Song One(ブルックリンの恋人たち)

いま市バスのなかでこのブログを書いている。前にも書いたが、昔は交通機関をよく使っていて、ブログをほぼ毎日更新できていたのは、ひとつはそのおかげであろう。
バスの中で座席に座れればだが、携帯メールを長時間操作できる。なかなかそのような状況に普段家などでなることは少ない。移動時間というのはなかなかあなどれないものだ。
さて前回標題の映画について触れた。だがあまり書けなかったので、少し映画の中身について書いてみたい。
人はおうおうにして、「てんてこまい」するほど忙しかったり、なにかよくないことが起きて大変なとき、重要な出会いをするようだ。
この映画の主人公(名前は忘れてしまったが、アン・ハザウェイが演じていた)は、弟が交通事故で意識不明の重体で入院し、看病しているとき、あるシンガーソングライター(古い言い方だが)に出会う。

ジェイムス・フォレスターというシンガーで、この名は架空だが、演じてるのは本物の歌手。
ジョニー・フリンというシンガーであるらしい。
そして、彼が歌うコンサートの様子が何度か登場する。
そのとき流れる歌がたしか2曲だけだったが、耳に残った。おそらく実在するジョニー・フリンの曲なのだろう。
夏の炎天下のした、仕事中えんえんとその歌が頭のなかをぐるぐる回っていた。
ジェイムス・フォレスターはアン・ハザウェイ演じるその女性の弟がリスペクトしていたシンガーであった。どうやら弟は彼に憧れ、大学を辞めて路上で歌いながらプロになろうとしていたらしい。
それでその弟の部屋にあったギターケースにジェイムスのコンサートチケットを姉は見つけ、そこでジェイムスと会い、話し関係が始まる。
なりゆきはまた見てもらうとして、大変な状況でいかに人が危機を脱するかについて、考えさせられるいい映画だった。この映画の場合、鍵は出会いと歌にあった。

それはわたしだけでなくそれぞれ人がまさにいま陥っている状況でもあるだろう。
家族の入院や姉弟の関係、ギター弾き語りによる歌、など、個別には違えども、おおまかには実に似通っているような気が、、。
わたしは、いまから実はアマチュアだがライブを見に行くところなのだった。

ちなみに映画でのジェイムス・フォレスターのスタイルは、バックのバンドなしのギター(コーラスやリフの再生のできる機材をつないではいた)およびバイオリンのみの弾き語りであった。