うるしという伝統樹〜かぶれを引き起こす作家たちに要注意

先日、2日間も大阪南河内泉佐野の森に入り、森林ボランティアの講習を受けてきた。絶好の晴天に恵まれ、作業研修をはじめ、メンバーの共同作業による野外料理(夜炭火バーベキュー、朝味噌汁と焼ザケ、昼カレーとフルーツ)やゲーム等も順調に進み、森のなかのバンガローで一泊し、得難い体験ができた。

そこは関空の手前、JR日根野駅から車で10分、稲倉池という巨大なため池の岸にある青少年野外活動センターの管理する森であり、いたるところに小さな小屋が作られてあり、簡単に宿泊ができるようになっていた。電気や水道も引最低限だが引かれている。
我々は、その中の雑木林エリアで雑木(山のなかには「雑草」ならぬ「雑木」があり、これがはびこると山が荒れてしまう)の伐採を手伝い、バンガローに泊まりに来た方々が、安全に林に入れるように整備しようというものだった。
手のこで直径5〜20センチくらい高さ5〜10メートルくらいの木を切り倒して行く。
斜面なので落ちないよう足場を確保しつつ、不安定な姿勢でしか切れないので、なかなかに力もつかい、1時間も作業すると、全身汗だくになる。
間伐前の林↓

しかし山のなかで木や土の匂いをかぎ、時おり風をうけ、葉のそよぐ音や鳥の声以外なにも聞こえない場所で作業し、木がみしみし声をあげどすーんと倒れる音を聞くのは(細い木でも迫力がある)、爽快でなかなかに気持ちのいいものだ。
参加のメンバーも、いちように感動されていた。
間伐後の林↓


その作業のなかでインストラクターの方が「これはうるしやな」と言っていた木があった。うるし=漆塗りの原料になる木である。
背丈はそんなに高くなく、葉と葉の間が赤みがかっていて膨らんでいる。
ご存じのとうり、この木は葉っぱにさわるとたちまち皮膚がかぶれるのである。体質にもよるがはぜやうるしは近寄るだけでもかぶれてしまう人がいる。
子供の頃近所の子がかぶれてしまうのをオーバーに思っていたが、こんな話をあとで聞いた。
ある滋賀県の漆塗り職人の方が森林ボランティアに参加することになった。現地の近くに前泊して参加されたそうだが、いくら遠くてもそこまでしなくてもと主催の人が不思議に思い聞いたところ、前泊して漆の成分を身体から出すため温泉につかっていたという。
そうしないとその方の回りにいる人がうるしにかぶれてしまうらしい…。
おそるべき力である。
わたしの子供の頃は道端にうるしの木がよくあり、なかには自分の毒にまけて葉っぱがぶつぶつと醜く膨れ上がっているのをよく見掛けた。
森の高所のうるしは、そんな間抜けな様子は全くなく、若葉は意外にも透けるような黄緑で美しくもあった。
思えば、わたしも山でうるしではなくはぜが絡んでいた丸太に半ズボンでまたがって遊んでいてかぶれたことはあるが、幸いうるしにはかぶれたことはない。
しかし、よく「本」にはかぶれたものだ。
つまり精神的にその本の強烈な毒素にかぶれ頭が熱し、今考えると笑止なことをやっていた。
ひどくなるともはやその人のまずは文章や歩き方、話し方、なにもかも(知りもしないのに)真似てその人になりきるといった始末、まことに赤面ものの若き日の愚行である。
しかしそういう毒性のあるものにかぶれて精神的にだが全身にできものをつくりかきむしりかゆくていたくてたまらないが、しだいにいつのまにか夢から覚めたようになおるといった、ことを繰り返すと、体内に解毒作用のある抗体ができるみたいで、そう簡単にはかぶれなくなる。
これは、若さのいたりというやつであろうが、通過すべき関門でもあり、ある意味若さの特権でもあろうか。
ひとかどの大作家の若い頃も、この種のかぶれを体験している。
小林秀雄ランボー北杜夫のトマス・マン(彼は『どくとるマンボウ青春記』でそのハチャメチャなかぶれぶりを告白しており、内田樹先生がある著作でネタとしてとりあげていた)などが文学史上の代表的なかぶれ事件だろうか。
わたしが大学の頃は、やはり初期の村上春樹にかぶれていた人は、そこここに見受けられたし、わたし自身はサリンジャーに前も言ったようにかぶれまくった。
いまでもおそるおそる読むようなところがあるものの、さすがにもはや毒は薄められてしまう。
その点、太宰治なんかはかなり危険な作家であろう。伝染する強烈な菌を保有してそうだ。
どうも太宰自身も、相当誰かにかぶれやすい人だったようだが、ファンが多く、取り巻きの多かった作家ナンバーワンであろう。
作品から間接的でなく直接本人を目の前にしたらどんな事態になるかはわかりそうなものだ。
そのかぶれ方足るや一緒に心中してしまうのもうなずけないこともない。
そうした毒性を持った書物や人物がいまの日本にある・いるだろうかと思うと、それが幸福であるか不幸であるか、わからないもののいまは平穏であるな、と思わざるを得ない。
反面、若者がそうした毒性に免疫なく育ち、そのせいかあらずか、ちょっとした出来事で悲惨な事件を起こしてしまうのではないかと思ったりもしなくはない。
以上うるしから思い付いた昔話でした。

しかし大阪も泉南や奈良和歌山県境となると山ばかりである。普段なかなか行かない場所だが、角におけない貴重な自然が残っているのを実感した。