11月19日 映画「沈まぬ太陽」と戦争体験について

在職中ほぼ映画館で映画を見ることもなかったが、この機会に見ておけという感じか。実は元職場のスタッフO君に誘われたのだが。
ちなみに、よく考えれば昨年は異例の2本の映画を見ることができた。「クローズド・ノート」もそうだ。しかしなぜか20年前入社してからそれを含め数えるほどしか映画館に行っていない。
最近の2本以外は、転勤の前や何かの節目に行くような巡り合わせになっているみたいな気がする。
ところで、最近の映画館の特色として、なにを観るか決めていたにしても、映画館であらためて迷うという事態が発生する。
これはいいことか悪いことか結論はでない。しかし、この日も、映画館に行く前は、ほかに「ゼロの焦点」と「カムイ外伝」という選択枝があり、時間的な問題から「カムイ外伝」を見ようと思っていた。しかし着いてみると三つとも見れることがわかった。
沈まぬ太陽」は、途中でトイレ休憩(これは、ネットで知ったが単にフィルム巻の限界で、交換のためやむを得ないらしい)もある長編で、あらためて決めるのにいささか決断が要った。
しかし、前にSpeakEasyで、店にいたお客さんが「よかったよ〜」と絶賛していたのを耳にしていたので、勇気?を出して見ることにした。
結果、よかったと感じた。O君も満足していた。
映画館であらためて見る映画を決めるのも、悪くはないように思う。
沈まぬ太陽」:山崎豊子の小説が原作だ。O君によれば、山崎豊子が、アフリカを旅行中に駐在中の某航空会社の社員と出会ったのがきっかけらしい。
会社の名前はかえてあるが、ほぼ実話っぽい物語である…。
主人公は航空会社の組合活動の闘士だった。そのため、何度も海外勤務、つまり左遷を言い渡される。中東からアフリカと転々とし、日本にはなかなか帰れない。家族も別居を強いられ、母親の亡くなるのにも立ち会えない。
昔は、海外勤務は左遷だったのだ。
さらに、例のジャンボ機墜落事故の際、たまたま日本に帰国していて、被害者の遺族係として急遽、遺族の対応にあたることになる。
ただそこで、事故後、新しく会社外から経営再建のため就任した会長が、真剣に会社を思うこの主人公に目をかけ、経営改革を目的とする会長室の要職に引き立てる。
会長の後押しもあり、墜落事故の原因であった機体整備のシステムを改善したまではよかったのだが…
主人公を演じるのは、渡辺謙、そのライバルで、元同志で組合の副委員長だったが、のちに経営幹部となり、暗部から会社を牛耳る敵役は三浦友和だった。
映画では労組運動が、でてくる。そして経営サイドは、そんな時代だったのだろう、強硬に対峙し、労組の組合員にたいする報復人事を当然のように行っていた。
ただ、映画では当時の労組の運動は、今でいう「品質改善運動」の側面が強く、人命を預かる航空会社職員の待遇改善が安全に直結するというポリシーをもつものとして描かれていた。(少なくとも主人公の思いはそうだった)
そして結局、その要求は本質的に反映されず、あの悲劇〜1985年のジャンボ墜落につながる企業風土を形作られたという見方をとっていた。
ただ、単なる「企業叩き」ではなく、渡辺謙の熱演は、彼が演じた主人公の限界も示していた。
会社ぐるみの汚職、壊される組合、出世争いの足の引っ張り合い、企業にどこでもあることがより集まって、流れを作っていて、一人で抗おうとすれば、僻地へ追いやられる…そんなやりきれない状況を素晴らしく演じていた。
どの企業でもあり得る話ではないか。
しかし人命〜これはなによりも尊いものだ。公共交通企業に安全対策の不備は許されないのだ。
ではなぜあのような事故が起こったのか。再発しないための対策ははたしてできているのか。それがこの作品の「問い」なのだ。
たしかに整備不良が原因の飛行機事故はあれ以後起こってはいないかもしれない。
しかし、JR福知山線の事故は記憶に新しい。これはまた別の要因ながら、安全面で落ち度があったことは確かだ。
しかし、この物語には糾弾だけでないもう一つの視点があると思った。
それは主人公が最後にアフリカの夕陽のことを語る場面だ。
事故で犠牲になった家族を弔うため、お遍路回りをするある遺族に主人公は手紙を書く。それを渡辺謙が読むシーンだった。
死者は戻っては来ないのだ。そして遺族の傷も癒えはしない。
事故の犠牲者を思うにつけ、これはあの戦争の犠牲者と似ているように思われる。
戦争も事故も人為的なものではあるが、だれも好んで起こすものではない。しかし、国家や企業など大きな組織になると、どんどんその事態に巻き込まれてしまう。
たしか、私がまだ学生の頃、同じ山崎豊子の原作「二つの祖国」がNHKの大河ドラマになっていたが、太平洋戦争のときアメリカに住んでいる日系2世を主人公にしたドラマだった。彼らも結局アメリカ人と敵対し、過酷な運命をたどらざるをえない。
戦後すでに65年になろうとしつつある今も、あの頃を悔恨とともに思い出す人たちがいることを知った。
朝日新聞で毎月第三月曜に連載されているらしい。戦時中のことを思い出しつつ、心に残ることを投書され、それを紹介しているらしい。
もちろん、大小さまざまなことなのであるし、ちょっとしたこと、たとえば、子供の頃、行進していた兵隊から手紙の言付けを頼まれたが、学校で禁止されていたので断ってしまった、といったことだ。
戦争の中枢にいた軍部とはまったく無縁な人々である。
しかしそんな人たちも戦時には歴史に巻き込まれ、64年経っても、誰にも言えずに心に秘めてきた思い:悔恨があることを知った。
(紹介されていたブログを見たのでここにリンクを張らせていただきます→http://d.hatena.ne.jp/michimasa1937/mobile?date=20091117
だからといって何事も変わらないのは当然だが、何か感銘深い。
おそらく、このブログで書かれているように、そのことでご本人が救われていることが感じられるからではないだろうか。
同じく「沈まぬ太陽」が描く世界、やりきれない実態があった一企業の社員、主人公をはじめすべての関係者も、山崎豊子とこの映画により擬似的にではあるが、こうして白日のもとに実態が明かされた。
それは何より、彼らの悔恨を促し、また救いの契機となりえないだろうか?
そこにしか、この物語の感動はない。今後の交通企業の大事故防止について、なにがしかの教訓は、そういった正直な悔恨がなければ、決して汲み取れないだろうから。