばらくいたが、なんと病院で同じ病棟だったご老人も何人かお見かけした。
場所がわりと近いからかもしれない。
だが、サービスは病院よりよい。職員の方も(病院の方には悪いが…本質的な役目が違うからだろう。だが病院でお年寄りがかなり脳にダメージを受けてしまうのは現実的にあり、うちの母も例外ではなかった。)かなり親切で丁寧だった。
母の食事のとき、テーブルに席をしめすネームがテープで貼られていた。
「○○○○氏」と書いてあった。なんとなく微笑みを誘った。
「氏」…(笑)
少し、いやかなり安心して家に戻り、午前中、K氏がわざわざ持ってきてくれた□□□□□をどうしようか、考える。
Kさんは毎年□□□□□の若芽を、秘密の場所で取ってきてくださるのだった。
(結構最近人気の山菜で、乱獲が心配されているから、こういう情報はあまりこんな場所に書くべきでないかもしれない。だから、山菜名は伏せた。)

半分、いや今年は三分の二くらいを、今日、畑の知人にあげた。

いつもなら、そのままとりあえずおいて、すぐ寝るかほかのことをするところだった。
あろうことか、小麦粉なんかごそごそ探し出し、水で溶いて、それだけでは水っぽいので、卵を入れ、思いきって天ぷらにした。
実は天ぷらなんて自分でするのは何年ぶりだろうか!
鍋に油をためて揚げなくても、フライパンに油をうすく10ミリ弱ためるだけでも、揚げれた(たしかテレビの料理番組でそうしていた)。
実は、今日知人の畑を手伝い、草刈をしていたら、ウドの若芽を何本か見つけ、二本採ってきた(たぶんウドだと思われる:写真)。
それも一緒に揚げたかったのだ。
いや〜、揚げたては美味しかった。
その直後、こんなことはいまだにわたしにはこれまで一度か二度しかあったことはないことだったが、即行、車でひとっ走りして、叔母の家に届けた。
毎年知人からいただいた□□□□□を少し回すと、かなり喜んでくれていたのである。あまり今年は量がないこともあり、揚げたものを持参した。
なぜこんなめったにないことをする気になったのだろうか。
帰ってくるとき、空に、紙を切ったみたいに薄い、糸の三日月がでていた。
たぶんそのせいだったのではないかと思う。