「恐ろしく月並みな嘆きのただ中にいる」小林秀雄の「昭和の別れ」

多くの方々がいまハローワークで失業給付を受けているのを見、わたしもその列の中に並んでいる事実を含め、大変な時代だなと痛感する。
また、職場を何らかの理由で離れることにも人との別れのような感覚が、実際職場の人たちを含めいろんな関係者の方々との別れはあるわけだが、あるのだとようやく、退職後一ヶ月にして、わかってきた。
もちろん辞める側だけではないだろうが。
本当ならこのような感慨さえ、こころの底に押し込めながら、あたらしい転職先で、あたらしい環境になれるべくあくせくしなければいけないはずだが、いかんせん、この時節のすさまじい求人数の少なさから、またわたし個人の、いささか身勝手な理由からそのような事態には至っていない。
よくも悪くも、人生のあるエアポケットに落ち込んでいるような気分だ。
そしてようやくこんな月並みな感慨をつくなぞお気楽なものかもしれぬ。
一日の大半、場合によっては寝る時間以外すべてを職場で過ごしていたような場合、だいたいのアラフォーサラリーマンはそうだと思われるが、その職を失うというのは、感覚的には、家族を失うみたいなものだということがわかる。
そして、人との場合、友人、恋人、離婚、そして死別等別れがあるごとく、企業では定年、リストラ、そしてM&Aや倒産にてやはり職場との別れが存在する。転職流行の昨今の世相から、あまりそう見る向きもない方もいるかもしれないが…わたしはそう感じた。そうした感慨が起こってきたのは、また出会いもあるということだろうか。
さて、今日のブログタイトルは小林秀雄の『Xへの手紙』のなかのちょっと好きなフレーズである。
その作品ではないが、小林秀雄に「ランボオ」と題されたランボー論があった。ランボーという詩人について、その詩の伝説的なすごさにも関わらず、短いエッセイのような評論文を小林秀雄は三つ残している。それぞれ1、2、3(実際はすべてローマ数字)とタイトルにナンバーがついていた。
みんな比較的短く、あっけなく、彼のほかの評論と同様にかなり難解な言葉遣いで、小林の文章は、昔はよく現国の大学受験の読解問題にとりあげられていた。
いまふと思い出して、本棚というより段ボール箱から探してきました〜。
ランボーについては解説は不要であろう。
また、小林秀雄は、批評の最初の仕事を、このフランスの天才少年詩人を中心にしていた。のちに「様々なる意匠」が『改造』の懸賞論文に次席当選し、それがデビュー作ということになっているが、無名時代はランボー論の他、習作の小説も書いていた。
いまから紹介する文章は、ランボー論の二番目のもので、無名時代に書いた最初のランボー論の4年後に書かれている。
「文学とは他人にとって何んであれ、少なくとも、自分にとっては、或る思想、或る観念、いや一つの言葉さえ現実の事件である、と、はじめて教えてくれたのは、ランボオだった様にも思われる。」(小林秀雄ランボオ3」)と述懐している、最愛の詩人ランボーに対し、別れを告げる意味深な文章だ。
ランボーに対する「絶縁状」であり、この種の、なんというか、血の出るような文章がこの人には多く、それが当時の青年たちのカリスマともなった所以であり、文学者の放つそうした一種過激な暗闇のなかのやりとりが、昭和の文学だったと言えるかもしれない…。
久方ぶり(ほぼ20年ぶり)に読んでみると、昔は理解できなかったランボー以外のなんらかの存在、おそらく中原中也との三角関係にあった長谷川泰子というこれも有名な女性への「別れ」の感触やぬくもりのようなものも読み取れるように思われる。
「…人々がいろいろな品物(勿論人間も人間の残した仕事もこの品物の中へはいる)に惚れ込むと、自分達の心の裡(うち)に、他人にはわからぬ秘密を育て上げるものだ。この秘密は愚かしさと共に棲みながら最も正しい事情を掴んでいるのを常とする。冷眼には秘密はない、秘密を育てる力はない、理智はいつも衛生に止まる。人間の心の豊富さとは、ただただこの秘密の量である。
だが、人々はめいめい秘密を、いやでも握り潰して了(しま)うのが世の定めであるらしい。歌とは、敗北を覚悟の上でのこの世の定め事への抗言に他ならぬ。ランボオ集一巻が、どんなに美しい象(かたち)に満ちていようとも、所詮、この比類のない人物のもぬけの殻だ。彼は死んだのだ。まさしく永久に。このもぬけの殻を前にして、いろいろな場所で、いろいろな瞬間に、私の心がいろいろな恰好(かっこう)をしている時に、私が育てた私の秘密を、握り潰そう。…
そして、彼(ランボー)は私に何を明かしてくれたのか。ただ、夢を見るみじめさだ。だが、このみじめさは、如何にも鮮やかに明かしてくれた。私は、これ以上の事を彼に希(ねが)いはしない、これ以上の教えに、私の心が堪えない事を私はよく知っている。以来、私は夢をにがい糧として僅かに生きてきたのかもしれないが、夢は、又、私を糧として逃げ去った。
私は、私の衰運の初めから、私という人物が少しも発達していないとは思うのだが、又うつろな世の風景は、昔ながらにうつろには見えるのだが、ただ、今はその風景は、昔の様に静かに位置していないようだ。人々は其処此処に土を掘り、鼠の様に、自分等の穴から首を出し、あたりを見まわす。私もやがて自分の穴を選ばねばなるまい。そしてどの穴も同じ様に小便臭かろう。
『ああ、この不幸には屈託がないように』
果てまで来た。私は少しも悲しまぬ。私は別れる。別れを告げる人は、確かにいる。」
(小林秀雄ランボオ2」・新潮文庫『作家の顔』、文春文庫『考えるヒント4』所収)
ここに別れを告げられているのは、もはやランボー長谷川泰子なんかではなく、書いている彼小林自身であるのではないだろうか。詩を読む究極の意味は、鶴見先生が語るように、「自分」を読む(見る)ことにあると思われる。そして、なんらかの理由で、その「自分」を突き放し離縁する必要がこのひとにはあったらしいことがわかる。
いち個人のこのように私的でいま読むと妙に思わせ振りな自己愛と表裏一体の独白が、作品として読まれ、青春の疑似体験として多くの読者を持ち続けた時代を懐かしく思うとともに、いい時代だったんではと思わざるを得ない。
少なくとも文学にとっては幸福な時代だったといえよう。作家には、太宰の例をみるように、不幸この上ない時代であったにせよ。
ちなみに、わたしがこの有名な小林秀雄ランボー体験のことを知り、この「ランボオ2」の哀切な文章を読んだのは、当時書店で見つけなにげなく買った現代詩人・大岡信さんの「詩への架橋」という本だった。
そして、高校の頃、現国の先生からちらっと聞いていた小林秀雄中原中也の三角関係についても、ついでに教えられた。その本には中原の詩もたくさん紹介されていた。
岩波新書でもう絶版になっていると思いますが、やはり大岡信は偉い人です。