アラフォー(5)年鑑3 オフコース

アリスのことに触れたらやはりこのオフコースに触れないわけには行かない。時期は前後するが、その下積み時代の長さや、ブレークの仕方や女性人気度、武道館に突入して絶頂期で解散という道筋が、この日本のニューミュージックの二大巨頭グループは大変似ている。
しかしこれだけキャラクターや雰囲気が違うグループも珍しく、まさに似て非なるものなのである。
はじめてオフコースを聴いたのは、高校二年の頃か。
ちょうど自分専用のステレオラジカセをはじめて買ってもらったときで、FMのエアチェックに余念がなかった時代だ。
レンタルやさんなどまだなく、CDさえその片鱗さえ見えなかった。レコードが高くて買えず、中高生はFM放送から好きな曲の流れるのを待ち、カセットに録音していた。
本屋には「週刊FM」や「FMレコパル」が平積みされていて、その中に載っている週刊番組表を目当てによく買ったものだ。
さて、私はなぜか偶然(川に魚釣りにいって予想外に大きな魚が釣れたときみたいだが)FM放送から「愛を止めないで」を録音した。
これはその頃毎日それこそ聴いていた。
当時爆発的にヒットしオフコースの名を日本全国に広めた曲、いまでもソロ活動している小田和正が歌っている名曲である。
私は中学生の時はクイーンやビートルズなど洋楽をもっぱら聴いていた。
そんなやつでもオフコースにはすごく新しさを感じた。あのツヤのある澄んだ感じのギターやキーボードと小田のオクターブ高いささやくようなボイス、それといきなり!という感じで前置きなしに心に入るような歌詞〜
♪優しくしないで君はあれから(愛を止めないで)
♪もう終わりだね(さよなら)
♪いまなんて言ったの?(YES-NO)

すべてがセンチメンタルなハートを虜にするものだった。
オフコースの登場から日本の音楽界、ニューミュージックは都会派路線に弾みをつけていった。
それがあの日本が超円高のバブルへの道を歩む80年代の幕開けだった。高度成長から高度消費社会への変わり目、学生下宿からワンルームマンションへ、システムからウインドウズへの、アメリカ製品から日本製品への変化のときだった。
ただ、「愛を止めないで」が大ヒットするまでのオフコースの昔の歌にも捨てがたいいい歌があった。
それはアリスも得意としていた孤独と別れを歌ったフォークな曲である。
そこにはやはりまぎれもない青春=政治だった時代の残像がかなり薄まっているが紛れ込んでいるように思う。
ビッグになったアリスやオフコースのラブソングには、もはや反骨や闘争は無縁で、それとともに時代は政治を忘れ去ったのだが、初期のオフコースは、自分達をこんな風に歌っていた。

もうそれ以上そこに
立ち止まらないで
ぼくらの時代が
少しづついまも動いている(ぼくらの時代)
「ぼくらの時代」は60年代に大江健三郎が当時の学生運動を描いた小説である。
小田和正がそれを読んでいたかどうかはしらない。しかし、彼が先行世代のカウンター(反抗)として、みずからの世代を代表する世界を、愛とつぶやき、ハイトーンなソフトフォーカスされた恋人たちで満たしたのは明確でないかと思う。
アリスやオフコースはその後のニューミュージックの路線を決定づけたかのように見える。
彼ら以降、フォークが持っていたアウトローな反骨と孤独の叫びは収まったようにみえたが、長渕剛松山千春という日本の両端、札幌と博多で生き延び、尾崎豊の登場でまた噴火し、中学生の反乱として全国に広がった。(のだったがもはや世代の断絶は深刻で尾崎の死が語るように、反抗は孤立し、しぼんでいかざるを得ない状況である。)
勢いに任せ、勝手なおとぎ話を作ってしまった…
よく考えないままに作ったので、当たってないかもしれない。
しかし、「ぼくらの時代」という歌に現れている、肩肘張った闘争からも自由な新しい世代のやさしさの中にも、自由をはばむ者には憎む視線をむける激しさが、この歌のころのオフコースには秘められていて、素敵なうただと思うのである。
昔話がつい長くなる〜これもアラフォーの弱点であろう。
政治や闘争の時代さえ知らず、アラフォーが語るべき資格さえないのに。