ほたるを追って

梅雨だというのに、日照りが続く。

日中は、京都はかなりの暑さで、たぶん昨日は35度越えのところもあったようだ。

毎年、6月の半ばは、蛍のシーズンである。

京都の鴨川の横のみそそぎ川(丸太町と二条の間から鴨川と平行して流れ、二条大橋を過ぎて、支流が東に流れ木屋町通りに出て、高瀬川になる)で、蛍をふやす運動をほぼ20年前くらいからわたしの伯父がやっていて、昨日は、「久しぶりに見るので見に来ないか」といわれ、その活動の紹介をしていたテレビ番組のビデオを見る機会があった。

わたしははじめてみた。

じつは、あんな街中なのに、と思われるだろうが、例年、ちょうど今頃なら、鴨川でも蛍を見ることができる。

鴨川の横のみそそぎ川であるが、ちょうどいま元ホテルフジタだったところを工事中で、そのちょうど東横に、砂地の人が2、3人並んで歩けるくらいの(くらいが)道がずっと丸太町橋にむけてのびている。

その道は、ちょうどみそそぎ川が暗渠から出て、流れになるところで、鴨川の土手の広い道と合流する。

この間、夏草がおおい茂っているあたりに、毎年よく出るという。

伯父のビデオによると、ここを、まず蛍を鴨川に戻す拠点としていたようだった。

この日も、何人か蛍を見に来た人もおられたが、この場所は、すでに最盛期が終わったのか、あまり飛んでいなかった。

ただ、昼間一度見に来たときは、川岸からそう離れてない川の砂底に、たくさんカワニナ(タニシの一種で蛍の幼虫のえさになる貝)がいた。

伯父によると、カワニナのいるところにはだいたい蛍がでるという。

夏草も、川岸に繁らせているのには、意味があり、蛍の幼虫が川底から這い上がり成虫になるために必要なのと、昼間蛍が太陽光線を避け、潜むために必要なのだ。

毎年、蛍の飛ぶ6月の中旬前後の期間は、「川岸の水辺に近い草を刈らないでほしい」と、当初伯父は川岸の草刈をする行政の担当者に申し入れしたという。

たしかに、このあと行った場所で、いちばんたくさん蛍が飛んでいた松ヶ崎の浄水場から、植物園までななめにひかれた疎水は、うっそうと草が繁り、すぐ横の道路からは、川が覗き込めないくらい草が伸びていた。

この下賀茂の疎水際は、やはり親子連れがちらほら蛍を見に来られていた。

ここはむかしからよく出る場所として有名なためだろうが、これほどたくさんいるとは驚いた。

わたしの住んでいる岩倉の川にも、ほたるは飛び始めている。子どもの頃、ほたるを見に行った記憶はないのだが、一昔前よりは、ここ数年のほうが増えている気がしていた。(もちろんもっとむかしは、たくさんいただろう)

この川は、道路からかなり下を流れているため、見渡しがよいが、下賀茂の疎水ほど草木もなく、街灯も少ないながら、けっこう明るいためか、今のところちらほら見られる程度。(この日数えたところでは、1匹くらい。ただ一昨日はもうちょっといた)

昨日見て、意外に思ったのは、高野川の馬橋(工芸繊維大へ続く橋)の南の西側の川辺に草が多いところがあり、そこに何匹か飛んでいた。

高野川の西側は、自動車もあまり通らず、水道局の大きな施設があるだけで、人家や街灯もないので、暗がりでほたるに最適な場所なのかもしれない。高野川をちゃんと見てないが、もう少し南の出町よりでもとんでいるかもしれない。

ほたるのシーズンは、例年ならもう終わり近いはずだという。

しかし、わたしの家の周辺をみていると、昨年はもっと飛んでいたような気もする。

今年は雨がまったく降らないのも、原因かもしれない。なぜなら、伯父によれば、ほたるの幼虫が岸に這い上がるのは、雨の夜らしい。

乾いた石や草だと滑ってなかなかうまく這い上がれないらしい。

ほたるの幼虫が、水の中にいるのに、なぜそのそとで雨が降っているとわかるのかは、謎らしい。

昨日、加茂川土手を自転車で走っているとき、西に見えるビルの間から、まるであの「花王石鹸」のような、三日月が出ていた。

そういえば、むかしあごの出ている人のことを「花王石鹸」といいませんでしたか。。