『「英会話」私情』富岡多恵子著(集英社文庫)と『modern juice』の関係?

modern juiceはちょうど2年?くらい前かに恵文社一条寺店で見付けたリトルマガジンである。サイズもかなり小さく新書に近い。
わたしはその一冊を買ったが、そのときは他にも違う号が何冊か、平積みというか、表紙を上に向け並べられていた。
この6号「特集・お稽古事始め」の刊行はしかし見ると古く、2003年4月10日の奥付けがある。おそらくそのときはバックナンバーが展示販売されていたのだろう。
この本をわたしは買って間もなくある友人に貸して、その後貸しっぱなしになっていた。
ついこの間返してもらって、帰りの地下鉄であらためて読むと、巻末の後ろ扉ページにブッダ・カフェを主催されている扉野さんの詩が掲載されていて驚いた。
Das Lebewohlと題された詩だ。ベートーベンの「告別」を「歌った」ものらしい。
表題とは真逆に、知っている人の別の顔にあらためて出会った気がした。

さてこのmodern juice 6のなかの記事に、「女とお稽古」と題したものがあった。
実は内容は、-辛酸なめ子の『自立日記』より-というサブタイトルがあったから、その日記の抜粋らしい。

英会話学校に通いはじめた体験が綴られていた。

そしてその次なるコーナーに「お稽古事をめぐる旧刊案内」という本の紹介があった。
そこで目にしたのが富岡多恵子さんがかかれた『「英会話」私情』という本の紹介であった。
その紹介文を(無断だが)ちょっと引用したい。

〜「『英会話』を習うということが、限りなくアメリカ人に近づくことだという思いこみに、教える方も習う方もおちいって」いる、それが日本の「英会話」。これに抵抗感を抱きつつ、あえて著者自ら外国人教師につき「英会話」の授業を受けながら「日本の大衆文化」としての「英会話」のなりたちとからくりを解き明かす。この本からすでに二十余年、この「日本の大衆文化」もいいかげん成長しているのでは、と思いきや…辛酸なめ子さんの日記によれば、相も変わらぬ状況であることが判明。なめ子氏によれば、英会話は「一種の風俗」(いわゆる゛フーゾク゛ということですね)「お金で買った言葉によるプレイ」…至言です。〜modern juice 6 p.41より

「日本の大衆文化」(笑)
「フーゾク」(笑笑)
地下鉄で笑いを堪えた。

今日毎月第一月曜と第三水曜に近くのスーパーの店前にて開催されているらしい古本市に、たまたま買い物に行った際、出会えた。
ふらふら書棚を見ると、なんと!

「英会話」私情 富岡多恵子 集英社文庫 
背文字があった。

ヒャー、なんたるご縁か。
しかも文庫である。
昭和58年9月25日 第1刷 の奥付け、1983年刊行の本だ。
この本から30年もの月日を経て、英会話は「大衆文化」の地位から一躍、堂々たる小学校の正規科目へと異例の格上げとなった。
賛否両論あるこの事態を、富岡さんはいかに語るだろうか?
この本を読んであらためて英語問題を考えてみたい。
ちょっと見てみると、なんと一冊すべてが丸々その「英会話」を学ぶ体験から、独自の英会話論が7つの章仕立てで綴られており、かなりな力が入っているのが感じられる。
章のそれぞれには扉のページもあり、囲みでサマリー(要約)風のコラムが章のプロローグにある。
なんとなく英会話のテキストを模した?手の込みようだ。
隠れた名著と言えそうだ。
棚の近くに関川夏央「海峡を越えたホームラン」、村上春樹「遠い太鼓」を見つけ一緒に買った。
なんとなく海外関連の本が集まってきた。
この古本市は京都の各所にあるスーパー前で定期的に行われているらしき移動古書店で、店のかたに聞くと店舗はなく個人でやられているらしい。
行ったのが店じまいの時間に近く、道に停めた2トンくらいのコンテナトラックに本を積み始めておられた。

上写真『modern juice 6』

下写真 文庫3冊