ひさびさの梅田〜土佐堀にてキタの変貌ぶりに驚く・須賀敦子の本

 昨日は大阪梅田にて元職場の仲間だったいるかくん(仮名)と会った。わたしとともに会社都合の退職をした方で、いろいろ同様の方々の消息を聞いたり、お互いの活動の報告をしあう。
 以前はお花見の頃、介護資格の勉強をされていて、そのとき会って話をきいたのだが、その後関連する業界の情報を再度きいた。
介護の職場は、思う以上にハードで、求人の状況もおそらく退職者が多いからか、紹介する職安の方も、中高年に対しては「よく考えてみては…」と及び腰らしい。
 まず問題はなにより待遇面、月に4、5回程度の夜勤があるにしてはあまりにも低い、という現実。
 次に介護の業界でも即戦力を求められ、経験者優遇の度合いが増しているらしい。
 昨今の失業者増加で「にわか介護資格者」も多く、受け入れ側は教えるのが大変と未経験者の応募には消極的とか。なかなかいいニュースはない。
 失業者対策で介護のコースはその手の養成学校は満員とのこと。その波のなかで生き残るのは難しいのでは、という見方になってしまう。
 
 かなり梅田は新開発の最中で新しいビルをよく見掛ける。
 阪急百貨店の新ビルが天に聳え立っていた。

その横にも、かなり高層の新ビルがあり、さらにJR大阪駅も新しくなっている。
 ちゃんとテナントが確保できるのだろうか。
 さてわたしはそのあと用事があり、いるかくんと阪神百貨店の地下で別れた。
 あのおなじみの全国土産物売り場はまだありホッとする反面、なんだか風前の灯火のように心細げに見えた。
 北の開発の影で、大阪のこってりした味がなんだか消えかけてるような…
 行き先が土佐堀のほうなので四つ橋筋から土佐堀沿いの歩道を歩くと、どことなくまだ大阪っぽいエリアがビルの間に少し残るのをみて、何となくホッとする。
 この堂島エリアは、あのイタリアの霧の町の文章を綴った須賀敦子の本のなかに出ていたのを読んだことがある。
 須賀敦子は芦屋の元祖お嬢だったひとだが、イタリヤ人の書店主と結婚し、現地で長く暮らした人だ。そこで、イタリヤ文学の翻訳を手がけ、夫をなくしたあと、日本に帰り、明治大学でイタリヤ文学を教えつつ、きらびやかでないが、心に残る、独特の味わいのある文章(主に旅行記やエッセイ)をたくさん書いた。
 わたしは、亡くなったあとに知ったのだが、このあと立ち寄ったジュンク堂・堂島アバンザ(ビルの名前?)店でも、棚の一列全部須賀敦子の本が並ぶほど、人気の作家になった。
 この人は、生前より亡くなって人気が出た人らしく、著名な作家が絶賛しているので人気に火がついたようだ。たとえば江国香織などが解説を書いている。
 ロックで言えば、ザ・バンドみたいな存在か。
 じつは、彼女の祖母は、船場にゆかりのあったひとらしく、なんと花嫁に行くとき、昔のこの堀端を歩いたときのことを、須賀敦子が子供の頃、よく語っていたらしく、そのことを書いていた。彼女は、その祖母のことばを頼りに、大阪のこの街を歩きつつ、いつのまにかフィレンツェの橋と重ねあわせ、二つの都市の水都ぶりを描き上げる。
 京都も鴨川や疎水や高瀬川があるが、大阪に比べると規模が小さい。難波は海に近いので水量が半端でなく多く、まさに水都である。
 やはり大阪は日本第二の都市、変わろうともがいているのだろう。昔の雰囲気がなくなるのは寂しいが東京との格差がひどすぎる。
橋下知事ももがいているのだろう。
 写真は、中ノ島のバラ園(須賀敦子の本を読んでいた頃撮った)