アラフォー5年鑑6・矢沢永吉ROCK'n'ROLLツアー〜奇跡的に現存する最後のヒーロー

永ちゃんのコンサートの日ががついに来てしまった。
今年はついにフリーの身の上で参加することになる。最初から余裕を持って見れるのはありがたいが、複雑な気分だ。
毎年、チケットを取るものの、土日に休めるか不安で、土曜か日曜かどっちが行きやすいか悩んだり、また休みでも用事ができて、会社に寄り、済ませてからいったりして遅れていったり、数えるほどしか、まともに見ていない。
そんなわたしと共にあった永ちゃんのコンサートではあり、もう今日はその14年分(確か最初に行ったのは、1995年か96年だった)まとめて楽しもう…という気持ちか。
おまけに昨年は永ちゃんの音楽活動休止のためコンサートはなく、今年は2年ぶりでもあった。
よく私は、自分が永ちゃんファンだと言うと、タイプ的には意外らしく、「え〜!?」×100くらいの勢いで驚かれる。
また、ロック好きの方達からは、「違う」意味でおどろかれる。
おそらく永ちゃんの音楽は厳密な意味でロックじゃないというわけだろう。
たしかに、永ちゃんの音楽は、ロックの持つヤンキー的な一面をデフォルメし、強烈なカラーを打ち出し、そこから一歩も引こうとはしない。
そのいわば日本流に形のできてしまった、リーゼント、革ジャン、バイク、外車(60〜70年代のカマロやフィアット)、飲むのはウイスキー・コーク風なステレオタイプの音楽だと、ちょっと悪く言えば馬鹿にしてる?ようだ。
しかし、それはじつは永ちゃんのエライところでもあるが、そのスタイルを崩さず、その道をつきすすみ、ユーミンのシャングリラほどの狂気のショーほどじゃないが、それにも匹敵する、「ロック・ショー」を完成させ、全国ツアーを継続しているところが素晴らしいのである。
楽曲も、最新の曲は昔の70年代の永ちゃんの曲の独特のトーン〜傷ついた獣の叫びのような〜に戻ってきている。
この人の歌う歌は、どちらかと言うと暗いトーンが基調で、サザンのC調とは対照的である。
やはり先駆者はどんな道でも、孤独なのだろう。闘い、仲間を裏切り、裏切られした傷を感じてしまう。
彼の歌う歌には、どうしてもそういう影がぬぐえなくあり、それが好きな人と嫌いな人を分けてしまうかもしれぬ。
しかし、ビートは激しく、リズムは強烈、そして黄金時代のアメリカンドリームがほとんどの曲の基本構文だが、この人のたどってきた道が、多くの戦後日本の成長を影で支えた、どちらかといえば労働者の若者のたどってきた道と重なりあう気がわたしにはするのだ。
思えばなぜか、この人は比較的若い頃から「長い道」なんて歌を歌っていた。
たぶんソロになってはじめて武道館や後楽園スタジアムでやったコンサートの頃だ。
キャロル解散後、ソロになって日比谷の野音から出発し、やっとビッグアーチストになったというひとつの達成感があったのだろう。
おそらくそのときから彼はまったく前進も後退もしてないように見えなくもない。
それでいて第一線であることは確かなのだ。それが不思議なことであるが、それは彼が批評的に自分という消費されるスターを演じれる類いまれな人だからかもしれない。
そして、うまくいえないが、一年に一度必ずコンサートをして懐かしいナンバーをファンに聴かせて、ファンらの歩いてきた歴史をも歌の中に再現させている〜その歌を聴いた部屋、好きだった人やその頃の季節や風や星などを。
もともとファンがみんなそんなふうに永ちゃんの曲を聴いていたわけではないだろう。
なのに、このコンサートは巧妙な仕掛けなのだ。彼の歴史に重ねて、比べるべくもないが誰もが生きてきた道を投影することのできる装置なのである。
それは彼の歌が持つもうひとつの側面である。強烈なドラマが内蔵されているのだ。
もうすでにいないヒーローを演じ、もうすでにない風俗、かつてあった愛と別れをえんえんと歌ってしかも聴かせてしまう。
なんというパワーと技量の持ち主か。また意のままのバンドも持っている。そしてショーを演出できるセンスもある。
そして何より、この人は(聞き語り形式の伝記『成り上がり』でもわかるように)自身の歴史を語れる才能があり、この才能は優秀な政治家や経営者が備えている、自己の偉業を伝える必須の技術である。
そして数々の巧みな演出によりスーパースター街道を30年以上歩んできて、いまなおステージでマイクスタンドをブン回す彼に、現存のヒーローの幻影を見るなと言っても無理な話だ。
そしてわれわれはその渾身のナンバーを歌うヒーローを見続け、見事に錯覚するのだ。
男は男であり、強くカッコよく、女を守らねばならぬ。
女は女であり、可愛くいとおしく、男を愛さなければならぬと。
彼の楽曲が性と暴力に強く帰属するのはたぶんそのためである。
そして悲しいことにこの世の現実はその夢を錯覚だと教えざるを得ない。
まさしく、彼のロックン・ロールは、「ワン・ナイト・ショー」である。明日になれば消える夢なのだ。
しかしわたしたちの人生というエンジンは、じつはこんな夢・錯覚を燃料としてしか決して動かないのである。
それが人生の面白いところだ。
永ちゃん、今年も、いや、こんな時代のこんな年だからこそ、最高のステージでした。
最後に歌ってくれたこんなやさしさをわたしはこの世に他に知らない気がします、ありがとうございました〜
♪うつむいている心
欲しいものは Yes Love
もし涙にできたなら
今というときがすぎても
こんなに悲しくなんてないだろう
いつ、いつの日か
おまえにもわかる
ひとりきりでは生きられない
いつ、いつの日か
おまえにもわかる
愛に気付いたその意味を

いつ、いつの日か
もう一度会おう
夢を見ていたこの場所で
矢沢永吉『いつの日か』)
わたしたちが追い付こうとして見上げていたヒーローは、わたしたちをこそこうして見守ってくれていた、いままで、そしてこれからも…
ぜひ一度、大阪城ホールに行ってタオル投げてみませんか。
大阪城ホールのライトアップ(手振ご容赦)↓